第23話

 第23話


 翌朝、ほぼ全てを妹にコーディネートしてもらった服を着て鏡を見る。

 本当に似合ってるのか? コレ。普段着慣れない服に居心地の悪さと本当に似合っているのかどうか判らない不安を抱きつつもキッチンへ向かうと朱も起きていて、朝食の準備をしていた。朱は僕に気が付くと、

「お! いいじゃん」と言う。自分でコーディネートしたのだから当然と言えば当然なのだけれど。

 朱はグレーのだぼだぼのパーカーに昨日買ってやったデニムのスカートを早速身に着けていた。

 

「お兄ちゃんもトースト食べる?」

「うん、ありがと」と答えるとオーブントースターに僕の分の食パンを放り込んだ。

「コーヒーはアイスでいい?」

「うん」

 僕は高校生にもなって朝食の準備を朱にやってもらっているダメな兄で、こう言った所も直して行かなくてはいけないと思っているんだけど、朝はどうも苦手で。朱も特に苦にすることなく僕の世話を焼くのでついつい甘えてしまう。女性というのは元来世話焼き好きなんだろうか。


「お前ももう出るのか?」

「もうちょっとしたらね」


 僕は時間を気にしつつトーストを無理やり口にねじ込んだ。


「んじゃ、行ってくるよ」

「うん、頑張ってね」


 昨日と同じコースで同じ電車に乗り同じショッピングモールに着くと、花さんに到着のメールをする。

 すぐに返事があり、


 『南入り口にいます』


 そこに到着し辺りを見渡すのだけれど花さんの姿は無いようだ。仕方なく電話をするとすぐ近くで着信音が鳴った。あれ?っと思いそちらを振り向くと、見たことも無い、否、有る少女が立っていた。


 白いパーカーに脛の辺りまである薄いオレンジのチュールスカート。白いハイカットのスニーカーにコットン生地の大き目の白いショルダーバッグ。よく見ると薄く化粧もしている。普段のイメージとは大きくかけ離れた花さんだ。いや、それよりももっと突っ込まないといけないところがある。


「おはよう花さん」

「おはようございます」

「花さん、マスクは?」

「ガッコじゃねーし要らないっしょ」

「眼鏡は?」

「あれ伊達だし」

「その髪は?」


 この髪が最もつっ込むべきところで、色は普段よりは明るく、長さも肩までのセミロングで、前髪も短く軽くなっている。


「あれ、ウィッグだし」

「ウィッグって?」

「カツラのようなもんすよ」

 僕は目をパチクリさせて彼女に見入ってしまった。


「なんで……」いつもそうしてないの? と言おうとして言葉を飲み込んだ。お嬢の言葉を思い出してしまったから。確かにこれだと目立つしモテるんだろう。


「全然イメージと違うね」と僕は半ば放心して口にする。彼女は照れ臭そうに髪に手を当てながら、

「へ、変すか?」

「か、可愛い……」と無意識に口から出てしまったけれど、慌てて言い繕ったりはしなかった。本当の事だから。真っ赤になった彼女が、

「え?」と赤いハトが豆鉄砲食らったような顔をしている。赤い鳩を見た事ないけれど。それでも僕が見惚れていると、


「あまり見ないでください」と言ってぷいっと顔を背けた。


 髪や化粧やファッションで女性はここまで変わるのか。ただただ凄いと思いながら、また例の胸の違和感を覚えた。いつもよりもはっきりと。


「それより、映画いきますよ」と言われてやっと我に返る。

「あ、そうだね」と言って並んで歩き出した。


「この映画ずっと楽しみにしてたっす」

「観たい映画のチケットがたまたま手に入ったんだね、良かったね」

「あ! あ、そそそ、そうなんす。本当にたまたま偶然観たい映画だったんす」

 何故彼女が戸惑っているのか解らなかった。


「あ、そうだチケット代を払うよ」と言うと、

「大丈夫っす。同情はいらねーっす」と言う。同情してる訳じゃないんだけど。でも、と僕が言うと、

「じゃあ今度また映画行くときに奢って下さい」と言った。


 入り口でポップコーンとジュースを買って劇場内に入る。席は指定のようで最後尾の列の更に一番左奥と言う座席だった。僕は後ろに誰かがいると落ち着かないので正直有難い。 


 10分程コマーシャルが流れて本編が始まる。内容はラノベが原作のラブコメディーで、まあそれなりに面白かった。花さんはいつもこんな小説を読んでいるんだなって言う事が分かる。


