【2011年 実写化映画】「モテキ」イッキ飲みされる側の地獄めぐりについて。
『郷倉』
もうめちゃくちゃ返事が遅れてしまって、申し訳ないです。
なんか、仕事終わりやクリスマスの空気に疲れて、毎日ひたすら寝てました(年末だったんですね)。
さて、では「モテキ」について書いていきたいと思います。
2021年から振り返って重要な作品を2011年から選ぶなら、僕は間違いなく「モテキ」を選びます。
ちなみに、「モテキ」の原作者は久保ミツロウで、近年で言えばアニメの「ユーリ!!! on ICE」の原案、ネーム、キャラクター原案を担当していました。
また、少し前に話題になった「プロ彼女」という造語を作り出したのも、久保ミツロウ(と能町みね子)でした。
そんな久保ミツロウの原作「モテキ」はまず、テレビドラマ化され、その後にドラマ版の1年後を舞台に完全オリジナルストーリーとして描き下ろされたのが、映画の「モテキ」になります。
「プロ彼女」なる造語を作ってしまうような、芸能や世間の流行に敏感な久保ミツロウです。
そんな彼女が当時の空気をちゃんとリアルタイムに反映させて、流行の曲なんかも使いまくって、作ったのが映画「モテキ」なんです。
なので、空気はゼロ年代の終わり感があるんですが、恐ろしいことに今見てもまったく古びた感じがしない最強の映画になっています。
また、同時にツイッターにてハッシュタグ運動なる政治利用が盛り上がる前だったので、純粋なSNSの使用方法として「モテキ」の描き方は牧歌的で、理想的です。
実際に本編で、藤本幸世(森山未來)はヒロインの一人である松尾みゆき(長澤まさみ)との出会いはツイッターでした。
そして、長澤まさみの紹介で二人目のヒロイン、枡元るみ子(麻生久美子)とも出会います。
森山未來は長澤まさみに惹かれて、片想いをしていきますが、長澤まさみが彼氏と一緒に住んでいると知り、ショックを受けます。
更に、その彼氏は妻帯者で、森山未來の仕事の関係者でもあり、「俺、もうこの仕事辞めます」と上司の唐木素子(真木よう子)に愚痴ったりします。
この際の真木よう子の台詞が最高で、「お前には辞めるは許されてねぇ。気に食わないっつーなら、ボーイズオンザランするか? それすら、お前には許されてねぇんだよ(うろ覚え)」であり、上司からすれば、好きな女の彼氏(しかも妻帯者)とか、どうでもいいから仕事をしろや、ってことで。
超がつく正論です。
プライベートに振る舞わされて、仕事のパフォーマンスを落とすのは、社会人としては三流でしょう。
そんな訳で、森山未來は歯を食いしばって、自分の好きな女の子の彼氏(妻帯者)の為に、仕事をするんですよね。
この辺は社会人1年目、2年目の若者たちには、「分かるぞ!」ってなる名シーンでしょう。
更に、そこから森山未來の片想いの相手、長澤まさみ視点や二人目のヒロイン、麻生久美子の視点が混ざっていきます。
地獄めぐりの地獄感が強くなるのは、この複数の視点が混ざってきてからです。
彼らは自分の感情や欲望を嘘をついていません。
少々潔いほどに、彼らは自分に嘘をつかないんです。
それ故に彼らは傷つき、悲しみに暮れるんです。
そんな嘘をつかない彼らが、欺瞞に慣れ親しみ、それに悪びれた顔すらしない連中の食い物になっていくのが後半です。
少し前に、ある起業家が高級ラウンジで同席した女性にテキーラをイッキ飲みさせて死亡させたことがニュースになっていました。
テキーラのボトル1本を15分以内に飲み干せば10万円を払う、というゲームに興じた結果、女性のAさんが亡くなった、というもので、主催者の企業家は「彼女は『できると思うのでやりたいです』と言うので、じゃあボトルを1本頼みましょうとなったのです」と釈明しているそうですが、良い大人がテキーラ1本をイッキさせることを止めない時点で、やばいし、飲み干したら10万円って普通にゲームに参加しているので、加害者であることは明白です。
