第31話
第31話
僕の意識が回復して3日間精密検査を受け、その後個室に移動し家族以外の面会も可能になったようだ。それでも痛み止めやら、化膿止めやら、点滴やら薬漬けになり、頭もぼーっとするし、時折、微睡んでは相変わらず母さんの夢を見た。
今何時なんだろう? 時計を見ると午後1時を過ぎたところだった。退屈だ。花さんは今頃独りで授業を受けているんだろうか。あれ以来彼女に会っていないな……元気かな? 独りで寂しくしてないだろうか。肩を落としとぼとぼと歩く彼女の後ろ姿を想像して、独り俯いて席に着いている彼女の姿を想像して、教室の隅で独り寂しくお弁当を食べている彼女の姿を想像して胸が苦しくなった。ごめんね花さん、独りにして……
――――――
「太郎……」
「母さん……」
「寂しくない?」
「寂しいよ……」
「母さんも太郎に会えなくて寂しいよ」
「うん、僕もだよ……」
「太郎に会いたいよ……」
「僕もだよ……」
「太郎……」
――――――
ぼんやりと目を覚ました。夕方だろうか、病室が茜に染まっていた。病室には誰もいない。朦朧とする意識の中で僕は何を考えていたんだろう。大切な人の事。母さん。母さんに会いに行くか。
僕はノソノソと起き上がり、廊下に出た。母さんに会って言わなきゃ。
どこをどのように歩いたのか。道行く人が声をかけてくるのだけれど、殆ど頭に入って来ない。ほっといてくれ。僕に関わらないで。ふくらはぎが痛いし、頭が痛いし、ぼーっとする。したたかに打ち付けた身体の節々も痛い。フラフラと病院服のままで歩き続け目的の場所までたどり着いた。あの時と同じ様な景色。陽は沈み辺りはすっかり夜の帳がおりてきた。
フェンス際まで歩くと港の観覧車が見えた。母さん……
輝く観覧車を眺めながらあの夜の光景が脳裏に浮かんだ。大輪が咲き海面に反射した。綺麗だったな。花火が咲く度に彼女の顔を照らした。綺麗だったな。初めて恋をした人だ。「――!」 母さん……ごめんね、僕は……まだ母さんには会えないよ。「――君!」
大切な人が出来たんだ。「――西君!!」 僕はもう逃げないよ。今後も彼女を守って行く。「太郎ー!!」 ほら、僕を呼んでいる。
振り返ると花さんが僕の胸に飛び込んで来て、絶対に離すまいと抱き着いてきた。
「ふざけんな!! ふざけんな!! 何してんの!?」と物凄い剣幕で怒ってきた。おお、怖い。僕はぼーっとする意識の中、それでも努めて明るく言う。
「花さん、落ち着いて、変な事考えてないから」
僕はフラフラとフェンスに背を預けてへたり込んだ。彼女は絶対に離すまいとなおも力いっぱい抱き着いてくると、あの夜と同じように怪しむ様な眼差しで僕を見つめる。花さん、眼鏡とマスクを外してよ。君の素顔が見たいよ。
「花さん、怪我、大したことなくて良かったね」
「何言ってんの! もう! 本当にふざけないで!」
「本当に変な事考えてないから、安心してよ」
「心配したんだから! 本当に心配したんだから!!」
「うん、ありがとう、ごめんね」
彼女は僕の胸に顔を埋めて泣き出した。花さんが泣いたのを初めて見たっけ? 僕の胸も苦しくなった。と言うよりときめいているのかも。
「花さん、今日は母さんに報告に来たんだ」
「報告?」
「うん、大切な人が出来たから、母さんにはまだ会えないよって。僕はその人をこれからも守って行くんだ。もう二度と失わないようにね……」
「……」
「花さん、言ったよね。憶測じゃなくて、確信に変わってから言えって」
彼女は顔を上げて僕を見つめた。僕は彼女の眼鏡を外し頬の涙を親指でそっと拭う。
「僕、花さんに恋をしてるみたい」
「!!」
「ひょっとしてとか、もしかしたらとかじゃないよ。本当に確信したんだよ。――大好きなんだ」
「バカヤロウ! なんで今!?」と言って再び顔を僕の胸に埋める。僕に抱き着く腕にいっそう力が入るのを感じた。胸が温かい。彼女の温もりが伝わる。
自分の気持ちに気付くのには時間がかかったけれど、すんなり言葉に出来て安心する。
右のふくらはぎが痛んだ。あ、血が出て来た。包帯が赤く滲んでいる。無理して歩きすぎたみたい。また姉に怒られそうだ。
「花さん、良くここが判ったね」
「朱さんから電話があったすよ、あなたがいなくなったって。そんで、「母さんに会えるかも」とか言ってたとか聞いて、もう気が気じゃなくて、もしかしたらここかもって」
「そっか……」
「本当に遠くに行ってしまうんじゃないかと心配したんだから。もう二度と馬鹿な真似はしないでください」
「さっきも言ったけど、本当に変な事を考えていた訳じゃないよ。だけど、ごめんね、花さん」
彼女はまだ泣いているのか、時折鼻水を啜る音が聞こえる。
「それより……」
「うん?」
「あなたの告白は聞きました」
「うん。僕は花さんが好きだよ」
「で、その先は?」
「その先?」 その先って?
