第35話 進む計画
次の朝、朝食を運んできたのはこの国の皇帝だった。気まずそうに視線を宙に彷徨わせながら口を開いた。
「先日クロウリーから日記の写しを受け取った。目覚ましい進歩だ。礼を言う」
優美な笑みにマーリンはゾクっとした。
「別に・・・」
「剣舞についても、委細承知した。王剣の手入れもさせている。間に合わせておこう。そちらは?」
「私は楽譜を見つけなければいけない。だけど、恐らく間に合いそうにない」
「そうなのか」
「だから、並行して歌詞に曲を付けようと思う」
「そんなこと・・・可能なのか」
「分からない。・・・でも、効果があるか分からなくても、やることは全てやるしかない」
マーリンは笑った。
「それに、昔から勝手に作曲するのは慣れているしね」
★★★
皇帝から鷹を借りて、カールおじさんに手紙を送った。内容は彼の持つ昔の伝承等の資料の依頼である。出来るだけ当時のことが知りたい。
曲作りは蔵書捜索の傍ら、遺跡で行っていた。やはり楽譜は見つかりそうになく、マーリンは既に歌詞となるものが記されている教典を読んでいた。
頭の中で今までに覚えてきた曲とその歌詞を反芻する。言葉と音節との関連、単語と単語の繋がりとメロディラインの関係、教典に記された物語と作者の想い。
ペンを走らせては消して、走らせては消してを繰り返す。
「作曲なんて久しぶり・・・」
その瞬間、背後に気配を感じマーリンはハッとして振り返った。
影が形をなしたように、一人の男が現れた。
背が高く立派な体躯をしているが、気配を全く感じさせない青年だった。端正な顔は表情が乏しい反面、瞳には深い知性の光を宿している。彼の回りだけ音が消えたように静かで、冷たささえ感じられる。
マーリンの目が見開かれる。
昔から変わらない、冬の木立のような男だった。白に近い金髪と薄浅葱の双眼…忘れもしない、彼は。
「ユージーン…。なぜここに」
冴え冴えとした空気を纏わせている男は真顔を崩さず答えた。
「お前に会うために」
相変わらず言葉少なな男だ。
寡黙どころの話ではない。見た目通り、彼は同じナジェイラの一族であった。年次は違ったが、学園にも所属していた。古い付き合いの男だ。
何故か彼は昔からマーリンを嫌わなかった。
「下界だよ?そんな簡単に行けるところじゃない。私が昔使っていた泉も埋められた」
呆れた声を出すが、目の前の男は無言を貫いた。答えが帰ってこないのはよくあることなので、話を続けた。
「なぜ私に会いに?連れ戻しにでも来たの?」
笑いながら男に近づいた。相変わらず男は真顔だ。彫りの深い端正な顔はピクリとも動かない。彼の身体からは深い森の匂いがした。
「そうだ」
その答えにマーリンは笑いたくなった。
「なぜ。今は都合よく死んだことになってるけど、戻ったら私は今度こそ殺される。それを分かって言ってるのかな」
この男の考えはいつも読めない。気が付いたら側にいる。マーリンなんかに構っても時間の無駄だというのに。今回も相変わらず、ついてきたという。
「遅くなったが、お前が安心して暮らせる住みかを整えた」
両肩に大きな手がそっと乗せられた。彼は纏う空気に反して、実は体温が高い。手から柔らかい熱が伝わって全身をめぐった。
「え…?」
「一族のしがらみも神々の命令もない場所だ。お前はそこで、自由に歌って暮らせ。綺麗な場所を選んだ。きっとお前も気に入る」
やけに饒舌だ。動きの止まったマーリンの首もとに頭を埋めたユージーンは感情を押し殺したような声で囁いた。
「ユージーン・・・なぜいつも貴方はこんなに優しいの」
彼は無言だった。
「・・・それもいいね。でも今は・・・」
「わかっている。この国問題とやらに首を突っ込んでいるのだろう」
「う、うん…個人的に今はそれを頑張りたいの」
「俺にできることはないか」
ユージーンは何を考えているのか、本当に分からない男だ。いつもマーリンのために骨を折ってくれる。それが申し訳なくて、嬉しくて。でも甘えちゃいけないとも思っている。だが事実、彼は有能な男なのだ。
「私が投獄された時、この国の皇帝をナイフで殺そうとした人間がいた」
マーリンは事の顛末を説明した。
「で、ここからが推測だけど、十中八九、犯人はナジェイラ」
「だろうな」
「あの世界で今も生きていると思う。そいつを探し出してくれる?」
真剣な瞳と目が合った。
「いつも迷惑かけてごめん」
「迷惑じゃない。了解した」
「ありがとう…。当たりは少しだけどついてる。ねぇ、ユージーン。私のことを密告したのは誰なのかな。下界に出ていることはまだしも、力を使った事をなぜその人は知っているの…?」
ハッとしたように男は表情を厳しくした。
「…なるほど」
体温がそっと離れる。男は踵を返して出口へ向かって歩いていった。
「証拠が揃ったら報告する」
返答を求めない声が、その場にこだました。
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