「モテキ」の不器用な登場人物、森山未來、長澤まさみ、麻生久美子たちはテキーラ1本をイッキさせられる側にいるんです。
彼らが望むのは、ただ幸せになることでしかないのに、周りの欺瞞に慣れ親しんだ社会的地位のある大人に都合よく利用され、消費されてしまう。
性質が悪いのは、その大人はまるで「君たちの味方だよ」という顔をして近づいてきて、実際に良いこともしてくれる、という点にあります。
高級な食事だったり、業界人との繋がりだったり、貴重なイベントへの参加だったり……。
それは確かに、ただ幸せになりたい彼らからすれば、とても嬉しいものです。
しかし、それを受けとってしまったが故に、彼らには「嫌だ」と言うことができない場所へと押し込められてしまいます。
「嫌だ」と言えない世界の行き着く場所は、テキーラをイッキして死ぬ世界です。
だから、「モテキ」の終盤は大人たちの欺瞞を知り、それから離れていくことが描かれます。
麻生久美子は失恋に付け込まれて、リリー・フランキーとホテルでセックスをした後「もっと他の人ともセックスした方が良いよ」と言われて朝食を共にとらず、一人で朝の牛丼屋で牛丼を食べます。
恋人(妻帯者)に「離婚した」と言われた長澤まさみの前に、森山未來が現れます。おそらく、森山未來が居なければ、長澤まさみは以前通り「離婚した」という本当かどうか分からない言葉を信じて、都合よく消費される側を選んでいたはずですが、森山未來を前にして、それを選べずに逃げ出してしまいます。そして、長澤まさみに誰よりも速く追い付いた森山未來は二人して、泥水にダイブする。
彼らは決して格好よくない。不器用だし、空回りして、賢くすらない。
けれど、森山未來と長澤まさみはこの瞬間、一切の嘘をついていません。
それは朝の牛丼屋で牛丼を食べた麻生久美子も同様です。
彼らは不器用で、社会を生きることは上手くない。
周りから見れば面倒臭い奴らとしか思われないし、ずるもできない。
しかし、彼らは一番純粋に世界を生きているし、自分に嘘も誤魔化しもしない。
そんな清々しい結論が描かれる「モテキ」はぜひ、十代の終わりに一回、社会人になってもう一回見て、その数年で自分がどれだけ社会を知ったか、という指標にしていただきたい傑作です。
『倉木』
モテキも視聴してます。けど、二回見ようとは思わなかったんよな。作品がどうこうではなく、役者の問題。
リリー・フランキー嫌いやねん。
リリー・フランキーの演じた役が嫌ってんじゃなく、リリー・フランキー個人が嫌い。
ラジオ番組でのエピソードトークで、矛盾が生じた話をしてましたからな。最初の入りと、オチのどちらかが嘘でないと、成り立たないような話でした。アシスタントが突っ込めない空気だからスルーされてるけど、ああ、この人は多分、自覚なく嘘をつける人なのだなと、嫌いになった瞬間でした。
人としては嫌いでも、役者としては、すごいと思う。そういう人柄だからこそ、モテキでは邪魔にならんどころか、はまってるとさえ思う。でも、普段のリリー・フランキーが嫌すぎてね。映画みてても、それがよぎる。
これは、洋画にはないから、邦画特有の感覚です。洋画の役者は、テレビつけて番宣で登場しないせいでしょうかね。
リリー・フランキーではマイナスに働く要素が、演じる前の女優が好きだからみたいぜ、ってプラスに働くときもあるから、邦画は面白い。
てなわけで、モテキに関する討論は、ひとまず置いといて。必ずあとからします。
そろそろ僕のターンですかね?
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