第31話 黒樹とオウリ

次の日も、部屋に運ばれた朝食を手早く口にしたマーリンは、遺跡に向かった。

王城の裏にある広大な神殿跡。ここは時間が凍てついたようだった。流れる空気は太古の昔から変わっていないように感じられた。それ程の何かが、この場所にはあった。


地下の入り口に向かう前に、マーリンは昨日見た黒い大樹の元に向かうことにした。不思議と興味が惹かれ、間近で見てみたいと思ったからだ。王城の近くの筈なのに、不思議と音のない世界。草を踏みしめるマーリンの足音だけが穏やかに響く。


木々の間を縫って暫く歩いた。ようやっと泉が見えて、その先を暫く歩くと、目的の大樹に辿り着いた。


「何と禍々しい・・・」


樹齢は何年だろうか。数千を超えているのかと思う程、その樹は大きかった。だが、漂ってくる澱みが凄まじい。マーリンは全身の肌が泡立った。その樹は思わず「黒樹」と名付けてしまいたくなるくらい、全てが真っ黒だった。

小さな葉っぱから枝、そして人間が6人居ても取り囲めないくらい太い幹も。いや、それだけではない。樹の周りを小さな黒い羽虫が大量に集まっているように見えた。ブンブンと耳障りな音を立てる黒い群れが大樹を取り囲んでいた。そう見えるのはマーリンだけだろうか。


ふと、魔獣の記憶が頭をよぎる。


「この樹も穢れているのかな」

「その通りじゃ名探偵」

「あれ、何か今幼女の幻聴を聞いたような」

「幻聴ではない!そして妾はお前より百万倍も歳をとっているわ、たわけ!」


あれ、会話が成立した。幻聴じゃない。恐る恐る声がした方を見上げた。

黒樹の中から薄汚れたピンク色の小さな頭が見える。歳の頃は6,7か。目を凝らしてよく見た。ピンク色のおかっぱ頭に、真っ黒に汚れたぼろを纏っている。何処か品のある顔立ちだが、勝気そうな表情が目立つ幼女だった。大きなピンク色の瞳、小さな鼻と口。腕を組んでこちらを見ている。人間には見えなかった。


「あなたは・・・?」

「ふん、教えてやろう。妾はオウリ。この樹の精霊じゃ」


故郷では精霊を見ることは日常茶飯事であったが、下界で会うのは初めてであった。樹齢から考えて、なかなかの強さだろう。しかしながら、身に纏っているものの汚れ具合から見て、この樹の状態が良くないことが分かる。


「オウリ様」

「うむ!久しぶりじゃの!ムッツリ皇子との逢引以来か」

え、知ってたの?

会った覚えがないという事は、一方的に見られていたということか。力が強ければ樹の精霊でも周辺を自由に歩いて回れる。


(何となく恥ずかしい・・・)


「ご覧になっていたのですね。おいで下さいましたらご挨拶申し上げましたのに」

「妾の趣味は覗き見だ!!」


後ろにドーンという効果音が可視化して見えた・・・気がした。幼女の顔をして中身は恐ろしい。


「じゃから、勿論そちの名前は知っておるぞ?ナジェイラのマーリン!」


会話の内容まで聞かれていたということか。顔が熱い。


「左様でございます。ナジェイラの一族に生まれまして、今は故郷から逃げてきたマーリンと申します。失礼ですが、オウリ様とお呼びする許可をいただいてもよろしゅうございますか?」


基本的に精霊は人間より格上だ。加えて目の前の精霊は随分力が弱まっているが、少なくとも中級・下級のレベルではない。精霊や神は気まぐれであると同時に、自尊心が高い。丁重に接しなければ要らぬ怒りを買うことになる。


「うむ、許す」

「ありがとうございます。オウリ様、私はこの大陸に来て初めて貴女様のような存在にお目にかかりました。ここには精霊や神々はいらっしゃらないのですか」


折角なので疑問をぶつけてみた。


「おる。数が少なく、普段は目に見えないだけじゃ。ナジェイラの目でもっても本気で隠れた我々の姿は捉えられのうて」

「左様でございますか。それでは何故オウリ様は、私の前に姿を現してくださったのでしょうか」


スタっと軽やかな着地と共に、ピンク色の精霊が降りてきた。キュルンとした瞳にピカピカとした肌、蝶々結びにした長い髪をした幼女は、そのままだと攫われてしまうくらい可愛らしかった。その喋り方とツンとした態度さえなければ。


「お主に頼みたいことがあるからじゃ。見よ、この樹の有様を。妾のでっかくておっきくて美しいやつが台無しじゃ!治してくれ!」


幼女らしい舌ったらずな声が言葉を紡ぐ。


(語彙力・・)


