第47話 白姫と黒姫

「アー、ニンギョウ、ウゴカナクなった。ツマンナイ」


 意識を失いぐったりとするファルナルークの姿を見て、先ほどまでニコニコだったフェルヴェルの表情が途端に不機嫌になった。

 もう、何も用は無い。

 プイッとそっぽを向いてテュアルの元に駆け寄っていく。

 いつものようにテュアルの背後に回ろうとして、フェルヴェルは異変に気付いた。

 

「テュアル、ズラカロウ!ヤベーのがクルぞ!」


 フェルヴェルはテュアルの返事を待たずに、素早く身をひるがえすと林の中へ飛び込むようにして走り去ってしまった。


「来たか……」


 待っていたかのような、来る事が判っていたかのような口ぶりだ。


「私的な実験はもっと静かに、秘密裏に行うものですよ」


「……ランドベーク」


「血の探求などという狂気じみた人体実験など、王宮魔術師に任せておけばよかったのに」


 鏡面切り株がある丘の上には、ラスティ、リプニカ、ヴァンデローグ他、計20名程度の小隊規模の騎士、ライトブレード隊員達が駆けつけた。

 隊印章すら付けない私服のテュアルに対して、ラスティは正規の隊服を身に纏う。

 ヴァンデローグ達騎士団は軽甲冑である。


「ラスティ!テュアルは君に任せる。救護班!あの者達を保護!リーガル班!ブラグ班!ダークエルフを捕らえろ!」


「はっ!」


 ヴァンデローグに指示を受けた従順な部下達が散り散りになってゆく。


 残った数名は距離を取ってラスティを包囲する。

 テュアルの正面に対峙するのはラスティ唯一人。


「殺人未遂の現行犯で貴女を捕らえ、然るべき処置をもって裁判にかける事になります。貴女には黙秘する権利、弁護士を呼ぶ権利がありますが、抵抗すればそれだけ貴女に不利になるだけですよ……と言ったところで聞く耳は無さそうですね」

 

「互いに想いは同じ筈だろう?ランドベーク……絶好の機会だと思わないか?」


「そうですね……一度でいい。一度でいいから、真剣での勝負を……斬り合いを。殺し合いを……貴女としてみたかった。ずっと、ずっとそう思っていました」


「奇遇だね、ランドベーク……私もだよ」


「「この日を待っていた」」

 

 偶然にも、二人の声が重なった。


「ライトブレード隊隊長、ラスティ=ランドベルクがここに宣言する!これより、一騎討ちを行います!何人なんぴとたりとも、いかな理由があれど、手出しは無用です!」


 高く、透き通る凛とした声でラスティが宣言する。


 ――隊長としての一騎討ち……自ら退路を絶つとは、よほど私を……


「……殺したくてしょうがないようだね……」


 テュアルの瞳が狂喜の光を宿す。



 リプニカはフェルヴェルが何処かに潜んでいるのではないか、おかしな呪術を使わないか、と周囲に注意を払うが何処にもその姿は無い。


「逃げたのか……?パートナーを見捨てて?所詮はダークエルフか……」


 侮蔑の混じった一言を呟き、ラスティに視線を向ける。


 ――ラスティ様……?



 ラスティはうっすらと微笑んでいた。


 ラスティとテュアルの間には、誰も介入出来ない気迫が漂っている。


 ――邪魔をすれば切る。


 そんな空気を感じるほどに。


 二人が同時にゆっくりと抜剣し、テュアルが『きる』を正眼に構える。

 対するラスティは右手をだらりと下げて、構えもせずに棒立ちのままだ。


 ラスティの魔剣『白』の秘められた力を知る者は少ない。力の真髄を知る前に絶命している事が大半だからだ。

 純白の刀身『白』が朝陽を受けて耀く。

 対する漆黒の刀身『切』は光を反射することなく、朝陽を吸収しているかのようだ。


「出し惜しみはしませんよ」

「無論」


 二人の呼吸がシンクロする。


「ふっ!」


 呼気のタイミングでテュアルが一気に跳躍した。

 ファルナルークを一撃で仕留めた技だ。

 闇より深い闇色の刃がラスティの首を凪ぎにいく。


 リプニカは信じている。ラスティが敗れるはずがないと。しかし、テュアルの一閃は確実にラスティの首を捉えたように見えた。


 鮮血が飛沫となって二人の間の空気を朱に染める。

 

