第10話 「カルガモ」


「いらっしゃいませぇー」と陽気な、いやいっそ呑気な、と表現してもいい挨拶が響く。

 リズムある入店音と共に、暖房の温かさが身体を包む。


 靴底の溝に入り込んだ細かい雪を、足指先ごと地面に軽く叩く事で振り落とす。

 すると隣に居るお下げの少女も真似をするかのように、同じ仕草で革靴底の雪を落とした。


 さて、彼女の家からそう離れてはいない距離にあるコンビニへ来た訳だが、どうしたものか。


 そんな事を考えながら何気なく入口を入ってすぐの角を曲がる。

 その先には大窓に沿う形で雑誌コーナーが並び、対して反対側には日常雑貨品や化粧品が売られている。変わり映えしない、よくあるコンビニの光景だろう。


 だがその変わり映えしないコンビニに来たはずだと言うのに、妙な違和感は消えていない。いっそそれは強まってすらいる。

 

「………………」


 ふと、後ろを振り向く。

 ※2後には、カルガモかアヒルの子さながらに涼太の上着の後ろ袖を引っ張る珍獣が居た。


※2(https://encrypted-tbn0.gstatic.com/images?q=tbn:ANd9GcR3YOqBmcISRVxiJc0Qmc8sPwdkV23b6aqo2w&usqp=CAU)

 

「…………………何してんの」


「えっっ!?」


 ビクッ、と肩を震わせ、その生き物は反応を見せる。肩が上下に動くと同時に両肩のお下げ髪もふわりと揺れ上がってみせた。おぉ、案外本当になにかの生き物だったのだろうか。

 

「……い、いや別に?」


「……とか言いつつなんでそんなずっと裾握ってんの?」


 別に、と言う割には、明らかに玲菜のそれは挙動不審の四文字が一番適切だろう。

 事実、涼太からすると、コンビニへ入ってからの玲菜は明らかに不自然といってもいい。足底の雪を落としたかと思うと、急に涼太の上着の袖を引っ掴み、やたらキョロキョロと周囲を見回し始めたのだ。

 その視線にはいっそ何かしらの物珍しさすらも垣間見える。

「………もしかしてさ」と涼太は思いついた感想を何気なく口にしてみる。


「いや、もしかしてというよりまさか、コンビニ初めて?」


 いやいやいや、いくらなんでもそんなはずはないだろう。今時女子高生がコンビニエンスストアを利用した事がないだと?

 今やコンビニは涼太の知る限りでは日本各地至る所にある。この辺りは東京でも比較的田舎だと言われる八王子だ。

 なんなら時期も昭和中期ではない。コンビニが急増したとかいう高度経済成長期はとっくに過ぎている。そもそもそれすら何年前の話だ。

 故にそんな八王子ですら、歩いて十分以内には大概コンビニは見つかる。

 一応、腐ってもここは東京だ。いや腐ってもはこの場合何かに謝らなければならないかもしれないが、とにかくここは東京である事に変わりはない。どちらにせよ、コンビニにお世話になっていない日本人など一体全人口の何パーセントなのか涼太には予想すらつかない。何気なくそんな事を思いながら、もう一度玲菜の顔へ視線を向けてみる。


「…………」


 鳩が豆鉄砲を食らったような、とはよく的を射た表現だ。例えるならば玲菜の顔は、まさしくそれだろう。


「…………………………」


 え?


「はぁああ!?」と、そうして涼太は思わず素の驚愕を玲菜へ見せる。


「コンビニに来た事がない!? え、嘘だろお前!?」


「う、うん、そうなんだよね実は……」


 んなアホな。

 どうやら図星だったらしい。涼太は唖然と口を開く。

 玲菜は何処ぞの令嬢か何かなのだろうか。彼女の家が財閥か何かで、そんな庶民の使うコンビニなど縁もゆかりも無いという話なら納得はいく。

 というかそうであるなら、私立だとか、もっとレベルの高くてお金も掛かりそうな進学校に行っててもおかしくは無いはずだろうに。

 涼太の脳内からは、湯水の様に次々と疑問だけが湧き上がってくる。何か理由がなければそもそもそんな事にはならないとは思うが。


「え、なに、近くにスーパーがあるからそもそも行く機会が無いとかそういう?」


「ううん、違う違う」


「そういう事じゃなくて……私殆ど寄り道とかそういうの、からさ」


 してこれなかった、といった言い回しが今ひとつ呑み込めない涼太は「へぇ……家が厳しいとか、そういう?」と続ける。行く機会が無かったとかそういう話なのかすら、そこからは判断が出来ない。


「厳しい、のかな。どうなんだろう、分からない」


 雑誌コーナーを素通りし、冷蔵庫式のドリンクコーナーに向かう。少し間を含ませるように、背後の玲菜はそう呟く。どこか声のトーンが低い気がして、ふと後ろを振り返る。


「ていうか日向、お前何が欲しいんだよ?」


 相も変わらず、カルガモさながらに20センチ程の距離を保ちながら少女は後ろをついてきている。─────だが、一瞬見えた少女の表情は俯いていた。


「…………日向?」


 彼女は涼太が質問をしてきている事に気が付いたのか「え? あぁ、ごめん。なんて?」とやがて口元を緩ませながら反応を慌てて返す。


「いや、結局お前何が欲しいんだよって」


「えっ、ホントに奢ってくれるの?」


「は? あんだけ分かりやすい煽り方しといてよく言うなお前」


「えっ、ホントに? 冗談のつもりだったのに!? えっホントにいいの!? 神じゃん涼太くん、ありがとっ!」


 なに、煽られてたんじゃないの俺。

 めっちゃ「えっ」言うじゃん。女子高生かコイツ。いや女子高生だったわ。忘れてたけどカルガモじゃなくて女子高生だったわ。ていうか本気で奢る流れじゃなかったのか逆に。罰ゲームとかさっき言ってなかったか。

 感謝の言葉の語尾には、目に見えない音符が舞っている気がする。やたらと上機嫌だな。

「えー嬉しい。どうしよ、そーだなー、どうせなら暖かいもの食べたいなぁー」と玲菜は下唇に人差し指を軽く当て、何やら考える様な仕草を見せる。

 そのどこかあとげ無さが垣間見える姿に、一瞬、心臓が高鳴るのを感じる。あとげ無さのみならず、密かな色気すらもそこにはあった。


「………………」


 本当にコイツは。無意識でそれをやってるならタチ悪い。

 顔を見られないように直ぐに回れ右をして、涼太はドリンクの冷蔵コーナーからレジ横、弁当コーナーの前にあるホットドリンクコーナーへと赴く。

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