第44話 ジュダ

もみくちゃ状態から、何とか抜け出して、王宮内の林へ逃れた。

あの分だと、モードレッド達とゆっくり話をするどころではないし、質問攻めにされるのは色々と不都合があったからだ。


マーリンが息をつくと、後ろでがさりと足音がした。


マーリンはその気配に向かって声をかけた。


「出てきたらどう?ジュダさん」


木の影から出てきた男は、袈裟越しにうっそりと微笑んだ。


☆☆☆

「楽譜を隠したのは貴方でしょう」


ジュダは先ほどのマーリンの言葉を思い出し、一人嗤った。


確信めいた口調だった。…どうやら彼女は推理力も優秀らしい。

ぼんやりとしているように見えるが、勘も良く、ここぞという時に鋭いのだ。


「…ふふ、だいせいかい」


マーリンが真実に辿りついたところで、どうせあの楽譜はもうない。ジュダが内容を記憶した時点で、捨ててしまったからだ。

証拠はないのだ。だから今更彼女が何か言ったところで、もう遅い。


ふと、森の中に慣れた気配がした。そちらの方に顔を向けると、黒ずくめの人物が音もなく跪いていた。


「正琳か」


ジュダは口の端を歪めた。


「彼女の警護ご苦労だったな」

「はっ。…出番はありませんでしたが。モードレッドも城の者達も、害する素振りはございませんでした故」

「マーリンは危なげないようでいて、悪運が強いからな。無闇に人前で力を使わなかったから、彼女を変な目で見る者もいなかったようだし」


ジュダは笑声を漏らした。滅多に聞けぬ主人の笑い声に、部下はフードの中で驚きの表情を浮かべた。いつになく彼の主人は上機嫌らしい。


「しかし…何故手柄を譲られたのですか。当初の予定では…」


思い切って、部下は気になっていたことを聞いてみた。


「あぁ、確かに本来ならば私があの楽譜を使って黒樹…『千年桜』を浄化するつもりだった。そしてモードレッドを王座から引きずり落とす。そう言う算段だった。だが彼女はこの世界に舞い戻った、唯一無二の同族だ…」


夢見るような声だった。

そう、たった一人の同族なのだ。異大陸へ逃げ込み住み着いた、あの愚かな奴らはナジェイラではない。正しき血、正しき心を持つ本物のナジェイラの同族はマーリンただ一人。


「あの生まれたての子鹿のような彼女が、あれにどう立ち向かっていくのか、見ていたくなってね。失敗すれば私がやるつもりだったが、もし成功すればそれでもいいと思った…。彼女の力の強さにも興味があったしね。別に私にとって大きな不利益はない。私がこの国を手に入れる時期が少しずれたに過ぎない」


主人の真意を知り、ようやく部下は合点がいった。しかしただ一点、主人のあの女に対する心情は図りかねた。同族という言葉も、意味がわからない。


「ジュダ様。貴方様にとって、あの女は何なのでしょう」


しかし答えの代わりに主人から放たれたのは、微かな低い呟きだった。


「うぐっ」


その瞬間、部下の全身から血が噴き出す。身体中を風の刃で斬り付けられ、黒ずくめの人物は苦悶の表情を浮かべた。


「あの女はないだろう?彼女はこの私と同じナジェイラの一族だ。不敬だぞ」


先程とは打って変わって、平坦で冷酷な声がジュダから発せられた。


「すみま…せんっ…でした…」

「…お前に彼女の警護を命じたのは、彼女の命を守るためだ。マーリンに死なれては困るからな。いずれ私の伴侶となる女なのだから」


部下は痛みを堪えながら、そういうことかと納得した。ナジェイラと言う言葉は分からないが、とにかく主人が彼女に執着していることは明らかにわかった。

今まで主人は女に一向に興味を示さなかったので、無意識に除外していたのだ。


「この世界で生きようとする、私の初めての同族だ。それに、彼女をずっと見守っていて愛着が湧いたんだよ。今は無理だが、近いうちに正体を明かしてこちら側に引き入れるつもりだ」


彼はそう言いながら手を降って部下を下がらせた。


誰もいなくなった場所で、大神官はおもむろに袈裟を取った。


その下にあったのは、緩くウェーブした金髪に、深淵のような底知れぬ青の瞳だった。神に愛されたような美貌に、茶目っ気のある目元。

彼もまたナジェイラの一族だった。


あの時、第一大陸に渡らなかった者が一部いた。

彼らは息を潜めながら生活し、人間と交わった。それを重ねていくうちに、いつしか彼らは見た目も能力も完全な人間となり、もはや自分達がナジェイラの血を受け継ぐ者だと知る者もいなくなったのである。


しかし、ジュダは別であった。彼は完璧なナジェイラの民として生まれた、いわゆる先祖返りだった。それを知らぬ親からは忌み子として捨てられたのである。


彼は教会に拾われ、遺跡を調べることによって自らの体に秘められた真実を知ったのだ。



その時彼が考えたのは、この国を乗っ取ること。かつてナジェイラの一族がそうしていたように、自らもまたこの大陸を支配してやろうと考えたのである。人間は醜く、愚かで、驚くほど弱々しい。だから強大な力を持つナジェイラが人間を支配するべきなのだ。過去、ナジェイラは道を誤り、そして人間は愚かにも至上の主人を追い出すという大罪を犯した。ジュダはそれを元の状態に戻すつもりだ。一強の下統制された国を、平和を。


遠くから来た桜吹雪に目を細めながら、彼は部下をその場に置いて歩き出す。



そのためにまず、現政権を打破することを考えた。策を練るのは赤子の手をひねるより簡単だった、すでにこの国には穢れがはびこっていたのだから。ジュダはその穢れをうまく利用することにしたのだった。大主教はとうに修行中という名目で閉じ込められた空間で干からび朽ちているだろう。


マーリン達に譲る形になったが、まだ諦めていない。この国の皇帝から玉座を、マーリンを、奪ってやろう。ジュダは目を瞑った。脳裏に美しい声の少女が浮かび上がる。彼の地に行った愚かな亜種とは違う、真のナジェイラ。合理的で賢く、強い意志を持った唯一の我が同胞。


目を閉じたまま、その愛しい人に向けて、ジュダはうっとりと手を伸ばした。


近いうちに、必ず。


「お前を迎えにいくからね」

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