第19話 再会
「もっと静かに入れないのですかこのバカ騎士」
温かな室内に入ると、部屋の大きさに反して人間は2人しかいなかった。
豪奢な衣服をまとった2人の人物が長テーブルで食事をしている。白銀の髪を横で三つ編みにした男が、手にしていたナイフとフォークを置いて、こちらを睨んだ。
「おや、こちらの娘は?」
その三つ編み男がマーリンのほうに目を向けた。その声に、黙って食事を続けていたもう一方の男が顔を上げる。赤に近い黒髪。鋭い視線がぶつかった。
その顔を見て、マーリンは心臓が止まるほどの衝撃を覚えた。
相手も驚愕と衝撃に満ちた表情でこちらを見ている。
まるで死者に再び合間見えたかのような顔だった。その男は、黒色の布に金銀の糸が織り込まれた衣服を、ゆったりと着こなしていた。体格の良い体からは、まだ青年の域を出ていないのにもかかわらず、他人を自然と跪かせるような威厳が漂っている。濡れ羽色の髪の下には灰色の瞳が光り、絵画のように美麗な顔立ちに色を添えていた。
静謐な雰囲気をたたえているが、その奥に隠しきれない獰猛さが見え隠れしている人物であった。
(雰囲気は変わった。でもその顔は忘れるわけがない)
「モードレッド?」
「…!」
カチャリ、とフォークが皿に落ちる音がした。
その瞬間、椅子が剣呑な音を立てて倒れた。泣きたいような、怒りたいような、何とも言えない表情を浮かべて、男はマーリンに向かって突進するように距離を詰めてくる。
気づいた時には鼻の先が触れ合いそうな程前に彼の顔があった。
「マーリンか…⁉」
ひどく掠れた声にマーリンはゾクリとした。肩を掴まれて揺さぶられる。横で呆気にとられていた二人の、慌てた声が遠くから聞こえた。
「お、おい、どうしたんだよモードレッド」
「まさか…陛下、知り合いなのですか」
裾の長い服を着た三つ編みの男が、信じられないというように首を振った。それにも答えず、男はなめるようにマーリンを見ていた。
「どうなのだ、マーリンなのだろう⁉」
至近距離で叫ばれて、マーリンは動揺を通り越してぼんやりとした。久しぶりの再会には、涙が出るほど嬉しかった。
(あの三つ編みの人、『陛下』って呼んだ…。という事は、モードレッドは王様だったの…!?)
マーリンはギョッとした。
だがモードレッドがこの国の王だという事は驚きだったものの、彼が身分の高い人間だという事は昔からうすうす気づいてはいた。それに王だからといって、自分とモードレッドの関係が変化するわけでもないし、マーリンにとってこの事はさほど大きなことではなかった。
それよりもマーリンを混乱させたのは、今の彼の異常な態度であった。確かに長いこと離れていたが、会えなくて狂う程のものだろうか。確認しなくてもマーリンだという事は一目瞭然なのに。
マーリンはこの状況に微かな違和感を覚えた。
モードレッドの肩の後ろに見える、この部屋の光景が頭の中でグルグルと回っている。閉ざされた臙脂色のカーテン、真珠色のテーブルクロス、金の燭台、白塗りの壁、部屋を満たす暖かな橙色の光…
くらくらしながら答えた。
「そうよ…」
「…っ‼」
彼−モードレッドは肩を揺さぶるのをやめたかと思うと、いきなり骨が軋むほどの力で抱きしめてきた。格調高い香の香りに混じり、懐かしい香りがマーリンの鼻腔を満たす。側近の二人が息を呑む音が聞こえた。
「マーリン!会いたかった…!」
王の口から出たのは、血を吐くような叫び声だった。そこに込められた感情の激しさに、マーリンの目頭が熱くなる。嬉しい。
「わ、私も会い――」
しかし、その言葉は最後まで続かなかった。
「よくものこのこと俺の前に姿を現せたな…マーリン」
首にひやりとしたものが触れた。首元にかけられているのが彼の両手だと分かった時、そして見上げた彼の目が激しい警戒と敵意に満ちていたのを知った時、マーリンはひゅうひゅうと風穴を開ける心を感じながら、思った。
何かがおかしいと。
「魔女め…」
マーリンの首を掴みながら、ぶわりと剣呑な空気がモードレッドから発せられる。大きな獣がその鋭い牙を垣間見せたかのように、殺される、という本能的な恐怖がマーリンを襲った。その両手はただ首に添えられているだけで、何の力も入っていなかったが、ねっとりとマーリンの細い首に張り付いて離れなかった。
マーリンはそれでも何とかしてその手を外そうとしながら、震える声で聞いた。
「どういうこと、モードレッド…⁇」
訳が分からない。マーリンの親友は会わない間に何を誤解したのだろうか。
「おい女…陛下の名を気安く口にするな」
すかさず先ほどの銀髪の男からの叱責が飛ぶ。
「ちょっと待て、まさか…お前が陛下の古い友達か」
レイモンドが首を傾げて言った。その表情は意外だと言わんばかりだった。彼の言葉をモードレッドが否定しないのを見ると、もう一人の側近がハッとした顔になる。
「貴様…あの時の暗殺者か…?」
「え?」
(あの時…?アンサツシャ?)
