第43話 神楽
キィンとした静寂の中、マーリンは静かに歌い始めた。
太古の教典、一の章、終末記。音域広く、何オクターブもの声を出せるものにしか歌えぬ難曲である。
「天地は闇に包まれた 生き物は死に絶え 悪魔が蹂躙した・・・」
マーリンの歌に、聞いている人々は一瞬にして心を奪われた。
大気がビリビリと振動している。
無駄な動きひとつない動作で、滑るようにモードレッドの剣が弧を描いた。
「嘆きの声はとうに消え 骸が風に乗って 乾いた音を立てる・・・」
思えば故郷で脱獄し、海に落ちたことが遠い昔のようだ。
あれがきっかけで、マーリンはあの狭い世界を完全に抜け出すことができた。
この大陸に来てから、自分は人生初の冒険をした。子供向けの物語の主人公と比べたら、泣けるほど大した事はなかったけれど。
優しい家族に拾われ、ジーンやウィルと友達になった。レイモンドが城に連れてきてくれてから、モードレッドと再会することもできた。クロウリーも、嫌な奴だが根は真っ直ぐな人間だった。
マーリンは無我夢中で歌った。
第二章。
「神はこれを嘆いた その腕を振り 世界を白へと変えた・・・」
最初はモードレッド達にものすごく疑われた。理由を聞いたら当然だった。でも彼はなんだかんだ言って優しくて、私を気にかけていてくれた。最後の最後で誤解が完全に解けてよかった。
クロウリーもレイモンドだって実は好きだ。
やはりこの世界は、マーリンのいた小さな檻の中よりもずっと素敵な世界だった。
「天地が呼吸を始め 小さき者達の音楽が始まる・・・」
モードレッドの動きは見事だった。歌のことがなければいつまでもこの目に焼き付けておきたいくらい。力強く、それでいて流麗だった。
マーリンの好きな世界。だけど、この地は穢れに満ち溢れていた。憎悪や恐怖、絶望に悲しみが渦巻いていた。故郷の同族はやはり下界の人間は愚かだ、と見下すかもしれない。
だがナジェイラもまた人間であり、まぎれもない、この地で間違いを犯した一族なのだ。
第三章。
「命は芽吹き 神はそこから様々なものを形作った・・・」
人間はどうやっても愚かなことをする。人を殺すし、他人を平気で差別する。言うなればこの地から穢れが生まれることは、リンゴが地面に落ちることと同じくらい自然なことだ。
この大樹はこれからも毎日毎日穢れを浄化し続けるだろう。そしてまたマーリンたちの手が必要になる程浄化能力が鈍ってしまうのだろう。これから千年周期で延々とずっと繰り返される営みに、マーリンはそっと想いを馳せた。
「この世は再び楽園となった 見よ この御業を・・・」
不思議なものだ、とマーリンは思う。婆のような人間の持つ悲しみや苦しみが、マーリンの歌や世界樹によって「鎮め」られてしまうなんて。マーリンは時々考えることがある。鎮めればその想いはなくなってしまうのだろうか、と。
「再び来る終末の時まで 富めよ 栄えよ 喜びの歌で世界を満たせ・・・」
分からない。でもマーリンは決めたのだ。この歌を歌うときは、彼らの想いを取り去るのではなく、彼らの幸せこそを祈ろうと。
生き残った彼らにはこの上ない幸福を、肉体が滅びた彼らには魂の安寧を。
一瞬、モードレッドと目が合う。彼は汗を滲ませながらも微かに笑っていた。マーリンの胸がどきりと跳ねる。
「どれ程の悲しみが世界を支配しようとも 歌え・・・」
これは、祈りの歌だ。初代王を始め先祖達が遺したのは、世界樹の浄化ではなく、千年もの間犠牲になり続けてきた人々に対する深い祈りだ。
「楽園の民 彼らは遅らせなければならない この美しい世界の滅びの時を・・・」
人は罪を犯す。他者を害するのが人なら、その手を取って立たせるのもまた人だ。
マーリンにできるのは、祈る事だけ。全ての人が幸せになるように、そして犠牲になった人を忘れないように。
どれくらい時間が経ってきただろう。太陽の位置がだいぶ動いてきた。マーリンは自分の目から涙が流れていることに気がついた。
あと少しだ、あと少しで歌は終わり、術が完成する。
最終章に入った。
一心不乱に歌い上げる。
透き通るような鈴の音がマーリンを奮い立たせてくれるようだった。
目の前には大きな樹。側にはマーリンの術のせいで光を放つオウリが、こちらをじっと見つめていた。さざ波を立てる泉。いつもここから現れては、モードレッドと遊んでいた。
