22.5:盤外でうごめく悪意(クライン皇子&???side)

 クライン=ベルギーナ=オルスト皇子は療養を理由に政治から外されていた。


 クライン皇子の横暴さは宮廷内でも目を覆うものであった。皇子に逆らうものは皆犯罪者扱い。故に誰もが皇子に逆らうことはない。


 だが魔王とそれが率いるモンスターという外敵が生活を脅かせている以上、ある程度の暴君であれ国を一つにまとめる必要があった。そういう理由で押し黙る人も少なくない。何よりも、オルスト皇国でモンスターに対抗できる戦力である『英雄召喚の儀』を行えるのは、クライン皇子ただ一人だ。


 故に、誰も皇子を糾弾できなかった。否、糾弾した後の混乱を押さえるものが誰もいなかった。モンスターは強く、人類は街を壁で囲んでようやく安全圏を得ている。町から町の移動は危険を伴い、ルート一つ潰れれば流通が途絶えるのだ。


 その危険を取り除くのが国家の兵であり、そして皇子が召喚した英雄だ。事、英雄はこの世界の人間では得ることができない力を得ることができると期待されていた。天騎士や聖女といった、希少なジョブを。


 ジョブ。その意味を知る者はいない。ある神学者は生まれ持った時に神から与えられた魂の形といい、ある生物学者は脳の形状だという。その正体を知る者はいない。クライン皇子とて、その全貌を知るわけではない。


 ともあれ、モンスターに対抗するには多くの戦力が必要だ。それを召喚して増やすことができるクライン皇子は、絶対的な地位を得ていたのだ。数日前、誰もがクズジョブと罵った遊び人に蹴り飛ばされるまでは。


 遊び人。


 笑ったり、遊んだり。そんな場を盛り上げることしかできないジョブ。一般人程度の力しかなく、成長しても運しか上がらない。戦えないクズジョブで、武器も貧相なものしか持てないし服も冗談みたいなものしか着れない。何の役にも立たないジョブに、蹴られて気を失ったのだ。自慢の親衛隊含めて。


 クズジョブに負けた親衛隊。そして皇子。その権威は大きく失墜した。そして『療養』とばかりに政治から切り離された。プライドの高いクライン皇子も遊び人にコケにされた悔しさからか表に出ようとはしなかった。


 そう。あの騒動以降、クライン皇子は王級の一室に籠っていた。食事も専用のメイドに運ばせている。


 戸を三度叩く。その後に戸を開くメイド。その視線の先には、白いローブを着たクライン皇子がいた。


「ふざけるなふざけるなふざけるな! 私を足蹴にするなどあの女が!」


 目は寝不足を思わせる瘦せこけがあり、料理もあまり食べていないのか頬もやせ細っている。床には割れた花瓶が散乱しており、かんしゃくを起こして暴れただろう皇子は肩で荒い息をしている。


「お食事を用意しました、皇子」


 メイドは何事もなかったかのように食事をテーブルの上に置く。そして指を鳴らした。


 床に散乱していた割れた花瓶が宙を舞い、まるで映像を逆戻しするようにくっついていく。指してあった花も元に戻り、部屋は何事もなかったかのように王宮の美しさを取り戻す。


「リーンか。あの女はどうなった?」

「遊び人トーカの件ですね。では報告をいたします」


 リーン、と呼ばれたメイドは静かに報告を開始する。トーカがチャルストーンの町に着き、そしてそれからの行動を。


「あの遊び人がオーガキングを倒しただと!?」

「はい。遊び人トーカは聖女コトネと共にオーガキングを倒し、オーガの脅威からチャルストーンを守ったようです」

「なんだと。天騎士ルークはどうした? あの女達より先にオーガ討伐に向かったはずだぞ!」

「天騎士ルークは先兵部隊であるジェネラルオーガを討伐後、戦線を離脱した模様です。チャルストーンの門防衛はなしえたようですがそれ以降は姿を見せず」

「ふざけるな! 敵をせん滅せずに逃げただと!」


 怒りと共にテーブルを拳で叩くクライン皇子。コップがその衝撃で倒れ、中にあった飲み物がテーブルに広がっていく。


「クライン皇子、お飲み物を粗末してはいけません」


 その言葉と同時に巻き戻るように戻っていくコップと飲み物。まるで時間を巻き戻すように、リーンは皇子が壊したものを直していく。


「ふん。こんなもの、私が受けた屈辱に比べれば些末なことだ!