「ラスティ様!!」


 出血は、両者のものだった。


 ラスティのマジクス・スキル『リバースダメージ』によって、テュアルもラスティと同様の切り傷を負っていた。


「やはり、そうか。得体の知れない厄介なスキルだと思っていたが……これでは、相討ちの選択肢しかないという事だな……」


「喉を切る直前に太刀筋を下げるなんて、素晴らしい技術ですね」


 両者の鎖骨辺りから深紅の血が筋となって流れ、ラスティの純白の隊服がじわじわと紅に染まってゆく。

 

「ラスティ様……!やっぱり、耐性が落ちてる……!」


 リプニカの表情が一気に青ざめる。

 以前なら、全くの無傷でいられたはずのスキル

 『絶対防御』

 それが今ではほとんど発導していないのは誰が見ても明らかだ。

 もし、テュアルが太刀筋を変えずにそのままラスティの首筋を凪いでいたら……

 

 両者共に絶命していたかも知れない。

 考えただけで背筋が寒くなる。


「ラスティ様は負けない!絶対に……!」


 リプニカは無意識のうちに両手を組み合わせ祈りの印を結んでいた。


 テュアルの間合いは身長と刀身長を足した値である、とラスティは読んでいるがテュアルのスキルの前にはそれは無意味だ。

 加え、相手は魔剣使いである。

 『きる』の情報が無いに等しいこの状況で切り込んで行くのは愚行としか言えない。


 ラスティはテュアル同様、魔剣の力を使わずとも十分な剣技と身体能力を備えている。

 魔剣の力を解放する事に躊躇は無いが、同時に大幅に魔力を削られてしまう。

 マジクス・スキルと併用すれば、急激な魔力消費で身体への負担が尋常ではないと経験から解っているが故に。


 まだ『その時』ではない。

 ラスティは心静かに待つ。

 『その時』を。


 初手のテュアルの一撃以来、両者共に動かずに、動けずにいた。

 

 テュアルは静かに剣を鞘に収め、もう一度半身に構える。

 

 ――居合術……?……いえ、違いますね……


「魔剣の力……出し惜しみはしない。ランドベーク。お前を、『きる』」


 テュアルがもう一度、抜刀する。

 と、テュアルの右に三人。左に三人の影。

 ユラユラと陽炎のように揺れながら現れたのは、テュアルだった。


「残像……?分身……違う……全部、本物!?」

 

 リプニカだけでは無い。その場にいる者全員が一瞬、我が目を疑う。


 真ん中のテュアルが言う。


 「東方文字『切』を解体すると『七つの刃』になるのさ。オマエを切り刻むには足りないくらいかな……?」


 ラスティは動じない。それどころか笑みさえ浮かべている。

 これから始まる血の惨劇を待ち切れない。

 そんな笑みで。


「奇遇、の一言で終えてしまうのは早計でしょうか。私の剣にも、貴女の剣『切』と同じ東方文字が刻まれているのですよ」


 魔剣『はく

 大理石のような白さ。見る角度によって透き通って見える美しい宝剣。

 その秘めたる力を見た者は少ない。


 右手の剣を目線の高さに構え……


「私も見せますよ。『白』の力。どうか、生き残って感想を聞かせて下さいね」


 朝陽を受けて耀く純白の刀身。

 小声でその名を呼ぶ。


はく


 ただ一言だった。

 

 見るまにパラパラと『白』の刀身が糸のようにほどけてゆく。ゆらゆらと生き物のように空中を漂うその数は……


「数を言っておきますね。99本です」

 

 すいっ、と左手を振ると99本の白く輝く鋼の糸が上空へと舞い上がった。


「東方文字『ひゃく』から『いち』を引いた文字が『はく』つまり『九十九』という意味合いを持つのですよ」


「……随分とまどろっこしい名前だね……最初から百にすればいいのに」

 

