その蝶の羽ばたきは嵐を引き起こす⑤

こんなに園田圭の体は大きかっただろうか。


背は一般的な男性と同じくらい高いが、非常に細身で華奢な体つきだったはずだ。


いまかおるの上に覆いかぶさる圭の体は、それまで接してきた圭の印象よりもずっと大きく見える。


もし逃れようとしても逃れられない、威圧のようなものすら感じる。


その顔はどこまでも白く、頬は鮮やかな紅色に染まっている。


くれない色。


赤よりも深く、深紅よりも鮮やか。


なんて官能的で、清い色なの…。


瞳には情欲と清廉が、炎の緋色と氷の青色が混在して、強く、強く、射るようにかおるを見つめる。


私欲と愛。


それぞれの色がどぎつく主張している。


こんなにも鮮やかで、複雑な色を浮かべて私を抱いた人を、いまだ知らない。


目を開けたまま、圭の顔が近づいてくる。


唇に再びあのとろけるような快感が訪れることを期待して目を閉じるかおる。


しかしその顔は角度を変え、かおるの首元に落とされた。


細く長い指先でかおるの長い髪を撫でながら、唇はかおるの首筋にそっと触れる。


首元にかかる圭の熱い吐息。敏感な首筋に押し当てられる唇。


「…あっ」


突然の強い快感。脳からドーパミンが溢れ出し、意図せず大きな快楽の声をあげている自分を恥じた。


なんていう快感。


意識は現実から離れ、まるでまどろんでいるような浮遊感があるのに、神経は圭の次の行動を期待して尖る。


圭は唇をいったん離すと、今度はもっと深く、まるでかおるの首を食むように口に含む。


熱い息、唇の柔らかな愛撫、味わうように滑る舌。


止めどなく声をあげそうになるのを必死でこらえるかおるの目元には涙がにじんでくる。


こんな強烈な快楽は初めてだ。


男と同じように仕事をする女を抱いて征服欲と性欲を満たしたいだけの男たち。


女性に抱かれたこともある。でも、お互いの気持ちのアンバランスから暴力的な欲望のぶつかり合いになった。


どちらとも全く違う。


愛のある情欲がこんなにも優しく甘く、センシュアルな感覚をもたらすとは。


私の奥底に眠っていた性的欲求が呼び覚まされていく…。


かおるの髪を撫でていた圭の指は滑らかに移動し、かおるの顔を、首元を撫でる。


首元に口づけを続けながら、かおるの服を器用に脱がしていく圭。


動きに合わせて時折かおるの耳に息がかかる。


その度にかおるの喉から高い声が漏れる。


その声でかおるにとって耳への刺激は首よりも強い快楽をもたらすとわかっただろうに、圭は決して耳に口づけを落とさない。


まだ、知らなくていい。これから時間をかけて、かおるの全てを、その反応を知っていくから。


そう言っているよう。


いつの間にか、かおるの上半身は下着だけになっていた。


園田さんの手で、目で、すべてが暴かれていく。


誰にも見せなかった心の深奥までも、裸になっていく…。


そう感じながらかおるは、圭から与えられる刺激を必死に求めた。


欲しい。

もっと。

もっと。


まだ全然足りない。


その手は圭の後頭部を、髪を力任せにつかみ、激しい口づけをせがむ。


自分勝手な欲求。


私をもっと欲して。

もっと、愛して。

狂ってしまうくらい。

あなたに、愛されたい。


その願いを悟ったように圭の唇は、これまでよりもっと激しくかおるの唇を塞ぐ。


舌は遠慮なくかおるの内部に侵入し、まるで蹂躙するかのように強い刺激を与えていく。


ああ、気を失ってしまいそう…。


かおるがその快楽に陶酔していると、突如圭の唇が離れ、移動を始める。


首元、鎖骨、肩、腕…。


順に落とされていく口づけに合わせて、指先はかおるの上半身を滑らかにすべる。


丁寧に、ゆっくり、じっくりとかおるの上を移動する唇と指。


園田さんの唇が、指が、触れたところが熱く燃えて崩れていく…。


崩れた私の体は欠片となって部屋中に拡がり、窓の隙間からすり抜け、星が輝く広大な紺青の空に散らばっていく。


