第33話

 第33話


 週が明けて、僕は約2週間ぶりに自宅へ戻った。たった2週間なのか、2週間、なのか判断はつかないのだけれど、久しぶりの我が家はやっぱり落ちつく。

 頭にもふくらはぎにもまだ縫い糸は入っていて一応来週抜糸の予定なんだけれど、大事を取って今週いっぱいは学校を休むことにした。休む事に関しては問題を先送りにした焦燥感とまだ休めるという安堵感がごちゃまぜになってなんとも複雑な思いである。椅子から立ったり座ったりを繰り返す様な気分。


 午前中は傷口の消毒やらで通院しなければならないのだけれど、事故のお相手の保険料から通院にかかる費用も保障されていて毎朝タクシーで病院まで通っている。僕たちの生活は全て保険に守られているのだなと改めて考えると保険の偉大さに感心してしまう。体を張って生活費を得るというやつか。だけれど、やっぱり事故になんて遭わないにこしたことは無いし、両親だって生きていて欲しかった。


 通院治療になった事で僕の生活もそれほど退屈しなくなった。暇があればネットも出来るし、勉強だって病院でするよりは捗る。勿論、花さんが取ってきてくれるノートだけでは充分ではないので、その日受けた授業の教科書のページの前後も抜かりなく予習復習をする。エスカレーター式と言っても推薦が得られなければ進学も困難なので気を抜いていられないのだ。


 自宅へ戻りようやく曜日の感覚も戻ってきて、今日が金曜日なのだと認識する。あと二日か。久しぶりに登校したら誰か話し掛けてくるんだろうか。こんな事があったのにやはりどこかで他人との関わりを敬遠してしまう自分がいる。むしろ、こんな事があったからか。教室に入れば多少は注目されるだろうし、野口さんやパンダちゃんも今まで以上に話し掛けてくるかも知れない。ちょっと憂鬱だなあ。


 リビングのソファーに寝そべり何度か微睡みながらそんな事をぼんやりと考えていると、玄関のカギが開く音がして朱と花さんが一緒に入ってきた。この二人は毎日一緒に帰ってくる。いつの間にか仲良くなったようだ。寡黙な花さんだけれど、朱とは気が合うのか二人の関係は良好そうだ。


「お兄ちゃん、ただいまー」と言ってパタパタとリビングに入って来る。

「おかえり、花さん、いらっしゃい」


 朱は鞄をテーブルに置くと、

「花先輩、座ってて、お茶淹れますので」と言う。

「あ、私がやるっすよ」

「いいからいいから、早くお兄ちゃんの所に行った行った」と言って花さんの背中を押しながら朱が言う。

「ありがとうございます」と言って僕の側にやって来て、僕の横にちょこんと座ると眼鏡とマスクを外した。僕たちはお互い見つめ合ってそっと微笑む。


 彼女は思い出したかのように鞄からノートを取り出し、

「今日の分です」と手渡してくる。月曜日から毎日続いている光景だ。

「花さん、いつもありがとう」とお礼を言った。


「いよいよ月曜日から登校再会だからなんか緊張しちゃうよ」

「月曜日は抜糸の予定じゃなかったっすか?」

「うん、朝病院行って、抜糸してから登校するから、何時になるか分かんないけどね」

「午後になるならいっそ休んじゃえば良いじゃないすか」

「そうだね、あまり遅くなるなら火曜日からでもいいか」

 そんな事を話していると、お茶を淹れた朱が「どうぞー」と言ってソファーの前のテーブルに紅茶とお菓子を並べる。

 朱はお茶を飲みながら花さんを見つめていたのだけど、


「花先輩、ずっと気になっていて、訊いて良いかも分かんなくて、お兄ちゃんも何も言わなかったんだけど、訊いても良いですか?」と質問をする。僕にはなんとなく訊きたい事が分かった。

