第17話 王騎士レイモンド

その日は夜まで走り続け、王都にほど近い中小都市についた。そこでレイモンドが宿をとった。


「ここは俺の馴染みの宿だ。飯が美味くて風呂が広い」


背中を押されてマーリンが案内されたのは、ローズブレード家の寝室の三倍はあろうかというくらいの大きな部屋だった。家具も調度もよく手入れされており、とても温かみのある空間だった。

通りに面した窓からは西日が差し込み、街の雑踏が微かに聞こえる。小さなテーブルとイス、そして大きな天蓋付きの寝台がその場所に置かれていた。布団がかなり分厚く、枕も座布団のように大きい。本棚まである。風呂は共用で一階にあるらしい。食事も一回にある食堂に食べに行くという事だ。


「さっきからずっと走りっぱなしで名も名乗ってなかったな。俺はレイモンドだ。城で王の騎士をしている。で、貴様は?」


レイモンドが荷物を椅子にドサリと載せながら言った。


「マーリンです」


そろそろと宿の寝台に座ってみる。ものすごくふかふかだ。これで寝れば一日中眠っていられそうだ。


「マーリンか。良い名だな」


レイモンドは白い歯を見せて微笑んだ。男らしい魅力的な笑みだ。無意識なのだろうが、振りまく色気が凄い。これは確実に人身掌握に一役買っている。今回のような強引な要求もその容姿や人柄で呑ませてきたのかも知れない。


「そうですか」

「お前は髪の色も目の色も見たことがないような色だな。こんな色彩をもつ人間は、この国に誰一人としていない」


口元は緩めたまま、レイモンドは射るような目でこちらを見た。


「そのようですね」


またマーリンの出身についてややこしい説明をしなければならないのか。面倒くさいな、どう説明したものかとマーリンが考えていると、レイモンドはさらに質問を続けた。


「魔物を倒したというのは本当だろうな?」


どうやらこれが本題のようだ。レイモンドは荷物が乗っていない方の椅子を自分の方に引き寄せて座った。寝台に腰かけたマーリンと向き合う形になる。またもや圧倒的な存在感に押され、マーリンはゴクリと唾を呑んだ。


「えぇ」

「そうか。親父からの手紙で先日のことについては大体の事情は聞いている。俺はまどろっこしい会話はしたくねぇ。だから単刀直入に聞くが、」


レイモンドの大きな指がマーリンの顎にかけられた。そのまま有無を言わさぬ力で持ち上げられる。ハシバミ色の瞳が碧玉をとらえる。


「お前は一体何者だ?」


ゾッとするような低い声だった。そんなに警戒することは何もないのに。こんな落ちこぼれの小娘ひとり。マーリンは笑った。


「遠い外国から来た何の変哲もない少女です」


レイモンドはずっこけた。


「突っ込みどころ満載なんだがな…この状況でそれ言うか?それだけ世間知らずなんだ。はぁ、外国とはどこだ?遠いというならグルジョアか?リギアスか?…それともまさか、鎖国している那智帝国か?」


マーリンは首を振った。


「いいえ。海の向こうの国です」


案の定「海の向こう」と聞いて、栗毛の騎士は驚いたように眉をひそめた。さらに質問される前にマーリンはローズブレード家に説明したのと同じ内容を彼に話した。

 

★★★


話し終えると、レイモンドはマーリンが今まさにタップダンスを踊り出したかのようにポカンと口を開けて、こちらを見ていた。手紙にはその旨書かれていなかったのだろうか。レイモンドは一瞬の沈黙の後、しかし弾けるように笑いだした。

「本当だとしたら嬢ちゃん、それはそれはすげえ話だなぁ!信じらんねぇ…!」


 吠えるような笑い声は廊下まで聞こえそうだ。マーリンは眉をひそめた。


「信じてくれないの?」

「俺だって色んな人間を見てきた。だからあんたが嘘を言っているようには見えないんだが…、あんたの髪色もめちゃくちゃ珍しいし。だがお前の話を裏付ける証拠も無いし、いくつか疑問点がある」

 

面白そうに口の端を歪ませながらレイモンドは言った。


「まず一つ、なぜ言葉が通じるんだ?この大陸の歴史を見る限り、別の大陸の人間と交わった記録は一切ない。海の向こうに土地があることは、渡り鳥の存在から推測しただけで、まだ誰も別の大陸があることを証明していないんだ。俺たちにとって、海の向こうは神話やおとぎ話の世界に出てくるだけの存在だ。そんなところから来たというお前がなぜ俺たちと同じ言葉を話す?

第二に、この国への適応が早いところがおかしい。うちの実家で何日か暮らしたときに教わったにしてもな。隣国のアルキオネ出身の奴でさえこの国に来てからに三カ月は何も分からず挙動不審だったぞ?それなのにお前は服の着付けも完璧だし、ちと特殊なこの宿のドアもすんなりと開けている。確かに、町並みにはキョロキョロしていたが、初めて来たにしては妙に慣れ過ぎているんだよ。

第三に、気を失った女が、生きたままこの大陸まで漂流してくるなんてあり得ねぇ。どれだけの距離を流れてきたんだよ、しかも一日足らずで。ただでさえここらの海は荒れているし、人を食う魚もうじゃうじゃいるんだぞ。知らねぇかもしんねぇが、だからあの地域に面した海は『死海』と呼ばれている。いいか、その死海から上がってきたなんてお前それ人間じゃねぇぞ」


