第15話 官吏の憂慮

夕方になり、ウィルとジーンは夕食の手伝いに行った。マーリンも行こうとしたが、仕事から帰ってきたカールおじさんに呼び止められ、彼の書斎に招かれた。


「昔はこの国も、もっと貧しかった。この州都も例外ではない。それでも私たち庶民は何とか生きていけたが、地獄を味わったのは貧しい人々だった。貧民街は飢えた人や病気の人で溢れて、ひどい有様だった」

「貧しい人々というのは?」

「身寄りのない老人、戦災孤児、あとは…先の戦争で皇帝の敵側についた人たちだよ。彼らは一部を除いて、処刑されるか、財産全てを没収されて、荒野に放り出されるかのどちらかの運命を辿ったんだ」


カールおじさんは溜息をついた。


「彼らは英雄として称えられている先帝達に刃向かった。だからそのことで本当に散々な目に遭っていた。大罪人という意味でゴル・ジェと呼ばれ、犯罪者階級に陥れられて社会的差別に晒されたんだ。仕事も貰えなかったし、店によっては物も売ってくれなかったんだ。特に私が問題を感じたのは、当時の役人も、苦しんでいた彼らを放置していたことだよ」


ゴル・ジェと言われた人々の中には、何の罪も、戦いとも関係もない子供なども多くいたはずだ。彼らにまで不当な扱いをし、先々に渡って差別を黙認していくことは確かに看過できない問題と言える。

ゴル・ジェの子供はゴル・ジェになるという。永遠の負の連鎖だ。


「そこで私は、なけなしの金をはたいて彼らのために炊き出しを行なった。…貧民街での炊き出しは既に裕福な商人や貴族が行なっていたが、ゴルジェは必ず締め出されていたからね。彼らの子供は当然学校にもいけなかったから、必要な子には読み書きを教えたりしてね」


カールおじさんは遠い目になった。部屋に静寂が訪れる。マーリンはじっとして次の言葉を待った。


「色んな人に出会ったよ。十分な医療を受けられず看取った人間も沢山いた。皆今の国に良い感情を抱いてなかったから若手官吏である私に対して敵意をむき出しにする人もいた…てもそれくらい心の傷が深かったんだと私は思う」


優しすぎる、とマーリンは思った。

何の繋がりのない第三者の為にここまで深く入り込み、拒絶され傷つけられても赦すどころかその人間をより深く想うことができるなんて。


カールおじさんが腕を捲ると、そこには刺し傷の跡があった。油断していた時に、とある老婆に刺されたのだとおじさんは話した。


「もうそのお婆さんは亡くなったがね.私を刺した時のあの顔は今でも忘れられない…私は、彼女のような人を二度と出したくないんだ。このまま国中が彼らを差別し続けたら、彼らも私達に対してより深く憎しみを募らせるだろう。それでは第二の彼女が現れてもおかしくない」


何とかして止めたいんだ、とカールおじさんは強い口調で言った。何かをじっと堪えるその目は、驚くほど鋭いものだった。


おじさんは多方面に働きかけ、彼らの救済を図ろうとしているとマーリンに話した。だが一向に周りは動かないどころか、不敬だとしておじさん自身が攻撃を受けることも少なくないという。おじさんはいつまで経っても変わらない現状に焦っているように見えた。


マーリンはカールおじさんから聞かされる事実と想いに圧倒されていた。以前来ていた時には全く見えなかった、この国の現状が、マーリンの心に重くのしかかっていった。


異常現象に加えて、他所の国の社会問題。マーリンは目をぐるりと回した。やはり色々と下界は面倒だ。それでも、カールおじさんのような人がいる。


「貴方はウィル達の良き父で、少し変わり者の官吏だと聞いていました。お詫びして訂正させていただきたい。貴方は良き父親であると同時に、素晴らしい官吏です」


敬意を表し、マーリンはそっとナジェイラ式の礼をとった。

おじさんの鋭い目が僅かに見開かれる。


「評価なんてとうに諦めたし私は要らないんだ。でもそう言ってくれると存外嬉しいものなんだね」


真の強さを伺わせる笑みを浮かべて、彼は笑った。


「ありがとう」



★★★


遠くからアリアナおばさんの呼ぶ声が聞こえてきた。そろそろ夕食の時間ようだ。


「あぁ…もうそんな時間か。早く行かなければね。長い話をしてしまってすまなかった」


カールおじさんは元の気弱そうな笑みに戻ると、行こう、と言ってマーリンを部屋の外へ促した。


「…」


マーリンはカールおじさんと一緒に食事室に向かいながら、思いにふけっていた。

相も変わらずなくならない差別、虐げられる人々、何もしない国…。



この国の影で息を潜めて生き続ける彼らの苦労は、想像を絶するものであることは間違いない。


(これも穢れに繋がるかな)


彼らの気持ちなど、今までボンヤリと暮らして来たマーリンには1%もわからないかも知れない。

ただ、仲間に入れてもらえない悲しさだけは少しは分かっているつもりだ。どうしようもないやるせなさや、心まで冷えるような彼らの視線をマーリンは何度も感じてきた。


この国では何の力もないマーリンの同情など彼らにとっては不要だろう。社会を変える力など自身にはないのだから。ただ、マーリンの心は嵐のように吹き荒れていた。


ゴシゴシと目を擦ると、後ろから階段を降りてきたカールおじさんがそっと肩を叩いてくれた。


ありがとう、と再び囁く声がした。




その夜、寝台の上でジーンに夕方の話をすると、彼女はため息をついた。


「その話ね。私のお父さんもよく言っているわ。お父さんはお医者さんなんだけどね、お金がなくて診察を受けられない人を無料で治療しているの。貧民街に行ってね。それで苦しんでいる人たちと直に触れ合って、やっぱりカールおじさんと同じように問題を感じているみたい。でも、どんなにお父さんやおじさんが頑張って働きかけたって周りが変わらないの。平官吏と町医者だもの。それこそ何十年とお父さん達は活動してきたのに、いつまで経っても賛成してくれる人は増えないし、ただお父さん達の立場が年々悪くなるだけ…」

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