「はい、なんすか?」と花さん。


「花先輩、なんで変装してるんですか? そんなに綺麗なのに」 気を悪くしたらゴメンナサイと付け加え予想通りの質問をする。

 今は僕の家なのでマスクも眼鏡も外しているけれど、漆黒の重いウィッグは相変わらず着けたままだ。

「朱、花さんにも事情があるんだからあまり踏み込んだ事を聞くな」と釘を刺すのだけれど、

「大丈夫っす」と花さんが言った。


 花さんが変装をしだした理由を僕はお嬢から聞いて知っているんだけれど、花さんはその事を知らないし、僕も言えないでいた。


「目立ちたくなかったんすよ」と徐に彼女が口を開いた。

「どういうことですか?」と朱が興味を示す。そりゃそうだよね。普通の女子高生はお洒落に目覚め、自分を可愛く見せようと化粧やファッションに力を入れ始める年頃なのに、それに逆行してるんだから。


「中学の時、ちょっと嫌がらせをされて……」

「え?」と朱が驚く。その後花さんは中学時代にあった事について語り出した。その内容は僕がお嬢に聞いた内容と殆ど同じで。


「花先輩、すいません。嫌な事思い出させちゃって……」と朱が小さくなる。


「ううん、大丈夫っす。あの頃は本当に独りで、辛くて、高校ではもうこんな思いしたくないなって思って。他人と関わる事を放棄したっす。でも……」と言って僕を見つめ、

「今はもう独りじゃないすから」と笑みを浮かべた。僕はふと思った事を口にする。


「花さん、もうマスクも眼鏡もそのカツラも外そうよ。僕がいつも花さんの側にいて花さんを守るから」

 とは言ったものの、彼女の可愛さに気が付いた他の男子達がちょっかいを出さないかと不安もあった。きっと僕だってやきもちを焼いちゃうだろう。だから、

「僕たちが交際している事を公にしよう、そうすれば悪い虫も付かないよ」

 勿論、大々的に交際を発表するわけじゃ無くて、ただ、付き合っている事を隠さない程度のものだけれど。


 彼女は暫く悩んだのち、「ふぅー」と溜め息を一つ吐き、

「そうすね、もうこんな事も疲れましたし、やめましょうか……その代わり……」

「そのかわり?」

「いつも側にいてください……」

「うん、僕はきっと花さんを守る為に生まれて来たんだと思うんだ」

「そうなんすか?」

 いや、そんな人間いないだろうと思ったけれど、

「多分……」と答えた。

「……」

 僕達のやり取りを見ていた朱が、


「はぁー! もう見ていられないよ。恥ずかしくてコッチが照れ臭くなってくるよ」と言って手で顔を扇ぎ顔を背けた。


「はあぁ、私も彼氏欲しい!」

「朱さんならすぐに出来るっすよ」

「花先輩にそうやって言われると本当に出来る気がしてきた」と笑いながら言った。


 そんな感じで3人で談笑していると買い物袋を両手に抱えた姉が帰って来た。

「あら、花さんいらっしゃい」

「あ、お邪魔してます」


 花さんは姉ともそれなりに上手く付き合っている。入院中ほぼ毎日顔を合わせ僕の世話をしていたのだ。


「そうだ、花さん、明日休みでしょう? お昼ご飯食べにいらっしゃい」と姉が花さんに声をかける。

「え! いいんですか?」

「タロさんも喜ぶだろうし、あなただって逢いたいでしょう? うふふ」

「そ、そ、そ、そっすけど……」と真っ赤っか。


「久しぶりに二人きりでのんびりしなさい。2週間くらいお預けでしょう? うふふ」

 姉ちゃん、なんか言い方がいやらしいぞ。


「じゃ、じゃあ私がご飯作るっす、あ! 作ります」

「あら、そう? その方がタロさんも喜ぶからお願いしちゃおうかな」

「はい、頑張るっす」


「わーい! 花先輩の手料理だー!」

 朱のテンションが上がったようだ。僕もすごく楽しみだった。



 

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