第9話 家族

しばらく歩くと、ローズブレイト家は左の道に入っていった。その道に面した邸宅は、どれも巨大な庭園を有しており、マーリンの故郷の図書館みたいに立派な石造りの建物が立っていた。


重厚な門には華美な装飾が施されており、必ず甲冑を着た門番が二人ずつ立っていた。マーリンは呆気に取られて辺りを見回した。


それから少し歩くと、周囲の家とは明らかに違う珍妙な邸宅が目に入ってきた。白いはずの塀はあちこち火傷の跡だらけだったし、補修の跡があちこちに見受けられた。木でできた簡素な門には、当然警備の私兵はいなかった。


「よし、さっさと家に入ろうぜ。おなかペコペコだ」

「ちゃんと夕食にありつけるかな?お袋、帰りが遅いからきっとおかんむりだぜ」


双子がぼやきながら木の扉を開けて敷地内に入っていった。バーナードがそれに続いた。


門を抜けた先には広い庭があり、その向こうに温かい明りの灯る石造りの家が建っていた。古い家だった。華美な装飾も時間が経った影響で黒ずみ、所々欠けていた。昔は純白がまばゆいばかりであっただろう壁が、今では茶や黒、緑色に変色している。他の家と比べればかなりみすぼらしいが、何故か暖かみを感じさせる優しい家のように見えた。ここへ来るのは初めてだが、まるで生まれてからずっとマーリンの家であったような雰囲気さえ感じられた…。


 マーリンはトーチに上がり、ウィルやジーンの後に続いて分厚い木の扉を開けた。そこは直接居間に繋がっており、エプロンを着たふくよかな女性が双子を抱きしめているところだった。


「あぁ、あなた達、どれほど心配したことか…?何でこんな遅くに帰ってきたの、怪我はない?」


細くちじれた栗毛の髪の上側だけを纏めて留め、残りは自然と垂らしている。心配そうに息子を見つめる顔は慈愛に満ちており、マーリンはふと故郷の孤児院を思い出した。


「大丈夫だよ」


おばさんの体に押しつぶされながらサイラスがモゴモゴと言った。バーナードは呆れたようにらせん階段を上がって上の階に上がろうとした。


「あらま、バーナード‼怪我してるじゃないの!」


その様子を目ざとくおばさんが見つけて叫んだ。バーナードはしまったという顔をした。


「たいしたことはないよ、お袋」

そう言うと上の階に消えようとした。

「バーナード‼手当させないと夕飯抜きですからね?」


しかしおばさんがクワっと目をむいて怒鳴ると、肩を落としてトボトボと降りてきた。どうやらバーナードを含めた子供たち全員が母親に弱いようだ。居間は食事室と繋がっており、木でできた大きな長テーブルと家族分の椅子が置かれていた。


おばさんはその椅子の一つにバーナードを座らせると、いそいそと薬箱を持ってきた。そこへ、ちょうど馬と荷台を庭に置いてきたらしいカールおじさんが居間へと入ってきた。


「お前たち、向こうの台所で食事の支度をしてちょうだい。スープを温めてね、パンはあの棚にあるわ、サラダは――まあ、まぁ、カール‼おかえりなさい!遅かったじゃない」


子供たちに指示を出していたおばさんは、おじさんに気付くとニコニコと笑い、薬箱を持ったままその頬にキスした。


「ただいまアリアナ。君に言うのが遅れたが、お客さんを連れてきたよ」


カールおじさんがマーリンのほうに近づいてきて肩を抱いた。アリアナおばさんはその時初めてマーリンが家の中にいたことに気付いたらしく、目を丸くして驚きの表情を浮かべた。


「まぁ!ごめんなさい、私ったら今まで気づかなかったわ。ただでさえ子供たちが多くて混雑しているんですもの…。こんばんは、私はカールの妻のアリアナよ。カール、この綺麗なお嬢さんは?」


アリアナおばさんは人の好さそうな笑みを浮かべた。やっぱり寮母さんに似ている…。


「森で迷子になっていたんだ。えーと、私たちが名前も知らないような遠い国からきたそうで、この国は初めてらしい。放っておけなくてね」

「まぁそうなの。一人でこの国にいらしたの?それは大変だったわねぇ」


アリアナおばさんは同情するような目でこちらを見た。

「それで、私たちが帰るとき魔物に襲われたんだが――」


薬箱が床に落ちる大きな音でおじさんの声がかき消された。先ほどまで穏やかだったアリアナの顔が真っ青になっていた。木のタイルが敷き詰められた床に転がった薬箱を拾おうともしない。