「その先も言ってください……」
ああ。
「僕の恋人になって下さい」
彼女は目に涙をいっぱい溜めて僕を見つめ、
「はい!!」と言うと僕の胸に顔を埋めた。ああ、頭も痛くなってきた。
「あの……」
「うん?」
「なにゆえ私を選んでくれたっすか?」
そんなこと。
「花さん、僕は花さんを選んだ訳じゃないよ」
「え?」
「選ぶって言う言葉は候補が複数いる時に使う言葉でしょ? 僕には初めから花さんしかいなかったんだよ? 選んだ訳じゃないんだよ」
「……本当に偏屈……だけど嬉しいです……」
本当は最初から、花さんが気になり、惹かれて行って、好きになろうとしていたんだろう。はっきりと意識したのはいつだっただろうか。時折見せる彼女の素顔や優しさ。
どこかで気付いていたんだ。心が警鐘を鳴らした時もあった。もう、後戻り出来なくなるぞって。今までの僕なら立ち止まったのかも知れない。でも、あの時、彼女を失いそうになって楔が外れたんだ。
しばらくそうしていると、花さんは何かを思い出したかの様にはっとして、朱さんに電話するっすと言ってスマホを取り出し電話をかけ場所を伝えているようだ。通話を終えるとこちらを向き、僕を見ると驚いた様子で、
「け、
いつもの花さんに戻ったようだ。
「ああ、ふくらはぎね。ちょっと無理したかも」
「本当に、もうこういうのやめてください」と言って慌ててハンカチを取り出すとふくらはぎに巻いた。
「うん、ごめん」
「あ、お姉さんが車で迎えに来ます」
「そう、怒られそうだな」
「こっぴどく怒られてください」
「あ、そうだ。花さんの読んでいる小説だと、この後どうするの?」
「え? しょ、小説っすか?」
「うん、いつも言うじゃん、私の小説だとああなる、こうなるって。告白した後はどうすればいいの?」
「あ! わ、私の読んでいる小説だと、えと、この後、私は抱きしめられます……」
「そう……」
僕は痛む体に鞭打って上体を起こす。
「あ、無理しないでくださ――」
僕は彼女を思いっきり抱きしめた。彼女の温もりが伝わってきて、痛い部分も和らいだ。彼女も僕の背中に手を回す。全身が優しさに包まれているようで疲れ切った体や傷がどんどんと癒えて行くようだ。
「この後は?」
「え! こ、この後っすか? こ、この後は、き、き、き、キスされます……」
「え? 本当に? いきなり?」
「はい、私の読んでいる小説だと、概ねキスされます……け、けど……」
「けど?」
「まだ心の準備が……それに、した事無いからどうすればいいのか……」
「そうだよね」
彼女の読んでいる小説、色々すっ飛ばしてないか? 告白してすぐにキスってするものなの? 兄妹でデキちゃうくだりもあったし、小説を鵜呑みにしても良いのかな。
「あ、で、でも……あ、あなたがしたいなら、し、してもいいかも……」とゆでだこの様に真っ赤になった彼女が言うと、彼女はマスクを外し目を閉じた。そのマスクを外す仕草が妙に生々しくて、これから口づけをするんだぞって意気込んでいるようでなんか卑猥だ。だけれど、ぷるんとした彼女の唇に目を奪われる。心臓がバクバクと鼓動し、ゴクリと息を飲み込み恐るおそる顔を近づけ、キスをしようとした――――「太郎!」「お兄ちゃん!」
慌てて彼女を離す。姉と朱が並んで駆け寄ってきて、
「あんた病院抜け出しておいて……なにしとんじゃー!!」と雷が落ちた。
「ひぇ!」
その後、僕たちは姉の車に乗せられ病院へ戻った。車内では姉の雷が盛大に轟き、あの日の事を思い出した。だけれど、本当に心配させたのは事実で、僕は深く反省をした。
それと、花さんとのファーストキスはお預けとなった。
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