第34話
第34話
翌朝、花さんが家に来て、とりあえずお茶をした後に、
「じゃあ、買い物いってくるね」と朱が立ち上がり、「花先輩行きましょう」と花さんに声をかける。
今から、花さんと朱でお昼ご飯の材料を買いに行くのだそうだ。
「あんたの好きな物ばかり選んじゃダメよ」と姉に釘を刺され、「わかってるよ」と不貞腐れながら出掛けて行った。
姉がテーブルに腰掛け、
「本当に、大人しくて良い子ね」と、ふっと笑いながら言う。
「怒ると怖いんだよ」
「それは怒らせるあなたが悪いんでしょう?」
まあ、確かに。
「大事にしなさい」と目に力を込めて言われ、
「うん、分かってるよ」と答えた。
「それより、あの子の喋り方、面白いわね」ふふふと思い出したように笑いながら言う。
「でしょ、彼女の母親にも注意されてたよ。本の読みすぎでああなっちゃったのかなあ」
特に、テンパった時とか、怒った時とか普段使わないような単語も出てくるし、どもるし、そんな所も可愛いんだけれど。そう言うところも含めて好きになったんだろうな、きっと。
「でも、嫌いじゃないわよ」
「うん、僕も」
「母さん達が死んで、あなたも偏屈になってどうなるかと心配していたけれど、ちゃんと人を好きになる事が出来たのね」
それは自分でも思う。何度も葛藤があったし、戸惑ったりもしたけれど、きっとこうなる事は分っていたんだ。だけど、それでも、いまだに必要以上に他人と関わりたく無いという気持ちもある。こういう気持ちもいずれ変わっていくんだろうか。
朱と花さんが買い物から戻り、花さんが台所に立つ。朱も花さんをサポートするようだ。
「お姉さんは座っててください」と花さんに言われ、姉は行き場を無くし僕の向かいに腰掛けて微笑ましく彼女らを眺めていた。
「何を作るのかしら?」と僕に顔を近づけて聞いてくるけれど姉だって分っている筈なのに。キッチンに並べられた材料。豚肉、白菜、人参、ピーマン、キクラゲ、うずらの卵、小エビ、キノコ……。
それらを見て、カレーライスなどと頓珍漢な予想をする人間なんていないだろう。僕の大好物だ。
朱よりも小さな花さんが一心不乱に中華鍋を振るっている。ごま油のいい香りが漂ってきて僕の食欲を掻き立てた。
食卓に並べられた八宝菜と中華スープを見て、ゴクリと息を飲む。好きな人に料理を作って貰う事がこんなにも感極まる事だと初めて知った。映画を見に行った時にサンドイッチを作ってくれた時よりも嬉しかった。
「じゃあ頂きましょうか」と姉が言い、全員で手を合わせ「頂きます」と言った。
熱々の八宝菜をレンゲで一掬いし口に運ぶ。何故か僕以外の3人は僕が一口食べるまで待っている。香ばしいごま油の香りが鼻に広がり、肉や野菜を頬張った。花さんが僕を見つめ、
「どうすか?」と尋ねる。
「
彼女の顔が綻んだ。
「本当に美味しいわね」と姉も感心したように言う。
「ありがとうございます」と、花さんも満更でもなさそうだ。
「太郎の胃袋をがっちり掴んだわね、ふふふ」
「そ、そうっすかね」と言って赤くなる花さんに、朱も賛同した。
「こんな事を聞いても良いのか分からないけれど」と前置きし、「こんなタロさんのどこが良かったの?」と姉が問う。再び真っ赤になった花さんが、
「え、ええと、その……なんか、いつも、些細な事から大きな事まで、いつも助けて貰ったと言うか……。あと、なんか、私自身が自然体でいられたって言うか……知らない間に、いつも心の中にいたっていうか……ちょ、ちょ、ちょっと恥ずかしいっす……けど……大好きなんです……」とレンゲを置いて俯いてしまった。これ以上はダメな気がする。でも、素直にそう言われて僕の心も温かくなった。
「姉ちゃん、花さんが困ってるじゃないか」と注意した。
「うふふ、そうね、ごめんなさいね花さん」
「い、いえ……」