意味は分かるが、聞き慣れない言葉に、マーリンは手を外そうともがくのも忘れ呆気にとられた。
「陛下の言う通りだ、自殺でもしたくなったのか?陛下、即刻牢屋にぶち込みましょう。それとも今ここで始末しますか?」
剣呑な声に、マーリンはビクリとした。全く身に覚えのないこと命まで奪われそうなこの状況に、頭の処理が追い付かず、夢でも見ているのかと思った。
「…」
モードレッドはそれには答えずに、尚もマーリンの首に手をかけたまま、じっと見つめていた。その無感情な瞳がマーリンの心を見透かそうとしているのが分かった。.
「ちょっと、取り敢えずお嬢さんを放してやれ。怖がって何も言えなくなっているだろうが」
レイモンドがマーリン達の間に割って入ると、モードレッドの手を無理やり外させた。手は中々離れなくて、揉み合いになったが、無言のやり取りの末やっと外された。解放されたマーリンは、尚も自分をじっとりと見つめ続けるモードレッドから離れるように、数歩後ずさった。
「こいつに弁明の機会を与える必要はない。すぐに尋問して、速やかに処刑するべきだ!陛下に身を偽って近づき、5年前に陛下を刺し殺そうとした女だぞ」
「え、それってどういうー」
「とぼけるな!陛下は我々がお前に会うことをお許しにならなかったが、その時に無理を言って貴様に会っていれば良かった。そうすれば遠い場所から来たなんて嘘をついて陛下の命を狙っていたお前の正体をすぐに明かし、この手で殺してやれたのに…!」
三つ編みの男は怒り狂っていた。
「まぁそう焦るな。いつも冷静さはどうした、クロウリー。俺は俺たちが何か重要な誤解をしているのだと思うのだが」
ため息をつき、頭をかきむしるレイモンドを見ながら、マーリンは恐る恐る口を開いた。
「どういう事でしょうか?私が身を偽ってモードレッドに近づき…あまつさえ殺そうとした?」
「違うのか」
ポツリ、と声がした。振り向くと、虚ろな目をしたモードレッドだった。
「何の事ださっぱり分からないわ。私は何もしていない。5年前と言ったわね…確かに私は刺された貴方のそばにいたけれど」
声が震えた。
「だけど、それは刺したんじゃない。泉から出てきた時、胸に短剣を刺されて血を流している貴方を見て、治そうとしたのよ」
部屋に沈黙が訪れた。
「治そうとした…?」
モードレッドが呟いた。
「嘘だ。我々が駆けつけた時、陛下の胸に刺された傷があり、傍には血に塗れた短剣が転がっていた!治療だと?確かに内臓や太い血管に損傷は無かったが、治療があと少しでも遅ければ、陛下は失血死していた…ふざけるな!」
クロウリーの逆鱗に触れたらしく、彼はスラリと己の剣を抜いた。慌ててマーリンは続けた。
「ごめんなさい。混乱してきっと治療が不十分だったのね・・・。毒だけは消せたけど、止血が途中になってしまった…ごめんなさい、すぐに戻らなきゃいけないと焦った」
あの時短剣には致死量を遥かに超えた猛毒が塗り込められていた。浄化があと5秒遅かったら手遅れになっていただろう。内臓と大動脈は治療できたものの、中途半端だった。止血が間に合わなかったことで彼を死の淵に追いやってしまった事を知ったマーリンは、胸がえぐられるような気がした。自責の念が心を苛む。
(向こうで泉が埋められる音がしたんだ。治せたと思っていた。慌てて戻りさえしなければ、きちんと確認していれば・・・)
「毒?剣を調べたがそんなものは塗られていなかったぞ」
レイモンドが首をかしげる。
「近くにあった短刀も治療の時に解毒されたのかと」
「何を言っている?ともかく、証拠がないだろう。陛下を刺したのは貴様ではなく、その剣には毒が塗られていて」
