第32話

 第32話


 あの日以来、花さんは毎日学校の帰りにお見舞いに来てくれる。一度、彼女のご両親もお見舞いに来てくれてお礼を言われた。姉と朱は日替わりで僕の世話をしに来てくれる。持つべきものは家族だなって思い知らされたと同時に女性の優しさを感じた。


 僕の頭も特別異常は無いそうで、いや、思考は異常があるのかも知れないけれど、早ければ来週にも通院治療になるそうだ。ただ、ふくらはぎは先日無理して歩いたことで傷口が再び開き、暫くは車いすか松葉づえを使用しての移動になる。


 入院生活はとにかく退屈で、夕方からは姉妹や花さんが来てくれるのだけれど、昼間はテレビを見るか勉強をするしかやる事が無い。花さんが毎日ノートを取って持ってきてくれるので本当に助かっている。持つべきものは恋人だ。まあ、勉強をしないといけないので渋々やってはいるんだけれど。

 そういえば、バイクを転倒させたライダーさんも右肩の脱臼と肋骨にヒビが入ったそうで同じ病院に入院している。彼は同じ市内の大学生だそうで、大学の帰りにあの豪雨に見舞われ、視界が悪くなり危うく中央分離帯に接触しそうになり慌てて避けようとバイクを倒したら、滑って転倒したそうだ。彼も命に別状が無くて良かった。

 彼は僕が意識を回復し、家族以外の面会が可能になって以降、彼のご両親と僕の病室を訪れ、平謝りで謝罪をしてくれた。故意でやった訳じゃないし、彼に対して特別に怒りの感情など湧かないし、死ななくて良かったとさえ思える。

 それ以降、ロビーや談話室で彼に会うと世間話をするくらいの間柄になった。なんか、男の人とこうやって会話するのが随分久しぶりな気がして、こういうのも意外と良い物だなあって思ったりしている自分がいる。お互いLINEを交換し、退院して落ち着いたらご飯でも食べに行こうって誘われた。悪い気はしなかった。


 不思議な事に、花さんに告白した日から、両親の夢を見なくなった。僕の心の中の楔が外れたのか何かが吹っ切れたのだろうか。だとしたらその原因はきっと花さんの存在が影響しているのだろう。


 午後2時ごろ、姉が僕の着替え等を持って病室にやって来た。


「今日早いね」

「午後、休講なの」

「梶田さんも大学生なんだって」

 梶田さんは例のライダーさんの事。

「そうらしいわね」

「姉ちゃんの事美人だって」

 姉は珍しく頬を染めて、

「下らない事話してるんじゃないの!」と言いながら僕の着替えを袋から出している。


「でも、そういう男同士の会話もあなたには必要ね」


 僕が入院し始めてから、姉はバイトの時間を削って世話をしに来てくれている。朱がいるから無理しなくていいよと言ったのだけれど、「これが姉の責任だ」と言って聞かない。感謝しかない。


「タロさん、花さんとはどうなってるの?」

「気持ちを伝えて、恋人になったよ」

「そう。そうなる事はなんとなく分っていたわよ」

「姉ちゃんは?」

「わ、わたし? えと、そうだね……タロさんに勇気を貰ったから、告白してみようかな……」

「うん、姉ちゃんならきっと上手く行くよ」

「あまりハードルを上げないの。失敗した時恥ずかしいでしょう」


 そんな事を話しながら姉の持ってきてくれたゼリーなどを食べていると午後5時になろうとしている。

「あ、そろそろ彼女が来るわね。じゃあお邪魔だから一旦帰るね」と姉が立ち上がる。

「別にそんなに気を使わなくていいよ」

「洗濯物も取り込まないといけないし、また後で来るから」と、とっとと荷物をまとめ病室を出て行った。


 ぼーっと窓の外を見ていると、廊下からなにやら賑やかな声が聞こえてきて、僕の病室の前で止まったようだ。コンコンとノックがされるので、「どうぞ」と言うと、ドアが開き女生徒が3人病室に入ってきた。1人は花さんで、あとは野口さんとパンダちゃんだった。なぜこの3人が一緒に?


「え? どうして?」と疑問を口にした。

「中西君が入院してるって聞いたから、田中さんに病院に案内してもらったの」と野口さんが言う。パンダちゃんは少し気まずそうにしていたけれど、「この間はごめんなさい」と謝ってくれた。別に謝られる事なんてしてないし、むしろ僕が謝らないといけないのでは? 