指を三本立てながらレイモンドは立ち上がった。マーリンを見つめて部屋の中を歩き回る。軍靴の音がカツカツと辺りに響いた。肉食獣で獲物に品定めされているようで、マーリンはゴクリと唾を呑んだ。


「第四に、これは完全なる俺の感情なんだが、お前のそのぽやんとした顔じゃ、とても一人で大陸を渡るなんて大それたことするようには見えねぇ…」

「な…何?私のどこがぽやんとしているの?」

 

突然の言葉にマーリンはむっとして声を上げた。しかし全く意に介さないようにレイモンドは肩を竦めた。


「お前はどこから見ても、つらい経験をせずに育ってきたお姫様だよ。確かにちょっと痩せてはいるが手も全く荒れてねぇし、顔つきも世間慣れしてなさそうだし…。俺に群がってくる貴族の女どもに似ている――」

 

容赦ない物言いにマーリンはにっこりと笑った。そしてその失礼な騎士の頬に右ストレートを打ち込んだ――…。


「うおっと!気が強い女は嫌いじゃないが、お前の細腕で俺に傷をつけられないぜ?」


頬に当たる寸前で手を掴まれる。剣だこの多い大きな手だった。マーリンはギリギリと歯ぎしりした。その様子にレイモンドが満足げに笑うと、マーリンの手首に包帯が巻かれているのに気づいた。


「何だ、怪我しているのか?」


掴んで済まなかったな、と呟くとレイモンドは手を放した。その労りに満ちた手つきにマーリンは少し意地悪がしたくなった。マーリンは無言で手首を掲げると、レイモンドの前で包帯をするりとほどいてみせた。


青黒い痣が露わになった。それを見たレイモンドは、眉間の皺を深くした。経験豊富な騎士である彼には一目でこの痣の意味が分かるらしい。


「お前…これは…?」

「牢に入れられていた。貴方の言う通り・・・ぽ、ぽやんとした私がふらっとこの大陸に来たのは、所謂訳ありだから」


マーリンは言った。レイモンドは俊敏な動きで身を起こすと、手を掴んだ。痣を見ると、これまでとは違う険しい目つきでマーリンを見つめた。


「これで信じられる?」

「この痕…一体何年だ」

「さあね。覚えてないわ」


レイモンドは口の端を歪めた。今までマーリンに向けていた雰囲気が、庶民の女に対するものから、男に対するそれにガラリと変化したような気がした。まるで牙をしまっていた獣がその凶器を露わにしたようだった。

本能的な恐怖がマーリンの背筋を這い上った。男に対するもの、否、制圧すべき敵に対する殺気のようなものが僅かにレイモンドの体から放たれ、ビリビリとした空気が辺りを支配した。

「その痣のつき方は数か月かそこらじゃねぇな。お前、それほどの刑をなぜ受けた。殺人でもしたか?え?」

「人殺しとは失礼な。ヘマしただけ。この国では罪にもならないことが我が一族では罪になることがある」


マーリンは言葉を選びながらゆっくりと言った。レイモンドは掴んだ手を離さないまま、眉だけを上げた。


「ヘマとは?」

「…」


出来るだけそれを言わずに話を終わらせたかったのに。マーリンは内心ため息をついた。レイモンドは満足のいく答えが得られるまで放してくれない様子だった。

細かいことは話さずともよき友人になれたウィルとジーンと違って、王の側近となれば流石に話は違うらしい。それでもマーリンは話したくなかったので、黙ってやり過ごそうとした。


「何をしたんだ?罪にならないんだったら話してもいいじゃねぇか。なぁ、話してくれよ。そうじゃなきゃ余計疑っちまうぜ」


部屋に沈黙が訪れた。街の雑踏がやけに大きく聞こえる。陽は既にとっぷりと沈み、夜が訪れていた。部屋を照らすのは、テーブルに置かれた燭台の橙色の炎だけだった。マーリンはため息をついた。もう仕方がない、マーリンは覚悟を決めた。

「まぁ、あなたに話しても下界に見向きもしないあいつらに漏れることはないしね…絶対誰にも言わないと誓えるかしら」

「俺は王の剣だ」

「残念。じゃあ怪しい私をそのまま殺せばいい」


恐ろしい程の怒気が辺りを包んだ。レイモンドはしばらくマーリンを睨みつけていたが、イライラしたように目を背けると、ため息をついて顔を手のひらで覆った。

「…わかった」

「ありがとう」


騎士らしい男だ。嘘をついてもいいものを…。

マーリンは秘密を守りたかったが、状況的に仕方がないと諦めていた。彼は誓ってくれたが、きっと何らかの形でいつか漏れると思っている。

…いざとなれば、多少手荒だが記憶を消せばいい。


「私は…ある人物を救うために、一族の力を使った」


マーリンは静かに言った。レイモンドはほう、と気を取り直したように相槌をうった。


「いいことじゃねぇか。それのどこが罪になるっていうんだよ」

「一族以外の人間に力を使っちゃいけないのよ。それが私たちの…ナジェイラの一族の絶対の掟なの」

 

レイモンドはマーリンの答えに面食らったようだった。


「なんて事だ…その力っていうのは?」

「あなたも後で聞くつもりだったと思うけど、魔物を倒したのと同じ力よ」

 魔物と言うと、レイモンドの目が一層真剣味を帯びた。

「詳しく教えてくれないか」

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