第15話

 第15話


 いつか見た風景。いつか過ごした家。いつかいた部屋。ここは?


 あれ? 父さん? 母さん?

 辺りを見渡すとキッチンのテーブルに両親が座り、いつか見たように二人で僕を見て微笑んでいた。


 暖かく日差しの差し込む部屋でいつかみた二人の微笑み。暖かい二人の温もり。優しい目。


「太郎、コッチにおいで」と母さんが優しく微笑んでくれる。僕はいつかしたように母さんの胸に寄り添うとそっと僕を包んでくれた。


 暖かい……懐かしいこの感じ……


「太郎、寂しくなかった?」

「寂しかったけど、戻って来てくれたんだね。もう寂しくないよ」と言って母さんの顔を見る。母さんは僕の頭を撫でてくれる。幸せだ……。


 僕の頭を撫でる母さんは微笑んでくれているけれど、彼女の瞳がだんだんと赤く染まっていく。


「母さん?」



 微笑んでくれている母さんの眸から血の涙が溢れ出す。


「か、母さん?」


「太郎、痛いよ……苦しいよ……」

「母さん大丈夫?」

「太郎、助けて……苦しい……」


 彼女の顔が歪に潰れて行き、髪は乱れ断末魔の叫び声をあげる。


「太郎……太郎……」


「母さん、行かないで……傍にいて……遠くに行かないで……母さん! 母さん! 母さーん!!」


 ――――――――



「はあっ! ……はあ、はあ、はあ……」

 夢だ。ここはどこだ? 教室? 何故だか視界がぼやけてきて、頬を熱い物が伝った。


 え? 涙? 僕は泣いてるのか? 僕は視線を漂わせると、素顔の花さんが目を見開いて僕を見ている。ああ……いつか見た美しい少女だ……


「は、花さん……」

 彼女は本を閉じ、

「ご両親の夢を見ていたんですか?」と訊く。

 僕は黙って頷いた。


「花さん、涙が……僕、泣いてるみたい……」と言って頬の涙を手で拭った。


 彼女は少し驚いた表情をしていたけれど、やがて微笑み、すっと立ち上がると、座っている僕の横に来て腕を伸ばし、僕の頭を包み込む様にそっと抱いてくれた。

 いつか母さんがしてくれたように……


「え? 花さん?……」

「きっと甘え足り無かったんですね……」

「え?……」


「本当はもっともっと甘えなきゃダメだったんですよ」


 僕の目から更に涙が溢れてくる。涙が止まらない。何故僕は泣いているんだろう。

 ああ……暖かい……柔らかい……幸せな気持ち……

 いつか母さんがしてくれた様な……懐かしい温もり……

 ずっと忘れていたこの気持ち……ずっと欲しかったこの温もり……


 僕は花さんの背中に手を回し泣いた。恥も外聞も無く泣いた。両親が死んでから泣いた事なんて無かったのに。幸せに包まれて泣いた。






 陽は西に傾き教室を茜に染めていた。時折窓から風が吹き込み花さんの髪を揺らす。


 一頻り泣いて落ち着いてくると急に恥ずかしさがこみ上げてきた。僕としたことが信じられない。こんなに感情を他人に見せた事なんてなかったのに。


 いつからだろうか。僕が他人に弱い所を見せなくなったは。思い出そうとはするけれど、わからない。物心ついた時にはもう妹がいたし、両親が亡くなって祖父の家に身を寄せて、姉弟妹きょうだい3人で暮らすようになって……弱い所なんて見せられなかったのに。何故こんなにも花さんの前で泣いてしまったんだろう。何故感情をさらけ出してしまったんだろう。



「花さん、ごめん。恥ずかしい所見せちゃった」

 彼女は素顔のまま優しく微笑むと首を横に振った。


「嬉しかったっすよ。いつも一匹狼気取って弱音なんて見せなかったのに、弱い所もあるんだなって発見できて」


 僕は胸に違和感を覚えた。なんだろうコレは。初めて覚えるその感覚に戸惑いつつもそれはすぐに何処かへ消えた。


「今日の事は内緒ね」と僕が言うと、

 彼女は優しく微笑んだ。


 黒板の上の時計を見ると午後6時になろうとしている。


「そろそろ帰ろうか」

「そっすね」


 僕は教室の窓を閉め鍵をかけた。花さんの机に行き彼女の本の鞄を持つ。


「そういう事を無自覚でやんねーで下さい」

「へ?」

「なんでもねーっす」と言いつつも鞄を奪い返そうとはしなかった。彼女は自分のリュックを背負い僕に向き直ると、


「あ、あの……」と言った。

 彼女は僕を見つめ、

「今日助かりました。どうもありがとうっす」と言って深々と頭を下げる。

「なんだ、そんなこと」

 あれ? マスクと眼鏡は?


「花さん、マスクと眼鏡は?」

「もう、誰も居ないからいいっしょ」


 そうなんだけれど、僕は何故だか不安になった。何故だろうか。


「いや、付けててよ」と、咄嗟に口にしてしまっていた。

 彼女は怪訝そうな表情をしながらも背中のリュックからマスクと眼鏡を取り出すとそれらを装着してくれた。


「ありがとう」

「なんなんすか?」

「うーん……なんでだろう? なんかあまり他人ひとに見せたくないなっていうか。僕だけが知ってていたいなっていうか……」


「だからそういう事を無自覚で言わねーで下さい」と言うと、とっとと歩き出し「ズルイすよ」と言う。

「あ、待ってよ」と言って慌てて彼女を追った。



 二人並んで校門を出た所で唐突に花さんが、

「腹減らねーすか」と聞いてきた。

「減った」

「今日色々助けてもらったんでお礼がしたいっす」

「え? いいの? 奢り?」と聞くと彼女は無言で頷く。


「なんか食べてく?」

「ハンバーガーでいいっすか?」

「そうしよう」


 マスクで良く判らなかったけど、彼女はきっと微笑んでいた筈だ。


 その日、僕達は初めてLINEを交換した。





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