「魔物ですって?あなたと子供たちが…?そんな、そんな…」

「落ち着いてくれアリアナや。大丈夫だ、バーナードと私が傷を負ったがこの通りかすり傷で済んだ」


カールは慌てて薬箱を拾い上げようとして妻を宥めた。そこへしびれを切らしたバーナードがやって来て、おじさんを遮って薬箱を拾い、椅子へ戻って自分で手当てし始めた。


「まさか…?魔物にこの人数で襲われたというのに…逃げきれたというの?」


アリアナおばさんは信じられないというように首を振った。台所からスープとパンのいい匂いがしてきた。


「そうさ。馬と馬車は失ってしまったがね…なんとこのマーリンが魔物を倒してくれたんだ‼」


カールおじさんはとっておきの土産物を見せるように、マーリンの背中を叩いて嬉しそうな声をあげた。それを聞いたアリアナおばさんは開いた口を手で隠すこともせず、マーリンを不思議なものでも見るかのように見つめていた。パクパクとこちらに向かって何かを言おうとしていたが、次の瞬間、マーリンはおばさんに力いっぱい抱きしめられていた。


「何という事かしら…あぁ、マーリンと言ったわね?うちの家族を救ってくださってありがとう!なんとお礼を言ったらいいか…」


 おばさんは耳元ですすり泣いていた。久しぶりに感じた暖かな体温にどぎまぎしていると、一層ぎゅっと抱きしめられ、「ぐぇっ」という声が出た。


「アリアナ、それくらいにしておきなさい。マーリンが潰れてしまうよ」

「あぁそうね、ごめんなさい…。さぁさ、マーリンお腹すいたでしょう。夕食をどうぞ」


アリアナおばさんはマーリンを解放すると、おでこにチュッとキスをした。そして背中を押して食卓へと誘ってくれた。テーブルではジーンたちが湯気の立つスープや香ばしいパンを並べており、食器同士が触れ合うカチャカチャという懐かしい音が聞こえた。


バーナードによって椅子が補充され、一家は全員席に着いた。「いただきます」という掛け声とともに一斉に夕食を取り始めた。ほんのりとバターの香りがする甘いミルクパンに、一人ずつ配られた小さなボウルには山盛りのサラダがのっていた。スープも大きめに切られた野菜たっぷりで、さらに茶色い柔らかな物体がたくさん入っていた。ジーンに聞いたところ、それは牛の肉らしい。


一切の殺生が禁じられていた世界で育ったマーリンにとって、肉を食べるのは初めての事だった。心の中で小さく牛に謝りながら頬張ってみると、噛めば噛むほど味が出て、ほっぺたが落ちるほど美味しかった。脂身という白い部分の多い部位を口に入れてみると、舌の先で脂が甘くとろけ、マーリンは悶えた。


ずっと冷たく粗末な食べ物ばかり口にしてきたマーリンにとって、このご飯は今まで食べた中で一番美味しく感じられた。


食べ始めてみると相当飢えていたらしく、マーリンは夢中で食べ続けていた。子どもたちも空腹だったらしく、無言で食事を掻っ込んでいる。むこう側の席では、カールおじさんが森で起こったことの詳細をアリアナおばさんに話していた。


勧められるまま子供たちと一緒に何度もお代わりをして、やっと人心地ついた頃、マーリンは自分の目から涙が溢れてくるのを感じた。


暖かい部屋、一緒にテーブルを囲む家族、美味しい食事…。こんなに幸せな気分になったのは久々だ。こぼれる涙を周囲に見られまいと焦って目を拭うが、涙はいつまで経っても止まらなく、アリアナおばさんを心配させた。


「マーリン、どうしたの?」


おばさんは優しく言った。


「ご飯が美味しくて…」


マーリンは目を赤くして微笑んだ。おばさんは「まぁ」と頬を染め、満面の笑顔になった。温かい雰囲気がこの場を満たしていた。



この世界は確かに残酷で醜い。だが、こんなにも優しさ溢れる場所だってあるのだ。きっと貴女は知らないだろう。ナジェイラの長、歌聖アナスタシア。


美しい籠のカナリアよ。

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