「じゃあじゃあ、お兄ちゃんは? どうして花先輩の事好きになったの?」
また余計な事を聞きやがって。
「僕は……なんか、気を使わないし、どこか放って置けないっていうか、言葉は辛辣だけれど、嫌な気分にならなかったし、あとすごく優しい一面があって……それより何より……すごく、美人だから……大好きなんだ……」
なにこれ? 超恥ずかしいんだけど。羞恥プレイか何かですか? 僕も姉も朱も花さんも真っ赤になって俯いてしまった。
「や、やめよう、こういうのはやめよう。事故だよこれ、大惨事だよ、ヤバいよ」と朱が言って忙しくレンゲを動かし始めた。
「そ、そうね、やめましょう。大変な事になったわコレは」
「本当にそうだよ」と言って僕も食べる事を再開した。
その後食卓は気まずい空気に包まれた。
昼食後、僕は花さんを自室に招き入れた。今回は朱も何も言ってこなかった。花さんをベッドに座らせ、僕も彼女に触れない程度に距離を開けて隣に座った。すごくドキドキする。こうやって二人きりになるのも随分と久しぶりな気がする。
「緊張するね」
「そっすね……」
「あ、八宝菜、本当に美味しかったよ」
「ありがとうございます……」
「胃袋つかまれちゃったかなあ」と場を和ますために言った。
「ま、まだ気が早えーすよ」
膝の上で両手をモジモジしている彼女に指を絡めた。うわ、なんか今すごくときめいた。心臓が口から飛び出しそう。花さんも真っ赤になって固まっている。
不意に彼女の手がズボンの裾を捲っている僕の右ふくらはぎに触れた。
「私を守ってくれた傷なんすね……」と愛おしそうに言う。
「名誉の負傷というやつかな」
「……ありがとう……大好きです」と言って包帯の上から優しく撫でた。
「は、花さん」
「ひゃい?」
「しょ、小説の続きまだだったよね……」
「そ、そうすね……」
「……するぅ?」
するぅ? って。自分で聞いておいてなんだけど、なんか無粋だ。非常に不本意だ。
「……あたなが、したいなら……」
僕は彼女の頬に手を添えこちらに向けた。ゴクリと息を飲む。彼女は静かに目を閉じた。ええと、顔は少し傾けた方が良いのかな? まっすぐ行くと鼻がぶつかるよね。どの位の圧で触れればいいんだろう。あと、どの位の時間? 鼻息が荒くなり彼女の顔にかかってしまった。「ちょっ、なにしてんす――っん!」 言葉を遮る様に唇を重ねた。体中に電撃が走った気がした。全身が熱くなって頭もぼーっとする。心臓発作で死んじゃいそう。
頬に添えていた手を彼女の背中に回しきつく抱きしめた。ああ、幸せだ……
唇は何度も離れ触れを繰り返した。いつやめていいのか分からなかった。1分? 2分? どの位の時間キスを続けたのだろう。やがて、どちらからともなく僕たちは顔を離す。
「イチゴの味はしなかった……」とぼそっと漏らしてしまった。
「そっすね……」
「でも、良かった……」と非常に下品な感想を述べる。
「……そ、そっすね……」
「こ、この後は?」
「こ! この後っすか?」と花さんは飛び上がる様に驚いた。
「うん!」と鼻息荒くうなずく。「うん!」と言ったつもりだったけれど、「ふぅん!」と言う鼻息だったのかも知れない。
「……この後は……おそらく……こうなります……」と言って立ち上がると、自らのブラウスのボタンに手をかけそれを外そうとした。
「ちょ、ちょ、ちょ、ストーップ!」と言って慌てて彼女の手を制止する。
「いやいやいや、おかしいでしょ? いきなりおかしいでしょ?」
「で、でも、小説だと大抵こうなるっすよ!」
「そ、そんな小説……読むのやめなさーい!」
「ひぇ!」
久しぶりの僕たちの二人きりは、甘い、とろけるようなキスで終わった。
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