「面白かったね」と声をかけると、

「うーん……ちょっとガッカリっす」

「そうなの?」

「原作よりかなり端折られてたです」

 僕は原作を知らないから普通に楽しめたんだけれど。


 スマホを取り出し時間を確認すると、まもなく正午になろうとしていた。少し空腹感を覚えて、


「花さん、お昼食べようか」と言うと花さんは何やらドキマギ落ち着かない様子で、遠慮がちに言った。


「お、お弁当作ってきたっす……」

「え! お弁当?」

「サンドウィッチですけど……食べますか?」


 早起きしたんだ。僕が起床するよりずっと早く起きてお弁当を作ってくれたんだ。胸が熱くなった。


「うんうん!」


 僕達は一旦外に出て、敷地内にあるベンチに腰掛けた。花さんの大き目のショルダーバッグから本当にお弁当が出て来る。最初に見た時にやたらと大きなショルダーバッグだなと思っていたけれど、こういう事だったんだ。


 花さんがタッパーの蓋を開けるとサンドウィッチがぎっしりと詰まっていた。

「どうぞ」と言って僕に差し出す。僕はゴクリとして、

「美味しそう! いただきます!」と言って一つ摘まんで口に運ぶ。ハムとタマゴのサンドウィッチは美味しかった。彼女は水筒からお茶を注いでくれて、

「お茶も飲んでください」と言う。


「これ、花さんが作ったの?」

 行儀が悪いと思いつつも、口に物が入ったまま話しかけてしまう。

「はい、どうですか?」

「美味しいよ」


 勿論、美味しいのだけれど、それよりも嬉しいという気持ちの方が強いかもしれない。誰かにお弁当を作ってもらう事なんて随分と無かったし、この喜びはもう殆ど忘れかけていた。


 まだ両親が生きている頃、休日になると良く近所の河原へ連れて行ってくれた。それほど裕福では無かった僕達家族の精一杯だったのかも知れない。はしゃぎ回る僕を尻目に姉は妹の手を取り、両親は僕達姉弟妹きょうだいを微笑ましく見ていた。

 母はいつもお弁当を作ってくれて、家族5人で食べるおにぎりは本当に美味しかった。おかずは卵焼きだけだったけれど、その時も感じた。美味しいより嬉しいって。あの時食べたおにぎりの味は忘れちゃったけれど、嬉しかったという気持ちはいつまでも覚えている物なんだ。目頭が熱くなり、きっと少し潤んでしまったのかも知れない。


「からし強すぎました?」

 普段の僕なら彼女が言う様に誤魔化すのだろうけれど、


「ううん、嬉しくて……」と本音を漏らす。誤魔化しちゃいけないところだと思ったし。僕の声は震えていた。彼女は満足そうに微笑むと、

「こっちはツナです」と言って別のタッパーの蓋を開ける。

「お茶も飲んでくださいね」

「うん……うん……ありがとう……」


 味は、もう殆ど判らない。胸が詰まり、飲み込む事も困難で……だけれど、本当に、本当に嬉しかった。今日の喜びはきっと……ずっと覚えているんだろう。大切な思い出になるのだろう。


 そう思った時だった、不意に僕の心臓がズキリと痛み、僕の本能が警鐘を鳴らした。心のブレーキが作動し始める。

 目を見開き、手も口も止まってしまった僕を花さんは不思議そうに見ていた。


「どうしました?」

 僕は地面の一点を見つめたまま、ゴクリと息を飲む。背中を汗が伝い、少し呼吸も荒くなった。

 明らかに様子のおかしい僕を花さんは戸惑いがちに見ていたけれど、何かを察したのか、


「少しづつ……ゆっくりでいいです……」とぽつりと呟く。


『太郎、あなたのそんな態度はね、いつかあなたの本当に大切な人を傷つける事になるわ』

 いつか姉が言った言葉が脳裏に浮かぶ。態度って言うけれど、意識してやっている訳じゃないんだ。


「僕、病気なんだろうか」

「え?」


「僕、いつか花さんを傷付けてしまうんだろうか……」 

 彼女は頬にかかった髪を耳にかけると、承知の上だという様に笑い、


「私達、まだ何も始まって無いですよ」と言い優しく微笑むと、

「だから、まだそんな事は心配しなくても良いです」と言った。


「とにかく、今は食べて下さい。一生懸命作ったんすからね、残したら八つ裂きっすよ」と溜め息交じりに言う。

 いつもの物騒な彼女に戻ると僕も我に返り、「うん」と言って一心不乱に食べた。


 


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