「田中さんにも酷いこと言っちゃったし、私、少し意地悪だったよね、ごめんなさい」と花さんにも謝る。花さんはビクビクしながらかぶりを振った。


「あ、そうだ、望月さん、言わないといけない事が」

「うん、なに?」

 僕が花さんを見ると、彼女は小さく頷いた。


「僕、この田中花さんと付き合う事になったんだ」

 パンダちゃんと野口さんは二人してポカンとしている。やがて、

「そうなんだ。でも、なんとなく分っていたけどね」とパンダちゃんはふっという溜め息と共にどこか諦めた口調で言った。

「いっつも二人でいたもんねー、私はずっと怪しいって思ってたけどね」と野口さんがからかう様に言う。


「あ、でも、あの子は? ほら、ポートモールで一緒だった子。あの子はもういいの?」とパンダちゃんが言うので、

「あの子はさ……」と言って花さんを見つめると、彼女は逡巡した後、意を決した目で僕を見つめ返し頷くと、眼鏡とマスクとウィッグを外した。


「「え……」」とパンダちゃんも野口さんも固まった。

「うっそ、まじで?」と野口さん。

 パンダちゃんも暫く花さんを見つめていたけれど、

「そっか、こんな美人が隣の席にいて、毎日の様に放課後を一緒に過ごしていたなら、私に勝ち目なんて初めからなかったんだね」と言った。


「まあ、飛鳥はモテるんだし、中西君なんかとっとと忘れて新しい彼を見つけなさい」と野口さんがパンダちゃんの背中を叩きながら言うと、

「そ、そうだね、中西君より良い人見つける!」と言って笑った。場が気まずくならなくて良かったと安堵した。

 和やかな雰囲気に包まれていると再び病室をノックする音が聞こえる。どうぞと言う前にドアが開き妹の朱と、朱の友達の、この子はたしかひかりちゃんだったかな? が入って来た。


「おにいちゃ……」と言いかけて朱が硬直する。少し間を置き状況を理解した朱が、

「せ、先輩方、いらっしゃいませ」と深々と頭を下げた。パンダちゃん達も少し驚いていた様子だったけれど、

「この子は?」と僕に聞いてくるので、

「あ、妹の朱と友達の星ちゃんだよ」と紹介した。

「初めまして! 太郎の妹の中西朱です。野口先輩、お久しぶりです。この子はクラスメイトの星ちゃんです」と言うと星ちゃんも頭を下げた。

「へえ、こんな可愛い妹もいたんだね? しかも同じ学校なんだ」とパンダちゃん。

「あれ? 朱と野口さんって顔見知り?」と僕が尋ねると、

「朱ちゃんとは中学で部活が一緒だったんだよ。まさか同じ高校に来てるとは思わなかったけど」と野口さんが答えた。

 そうだったんだ、世間は狭いななどと感心していると、

「じゃあ、私達そろそろ帰ろうか」と野口さんがパンダちゃんに言う。

「そうだね、中西君、お大事に。田中さん、これからも宜しくね。彼に飽きたら連絡してね」とニヤリと笑っていうと病室を後にした。


 野口さん達を見送って暫くすると、

「さっきの人って望月先輩だよね?」と朱が聞いてくる。そうだよと答えると、

「なんでお兄ちゃんには美女が集まって来るの? お兄ちゃんのどこが良いのか全く解んないんだけど」と聞き捨てならない事をさらっと言う。

「え? 中西先輩カッコいいじゃん」と星ちゃんが言うと、花さんがピクっとした。

「ちょ、ちょっと星ちゃん、花先輩の前だよ」

「あ! す、すみません、田中先輩、深い意味は無くて、あ、そんなつもりもなくて、本当にごめんなさい」と平謝り。田中先輩って新鮮な響きだなって思っていると、

「だ、大丈夫っすよ、頭上げてください」と花さんが慌てて星ちゃんに声をかけていた。


「それにしても、お兄ちゃん、男の友達1人も来ていないの?」

「うるさい、ほっとけ」

「彼女は出来たのに、友達は相変わらずいないんだね」

「あ、でも、男の知り合いが出来たぞ」

「うそー、だれ?」

「あのバイクのライダーさん」

「ああ、あの人」

「なにそのがっかり感」

「だって大学生だし、ちょっと冴えないじゃん」

「失礼なやつだな、良い人なんだぞ」


 そんな他愛も無い会話をしていると、外も薄暗くなってきて、

「じゃあお兄ちゃん、私帰るから。お姉ちゃんに何か持ってきて貰いたい物があれば伝えるけど?」

「特にないよ、ありがと」

「じゃあ、花先輩、あとは宜しくお願いします」と言って出て行った。


「ふう……」と一息吐いて花さんを見るとどこか浮かない顔をしている。

 

「花さん、どうしたの?」

「……」

「花さん?」

「……本当に、なにゆえあなたには美女が集まるっすか。さっきの人達といい麗華さんといい美女ばかりっすね」と言って小さな肩を落とし、しょんぼりと俯いてしまう。

 ひょっとして妬いているのかな?


「花さん、ひょっとして妬いてるの?」

「……」

 彼女は何も言わなかったけれど、やがて小さくコクリと頷いた。

 あら、本当に妬いてたんだ。てっきり憎まれ口の一つでも叩くのかと思ってたのに、そんな素直に肯定されるといじらしく感じてしまう。愛おしい……


「朱の言った事なんて気にしなくていいよ」

「私だって、一応嫉妬くらいするっすよ……」

「どうしたら機嫌直るの?」

「……わかんねーすよ」

 あ、そうだ! この間姉に邪魔されたんだ。


「花さん、ちょっとこっち来て」と言ってベッドの上をポンポンと叩いた。彼女はそこへやってきてちょこんと座る。

「小説の続きをしようか?」

「え?」と反応した彼女にキスをし――「中西さーん、検温でーす」


 間一髪彼女を離し僕たちのファーストキスは再びお預けとなった。

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