確かにこれではゆっくりと大樹とオウリは死んでいくだろう。穢れを取り除かなければいけない。しかし・・・

「穢れを取ることはできます。ですが・・・私には、オウリ様の樹がこの周辺全ての穢れを引き受けているように感じます。これは特別な存在なのですか」

「然り。よく分かったの」


オウリは得意気に頷いた。


「ここら一帯どころではない。人の子がヴァルハラ帝国と呼ぶところ全てを請け負っておる」

「まさか。それほど広いとは・・」


ジーン達から聞いた所によれば、ヴァルハラは大陸一番の広さを誇るという。彼女の話が本当だとすれば、この樹の浄化能力はとてつもないことになる。まさに、この国を支える柱だ。


「だが万能ではない。現に、この樹は国の浄化を果たしきれなくなってしもうた。本来ならば、地中の根から悪しきものを吸い取り、樹の中で清め大気に放出する。じゃが、ここ千年もの間浄化していくうちに色々とガタがきてな」

「千年も・・・」

「長い間役目を果たす。じゃからこの樹は定期的に手入れが必要なのだ。そして、代々その役目を担って来たのがお主らナジェイラであった」


マーリンは驚いた。遺跡の書庫で読んだ話と、どこかで繋がる気がした。


「初代国王、ウーゴ・・・」

「そう、そんな名前じゃった。逞しい体つきのいい男だったぞ。ナジェイラは気に入らんかったが、奴は惚れ惚れするような人間じゃった」


にひひと、千年も前の話を昨日のことのように話すオウリは、確かに永きを生きる精霊だった。彼女には聞きたいことが山積みだ。


「話が逸れてしまいますが、現在ナジェイラはこの大陸におりません。それについて、何かご存知なのですか」

「人の伝承はすぐ廃れるのじゃな。呆れるわい」


オウリは小さな肩をすくめ、ため息をついた。


「ウーゴが死んで何十年か経った後じゃった。反乱が起きて、ナジェイラが皆殺しにされる危機に陥った。本来ならばそんな些末ごと捨て置くのじゃが、その力故に見過ごせなくてな。今回のように人の世が滅ぶのを憂いた神と、純粋にその歌を愛した神が奴等を遠くの地へ逃した」


それが今のお主の故郷じゃ、と鈴のような声で彼女は言った。

マーリンは音の響きから会話の嘘を見破れる。だから、彼女が語る歴史は本物だと分かっていた。呆気に取られた。自分は、いや自分達は井の中の蛙だった。ナジェイラの伝承にはそのようなことは一切語られず、かの大陸で生まれた高貴な一族だと語られて来たのだ。


自分の受けてきた教育や常識が揺らいで崩れて、もう何もかも信じられなくなりそうだ。マーリンは気分が悪くなるのを感じて、オウリに礼を言うと無理矢理話を元に戻した。


「ご覧のように、千年前と違い私は一人です。この大樹を何とかできるとは思えません。どうすれば良いのか・・・」

「依頼は妾の樹の浄化じゃ。一度穢れひとつない状態にしてほしい。そうすればまた千年保つ。やり方はのう・・・うーむ。ウーゴらは確か」

「確か?」

「不思議な歌を歌い、ウーゴは剣舞をしていたのう」


剣舞ですか、マーリンは呟いた。それはあの王剣を使ったのだろうか。


「神楽のようなものを奉納したということでしょうか」

「人の世では、そう言うのか。まぁ多分そんな感じじゃ」

「その時の歌と、剣舞の内容は覚えていらっしゃいますか・・・」

「うむ、知らん!」


ドヤァ!!

またもや幼女の背後に文字が見えた。


(ですよね・・)


「ということは、今私がやるべきことは昔の文献を漁ってその内容を知ることですね。猶予はどれくらいありますか」

「一ヶ月」

「一ヶ月!」


心許ない期間だ。トントン拍子に行くとは限らない。剣舞はモードレッドに任せるつもりだが、練習してもらうのにも時間がかかる。そも文献も見つかるか分からないのだ。


「我だってお主のような小娘に頼むなど嫌なのじゃ。じゃが今この大陸にいるナジェイラの少なさが悪い。仕方なかろう」


マーリンはその言葉にひっかかるものを感じた。


「それって・・・」

「言わぬ。お主の考えなど手にとるようにわかる、が今はどうでもいい。お主の火急の仕事は浄化じゃ。それとこれとは関係がない。後にしろ」

「しかし・・・」

「関係がないと言ったじゃろ。いい加減にせい」


ピリッとした怒気がオウリから発せられた。これ以上言う必要はないらしい。マーリンは肩を落とした。


「かしこまりました。関係ないとのことでしたので、ひとまずご依頼内容に集中致します」

「すまんな。お主一人に任せてしもうて」


怒りを解いた幼女はぷいとそっぽを向いた。

「とんでもございません」


マーリンはナジェイラ独自の敬礼を取った。両手を組み合わせるこの国のそれとは大きく異なる。胸に手を当て、片膝をつき頭を垂れる。


「善処します」

「善処か!」


呆れたような、全てを分かっているような笑い声が静かな遺跡にこだました。

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