クロウリーは言葉を切るごとに、剣をマーリンの方にグイグイと押し付けた。マーリンはギョッとして後ずさった。
「それで貴様は、治療とやらをしたが、完治させる前に戻らなければならなくなってその場を去っただと?馬鹿馬鹿しいにも程がある。俺達を舐めているのか。それになぁ・・・」
クロウリーのほっそりとした美貌は憎悪に歪んでいた。しかし、そんな表情も、思わず見惚れるほど美しい。レイモンドが言いにくそうにクロウリーの言葉を引き継いだ。
「陛下は犯人の顔を見たんだ。朧げだが・・・金髪と青い目の女が刺してきたと陛下が仰っている。あの場所には普通の人間はまずは入れないし、容姿だって陛下の目をごまかせるくらい似せられる人間はいないだろう。特にお嬢さんのように不思議な色をしている人間は特にな。これについては何か弁解することはないか?」
それを聞いて、マーリンは弾けるようにモードレッドの方を見た。先程から亡霊のようにただ立ち尽くしている彼は、目が合うと静かに頷いた。一筋の光が溢れたのは気のせいだろうか。
とても傷ついた表情をしていた。
それを見て、マーリンは彼の言っていることが真実であると感じ、背筋が凍る思いがした。
「私じゃない。私の姿ならモードレッドを油断させることができると思った暗殺者が変装した可能性は考えなかったの?こう…どうにかすれば私に似せる事も不可能ではないでしょう?ねぇ、色が同じであれば全部私なの?」
この時の気持ちをハッキリと言おう。落胆だ。何故こうも信用がないのか。なぜこんな馬鹿げた推理をしているのか。
なぁ、モードレッド。
「では具体的にはどうすれば似せられるのだ?かつらを使ったとしても、金色に染める技術は我が国にはない。青い目はどう説明する?それを証明できなければお前の疑いは晴れぬ」
クロウリーが馬鹿にするような口調で言った。
「証拠証拠とうるさいな」
「不敬だな。言い訳するならもっとマシな事を言え」
無理だった。マーリンは数日前にここに来たばかりで、本当に何も知らないのだから。あの日のことも彼らに言ったことしか知らない。何もわからない。何かを言えば言うほど疑いが濃くなるし、マーリンには打つ手がなかった。
本当に泣きたくなった。城に着いて、せっかくトントン拍子に進むと思ったのに。このままじゃ殺されてしまう。
もういいや、とマーリンはついにヤケになった。
「…信じてくれないのならそれでいい。その下手くそな推理を後生大事にしているといい。真犯人は上手い具合に逃げおおせたとほくそ笑むでしょうがね」
マーリンは顔を上げ、豊かな金色の髪をかき上げた。憎きクロウリーの顔面に神が当たるように細心の注意を払った。
驚いた様子のモードレッドは、その優美な眉尻を下げた。
マーリンは悲しかった。
「せっかく会えたけど、モードレッド。ここで終わりみたいだ。また仲良く遊べると思ったのに、うまくいかないね」
私は今、うまく笑えているだろうか。
「私はこの国を出る。さよなら、モードレッド」
皇帝の瞳がひどく揺らいだ。
「貴様は今から牢屋だ。戯けたことを言うな」
クロウリーの言葉をマーリンは強い口調で遮った。
「これ以上こちらの事情について話すつもりはない。ウィルたちへの恩があるから、この国異変への対処は最低限果たすわ」
(外国で)
「何だと?」
「レイモンド様の父上の文を読んだ?私には魔物を倒す力がある。だから、ここで私を拘束したり殺したら、この異常現象の収束に関われる可能性を失う事になるのでは?あれ、このままではこの国は滅んでしまうのでは?」
虚勢を張って、驚いた顔の三人にニヤリと笑ってみせた。