 あの遊び人の女は皆が見ている前で皇子である私を蹴り飛ばしたのだ! そのうえで私を見下し、そして笑ったのだ! このようなことをが許されてたまるか!」


 クラインは常に他人を見下してきた。皇子という立場。英雄召喚を行える唯一の存在。この国でも、そして世界でも特別な存在。世界を救う英雄を召喚しているのだから当然だ。


 その事実はクラインの心を大きく歪ませた。誰もクラインを糾弾せず、間違いを指摘しなかった。……否、指摘した者はいた。ただそれらはすべて、罪人になった。闘技場で殺され、処刑場の露となり、英雄のレベルアップのために使用された。最後には応じに命乞いし、それを見て溜飲が下っていた。


 故に、見下されたのはトーカが初めてだ。自分よりも年下の子供に蹴られ、地を這っているところを嗤われた。今まで見下す立場だった自分が、初めて見下された。皇子として、男として、大人として。あってはならない屈辱だ。


「あの女をボロボロにして、屈辱に塗れさせた後に殺す。そうせねば、この気持ちは収まらん! 人としての尊厳をすべて奪い取り、泣き叫びながら命乞いをさせて、絶望の表情のままゆっくり苦しめながら命を奪ってやる……!」


 負の感情を隠そうともしないクライン皇子。


 かつてはまだ理性はあった。少なくとも怒りをここまで顔に出すことはなく、逆らわずにいる者に権力をふるうことはなかった。少なくともオルスト皇国を守るという大義名分があった。


 だが、今のクラインにはその理性もない。恥辱を晴らそうと怒り狂っている。そこには大義名分もない。ただ憎いから殺したい。むき出しの欲望がそこにあった。


「ではどうしますか、皇子」


 リーンは笑みを浮かべる。三日月を思わせる、笑い顔。赤い赤い口が、鋭く開く。皇子とそれに仕える女給の間で浮かべる笑顔ではない。もっと別の存在。たとえるなら、人の枠を超えた存在の浮かべる笑み。


「いいだろう。貴様の契約に乗ってやる。あの女を苦しめ、そして破滅させろ!」

「再度確認します。対象は遊び人トーカ。契約内容は肉体的及び精神的に破滅させ、あなたのもとに連れ帰るということでよろしいですか?」

「そうだ。雪辱を晴らすために最後は私が殺す。弄って弄って弄りつくして、その後に殺す!」


 その瞬間を想像し、クライン皇子の顔は狂気に歪む。リーンは最終確認とばかりに、言葉をつづける。


「報酬としてオルスト皇国の領土――オーベルの街より北の土地すべてを魔王軍の領土とします。そこに住む人間すべて含めて。

 それでよろしいですか?」


 魔王軍。魔王<ケイオス>が率いる人類の敵。その意味は、誰もが知っている。


 そしてその支配下にある人間がどうなるかは想像に難くない。殺されるのならまだ幸せだ。生きたまま肉片一つ魂の欠片まで利用される者や、呪いを受けて永劫の苦痛を味わう者。モンスターに変えられ、人を襲う者。様々だ。


 まともな感性を持っているのなら、とても承諾できない内容だ。そしてそういう取引を仕掛けてくる相手など、話をすることすら嫌悪するのが普通だ。


「ああ。それでいい」


 だが、クラインはそれを承諾する。


「あんな古臭い土地よりも、私のプライドのほうが大事だ……!」


 言葉と同時にリーンの体を魔方陣が包み込み、刻印となる。メイド服は溶けるように消え、青い蝙蝠のような翼を広げた人外がそこにいた。姿かたちこそ人間のそれだが肌は青く染まり、睨まれただけで並の人間なら委縮してしまいそうなほどの圧力があった。


 悪魔。


 リーンの姿を形容するなら、その一言。魔王に仕える悪魔と呼ばれる存在。この世界を脅かすモンスターの頂点といっても過言ではない種族。


「ここに契約は成立しました。では失礼します」


 一礼して、リーンの姿は消える。契約に従い、破滅をもたらすために。

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