まるで妖精の粉のように金色に輝きながら。


空の紺青と無数の星のまたたき。私はその雄大な自然に新たなきらめきとなって流れていく。


解放されていく。


無限の宇宙に散らばって泳ぐ。


自由に、自由に、自由に…。


性的な快楽に勝る、快感。


愛を貪欲に求め、でも傷つけ合う恐怖に怯えて、手に入れたものも壊し続けた人生。


もう、我慢しなくていい。

思う存分、求めていい。

受け止めるから。


園田さんが全身でそう、伝えてくれるから。


私は、私になる。


ふと、圭が動きを止め、とろけるように甘い瞳で見つめながら、かおるの目頭に触れた。


ああ、私、泣いているんだ。


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「園田さん、私は汚れているの。」


かおるさんは、小さな声で話し始めた。


彼女の目に浮かんだ涙。その涙が清い涙であることを、私はもう知っている。


だから、何を言われてももう動じない。


重い口調で言い淀みながら、話を続けるかおる。


親の愛を求め続けても満足に与えられなかった幼少期、心から愛した詩歩という女性から拒絶をされた学生時代、その人を今でも忘れられないこと、忘れるために一人の女性に抱かれてみたけれど変わらなかったこと、逆にその女性と感情のトラブルになって疲弊したこと、そんな数々のトラウマに苦しみ、でも自己顕示欲を満たすことを諦められずに数々の男と一時的な関係を持っていること。


何もかも包み隠さず話してくれるかおるに、圭は愛しさが増すのを感じた。


「今日、あなたとこういうことになって、初めて自分が解放されて満たされていくのを感じたの。


誰に抱かれても詩歩の幻影を重ねていたけれど、驚くことにそれもなかった。


でも園田さん、長い年月をかけて形成された人格や思考は変わることはないでしょう。


今後、私へのあなたの気持ちが離れてしまう恐怖から、私はそうなる前に別れを選ぶかもしれない。


あなたの好意だけでは満足できなくて、ほかの人からの好意も求めてしまうかもしれない。


あなたをこっぴどく、傷つけてしまうかもしれない。


だから。あなたの気持ちをそう簡単に受け入れることはできないのです。


私はあなたを汚し、傷つける。そして、大切なキャリアの邪魔になるでしょうから。」


圭はかおるの、まるで告解のような話を数学者らしく整理と分析をしながら聞いた後に、口を開いた。


明るく落ち着いた口調で。


「かおるさん。私はあなたとの出会いを、カオスだと思っています。」


怪訝そうな表情をするかおる。


「カオス理論ってご存知ですか?


僅かな数的な誤差が生み出す、予測不能な出来事のことです。


あなたとの出会いも、これからの関係も、すべてカオス理論に基づくものだと考えているんです。


この理論を表す例えで、中国で一羽の蝶が羽ばたくと、その羽の揺れがその後アメリカで嵐を引き起こすというのがあります。


私にとってこの蝶は、あなたです。あなたの僅かな行動でも、私には大きな影響がある。


嵐を巻き起こすことだってあるでしょう。いや、すでに巻き起こっていますね。


でも、仕方ない。好きになってしまったから。


私の人生にとってあなたは、起こりえなかった奇跡。これからも予測不能なことは続くでしょう。


だから、動じないことにしたんです。何があっても私は、あなたのそばにいます。そう、決めたんです。」


改めて言葉にして、圭は身が引き締まるのを感じた。


きっとこの先、私はこの人に振り回されるのだろう。それでも構わない。今日、かおるさんは私に身も心も開け放してくれた。それが特別なことだと知っているから。


そばにいられるのなら、決して離さない。


圭は柔らかな毛布でかおるの体を包み、その上からきつく抱きしめた。

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