この樹は静かにそれを見守ってくれていた。
(あのとき気づいてあげられなくてごめんね)
マーリンの意識は既に朦朧としていた。いけないと気を引き締める。
すると、腰に手が回された気がした。狭くなる視界でやっと捉えたのは、お婆さんのしわがれた手だった。
『大丈夫じゃよ』
シャン、と、風を切る音が聞こえた。モードレッドだ。彼もしっかりと大樹を見つめていた。まるでこの樹に蔓延った穢れを自分で背負いこもうとするかのように。
マーリンは声を張り上げた。
もうすぐ終わる。
マーリンは残り少ない精神力をかき集めて、ありったけの想いを歌にのせた。 高くなった声に、腰に回されたお婆さんの手に力が込められる。
オウリの目には透明な涙が浮かんでいた。
奇しくも、この場の者全員の思いと、歌詞は同じだった。
「・・・彼らに祈りを」
歌い終わった。
マーリンはゆっくりと深呼吸をした。
あちこちですすり泣く声が聞こえる。
皆、何も言わない。息を潜めて様子を伺っているようだった。
マーリンもじっと大樹を見る。
歌を歌う前とは違って、大樹の色が黒色から美しい白色に変化していた。
「ようやったマーリン、モードレッド王、そしてこの国の者達よ。・・・ありがとう」
オウリがそう言ってニッコリと笑った。
その瞬間、大樹に満開の桜が咲いた。
桃色の花びらが枝という枝を覆い尽くし、その重みでゆったりと下を向く。
「おぉ…あの大樹が花をつけた…」
「美しい…まるで天国にいるようだ!」
「なんと・・・なんという御業だ!!」
爆発のような歓声が辺りに響き渡った。
後ろを振り返ると、兵士、官僚、貴族、騎士関係なく全ての者が、目に涙を溜めて口々に感嘆の言葉を口にしていた。
「これでもう大丈夫じゃ。今日のうちにこの地の穢れは全てのこの樹が浄化するじゃろう」
オウリがそう言うとた途端、マーリンは気怠い体のまま微笑んだ。
「よかった…」
「良くやった、良くやったぞマーリン」
モードレッドが感極まったようにマーリンをぎゅっと抱き締めた。
「モードレッドもだよ・・」
先程オウリが言ったことをマーリンは伝えた。体に回された腕に力がこもる。
「・・そうか」
背中をバシリと叩かれる。レイモンドの手だった。
「頑張ったなお嬢さん、陛下」
「本当に良くやってくれました。陛下の剣舞に見劣りしない、いい歌でしたよ」
ぎゅっとモードレッドとマーリンを丸ごと抱き締めた人がいた。見るとクロウリーだった。目が真っ赤だ。頰にも幾筋の涙の跡がある。マーリンは思わずゲッと呻いた。
「クロウリー、お前その顔、泣いたのかよ?」
レイモンドがギャハハと大笑いする。いつの間にかカールおじさん達も来ていて、周囲は笑いに包まれていた。クロウリーの怒声も聞こえる。
桜の花びらがヒラヒラと舞い落散る中モードレッド達と喜び合っていたマーリンだったが、すぐに大勢の人間に揉みくちゃにされた。
「素晴らしかった」
「あなたのお名前は?」
「心が洗われるようでした」
「吟遊詩人でしょうか。ですがこれ程の腕は聞いたことがない」
「ぜひこの後我が屋敷へ」
色々な人が声をかけてくれる。人混みをおし分けて、何故かこの場にいなかったはずのジュダもやってきて、良くやったねと頭を撫でてくれた。カールおじさんもマーリンを抱き締めてくれた。
『マーリン』
人並みに押しつぶされそうになりながら、ふと横でマーリンの名を呼ぶ人がいた。その声に胸騒ぎがして首を向けると、そこには美しい男がひっそりと立っていた。豪奢な衣服を着ているその人は、陽炎のようにゆらゆらと揺れながら目を潤ませて笑っている。
周囲の音が遠ざかっていった。
この感じ。
口を開くと、息が泡となって空へ上った。周りは気がついていない。目の前の人物は海の水を纏い、そこに立っている。
間違いない、とんでもなく格上。これは神だ。不思議とマーリンが前に海に落ちた時に感じた覇気と同じものを放っていた。
彼は口を開いた。
形の良い唇が、ありがとうと動いた気がした。
瞬きすると、全てがかき消えていて、マーリンは現実に引き戻された。
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