土と華③
雑談は苦手だ。目的のない会話が苦手だ。
心の距離をあっという間に詰めてくる人、人の私生活や感情に土足でヅカヅカと踏み込んでくる人は不快だ。
相馬かおるの取材は、雑談も交えて進められた。
でも、彼女との雑談を、圭は自然体で受け入れていた。不快だとは、思わなかった。
なぜだろう…。
いつもは逃げ出したくなるくらい雑談の時間が嫌いなのに。
取材後の写真撮影に応じながら、その理由を探した。
かおるは、事前に圭のことを可能な限り調べ尽くしていた。学生時代の専攻や現在の研究内容はもちろんのこと、生活リズムや性格面までも。
大木教授にも何度か連絡をし、質問をしていたらしい。
知らないところで教授が自分の個人情報を話していたことには一抹の不満を覚えたが、相手がかおるならばまあいいかと思えた。
なぜなんだろう…。
極度の人見知りで他人との関りを極力避けている私が、目の前でカメラを構えるこの女性には、自分の内面を知られても不思議と不快に思わない。
きっと、相馬さんの私に対する態度に敬意が感じられるからだ。私の研究への思いを、それに伴う努力を認めて、同じ熱量で私の話しを聞いてくれる。
途中退席した大学の広報担当者がまだ部屋に同席していた時も、彼がそこにいないかのように、私だけを見てくれた。
一見すると、他人との上っ面だけの軽い付き合いに慣れた業界人のように見えるけれど、相馬さんが追い求めているのが「本物」だとその態度から分かった。
本当に読者が求めているものを取り上げたい、取材相手の深い真意を汲み取りたいという熱意が伝わってきた。
言葉遣いも、話を聞く姿勢も、終始丁寧だ。
でも、こんなに自然に相馬さんとの取材が進んだのには、他にも理由がある気がするな…。
圭はかおるから出される写真のシーンやポーズの指示を機械的にこなしながら、別の視点でも考え続けた。
まあ、内面を知られたと言ってもこの短時間では表層的な部分のみだし、そもそも取材の目的が自分の研究や夢についてという得意な話題だったからな…。
相馬さんは聞きたいことを引き出すために対象者の懐に入る術を経験から得ているんだろう。だから、不快に思わなかったのだろう。
初めてのことだから、非日常的な時間にわずかな心の揺れが発生しているだけだ。大したことじゃない。もう、考えないようにしよう。こんなことを深堀りしても意味がない。無駄な時間だ。
考えている間に、写真撮影は終わったようだ。
「ありがとうございました。これで取材は終了です。園田さんの研究への情熱を感じて、久しぶりに私も心が熱くなりました。仕事頑張ろう!って、お若い園田さんから元気ももらいました。」
取材道具を鞄にしまいながら、かおるは晴れやかな表情で圭に笑いかけた。
その瞳は充実感と興奮で輝き、明らかに圭への親しみが籠められていた。
目尻が下がり、この時間が心底楽しいという感情が瞳の奥からあふれ出ている。
少し乱れた艶のある黒髪、燃え尽きたような少し疲れた表情、でも頬は気持ちの高揚を表して桜色だ。
美しい…。
そう思ったとたん、突然、圭は自分の体が揺れるのを感じた。足が地面から離れ宙に浮いているようだ。
同時に、とろけるような甘い感情が体全体に広がり、何故か、泣きたくなった。
一体、これはなんだ…。どうしよう、制御できない。落ち着け。よく分からない感情は、判断を狂わすだけの不要なものだ。切り捨てるべきものだ。冷静になれ。
これまで経験したことのない心の動きに、圭は大いに戸惑った。
圭の中に突如として流れ出した熱い液体。その濁流に呑まれたいという衝動に駆られる。そうしたら、これまで経験したことのない心地よさに包まれるだろう。
でも、呑まれたら息さえつけなくなることもまた、容易に想像ができた。
何よりも、圭は自分の心にうねりが生じているのが怖かった。普段の凪いだ精神状態に早く戻りたかった。
かおるは荷物をまとめると、圭が眉間に皺を寄せて呆然と自分を見つめていることに気づいた。
青白かった顔が紅潮し、悲しいような、縋るような潤んだ視線。苦しみや戸惑いだけではない。そこには確かな愉悦も浮かんでいる。
冷静だったこれまでの圭からは想像ができないその情感豊かな表情に、かおるは驚いた。
この表情を私は知っている。
他人から好意を寄せられることは珍しいことではない。そこから、かりそめの関係に発展することも、たまにはある。
たとえその出会いのきっかけが仕事であっても。
目の前の若い研究者の話しは興味深かった。今まで出会った誰よりも将来性を感じたし、大木教授のお墨付きもある。
これから長期的に彼女の活躍を追っていきたい。
でも、彼女が私に持ってくれているであろう好意を利用してはいけない。
真摯に、誠実に向き合う必要がある。
「園田さん、私はこれで失礼しますね。原稿ができあがったらメールしますので、ご確認をお願いします。本日は本当に、ありがとうございました。」
これ以上、好意を抱かせないようにしなくては…。かおるは圭に努めて事務的な態度で御礼を言い、足早に研究室を後にした。
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