「あなた達にはできない。この国を救いたい気持ちがあるのなら、つべこべ言わずこのマーリンに協力しなさい。協力しないのなら今ここでお前らの頭をいじって私は逃げる」
挑戦的な物言いに、クロウリーがマーリンの胸倉をつかんで引きずりあげた。息が詰まったが、マーリンは彼の瞳の奥に、焦りともとれる光があるのを見つけ、笑みを深くした。
彼だって、魔物に関しては手をこまねいているのだ。先ほどまではなかった迷いが彼の心のうちに生じたのを察し、マーリンは『いけるかもしれない』と思い始めた。
「この…魔女が…今すぐお前を八つ裂きにしてやりたい。どこまでも癇に障る奴めっ」
「それは精神衛生上良くない。記憶を消してあげようか?」
「このっ!!」
「やめろクロウリー」
モードレッドの声がした。
「確かにレイモンドの父の文の内容は捨て置けぬ。それに、お前が察している通り我々は魔物に関しては万策尽きている…。よかろう、お前の刑の執行を猶予しよう」
「モードレッド様!」
クロウリーはマーリンを突き飛ばすと、悲鳴のような声を上げた。
「うるさいぞクロウリー。取り敢えずこいつが魔物を倒した話が本当ならば、下手に処罰するのはよくない」
「モードレッド…」
マーリンは説得に応じてくれたモードレッドに心の中で感謝した。
「まだお前を信用したわけじゃない。あの時確かに、私はお前に刺されたのだからな」
マーリンは口を噤んだ。歪んでしまった。何もかも。
「…それでもいい。今となっては私はこの異変を解決するためにここにいる。被疑者のような扱いは甘んじて受けるよ。・・・終わったら逃げるけど」
こういう扱いは慣れている。
「だから下手人が、まんまと逃げられると思うか?」
「クロウリーの言う通りだ。私を裏切ったやつは万死に値する。お前は後でじっくりと尋問してやろう」
「…」
マーリンは目の前が真っ暗になった。
「ではこうしよう。私がこの問題を見事解決すれば、その過去の罪とかなんとやらを免じてくれるっていうのは?真犯人も同時に探す!」
「…」
「交換条件か。いいねお嬢ちゃん」
面倒臭そうに聞いていたレイモンドが笑い声をあげた。
「口の回る奴め。国の一大事だというのにそれを交渉の条件にするというのか」
「私はこの国出身ではないもの、クローリー様。見ればわかるでしょう?」
再び見せつけるように髪をかき上げると、ぴしゃりとクロウリーの顔に叩きつけた。
「それに、せっかく協力しようと思ったのに、国のトップからは犯罪者扱いされるし。やる気失っちゃうわよ。割に合わないじゃない」
「じょ、嬢ちゃん……おいおい無理してるよ可哀想じゃねぇか、お前ら信じてやれよ。どんどん悪い方向に行ってるぜ、話が」
レイモンドがこめかみに手を当てて首を振っていた。レイモンドは信じてくれているようだ。マーリンは好感を持った。しかし他の2人はマーリンを睨みつけている。
「…いいだろう。お前が魔物をこの国から永遠に消し去ると言うのなら、特別にそれを呑んでやってもいい。先の事件も、もう一度改めてみよう」
どれくらいの時間が経っただろうか。重苦しい沈黙を破ったのはモードレッドの弱弱しい声だった。クロウリーは不満そうに口を開きかけたが、王の鋭いまなざしを向けられて噤んだ。レイモンドはにっこりと頷いてくれた。
(ひとまずしばらくの身の安全は確保できたと)
つり橋を渡った後のような緊張感がマーリンを包んだ。これからいろいろな意味で長い戦いになりそうだ、と内心ため息をついた。心がジクジク痛むのは気づかないふりをした。
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