「貴女も私と同じ意見を述べてくれるのですね。とても嬉しく思います。でもそれが、東方の剣造師の美意識、なのでしょうね。言うまでもありませんが、ただの糸ではありませんよ」

 

「そうだろうね……」

 

「鋼鉄のように堅く、絹のように柔らかい糸で、貴女を切り刻みます」


 ラスティが刀身のない剣を振るうと、上空の99本の糸がピン!と音を立てた。


 二人に張り詰める緊張感は、空気さえも刃に変える。


『試合』ではない。

『殺し合い』なのだ。


 どちらかの死を以て決着を。


「全撃」


 テュアルが吐息混じりで言い、スキルを発導する。


 刹那、七人のテュアルが目にも止まらぬ速さでジグザグに走りながら、ラスティに突っ込んで行った。


 全てを出し切り、一撃で仕留める。

 テュアルのマジクス・スキル『全撃』は、全ての身体能力を極限まで高める。

 瞬発力、反射力、筋力、集中力。

 あらゆる身体能力を駆使して、七人のテュアルが微妙な時間差でラスティとの間合いを詰める。


 確実にラスティを屠る一撃を。


 心臓を狙った鋭い突きを、七人のテュアルが放つ。


白雨しらさめ


 ラスティがポツリと洩らした一言で、空から白い雨が降ってきた。

 白い雨に見えたのは、魔剣『白』の糸のように分裂した刀身そのものだ。


 複数の白糸が一人の先頭のテュアルを絡めとり、シュッ!という音と共に全身を切り刻んだ。

 ブロック状に切断された肉塊が、鮮血をぶちまけながらあたりに転がり散らばる。主を失った右手の剣は、ふっと消えて無くなった。


 二人目、三人目は数本を払い落としたが、一人目と同様に白い鋼の雨に切り刻まれ肉塊と化す。


 四、五、六人目は連携を取り上空からの攻撃を凌いだが、細い蛇のように蠢く白糸が地を這いテュアルの美しい脚を切断する。

 そこに再び白い雨が降ると三人のテュアルは串刺しとなっていた。


 だがそれらのテュアルは囮に過ぎない。


 七人目のテュアルの刃が、『切』の切っ先がラスティの胸に吸い込まれるまで後、爪の先ほどで。


 どしゅ!


 鋭い衝撃音。


 頭上から急降下してきた『白』の99に分かれた内の最後の一糸が、テュアルの右腕の肘から先と右足首を切り落とした。

 切り落とされたテュアルの右腕は『切』を握り締めたままラスティの足元に転がる。


 一瞬の間を置いて、勢いよくほとばしるテュアルの鮮血がラスティの白い肌を、白銀の長い髪を、真紅に染めあげていった。


 全てが、一瞬で決した。


「……脳天から真っ二つにする予定だったのですが……寸前で避けるなんて、流石ですね」

 

 テュアルは、腕を切り落とされ足首を失っても呻き声一つ漏らさなかった。両膝を地面についているが、視線はラスティを捉えて離さない。


 ひゅうん、と白い光が集まり『白』が元の刀身へと戻る。

 ラスティが魔剣『白』をテュアルの額にすっと突きつけた。

 剣の切っ先とテュアルの額の間には紙一枚すら入らないほどに近い。


 テュアルの白い肌は失血によってさらに白く、蝋燭ろうそくのように変色していた。

 99の内の一糸をいつ弾いたのか、左手の薬指は第二関節からあらぬ方向にねじれ、小指も第二関節から千切れかけ、皮一枚でかろうじてつながっている。

 テュアルは膝をついたまま、その血まみれの左手の三本指だけで器用に自分の髪を編み込み始めた。 


「……?」


 ラスティは無言でその様子をじっと見つめる。


 三本指だけでは髪を編み込む速度は遅かったがその手は止まらず、瞳はラスティを見据えたままで、ゆっくりと丁寧に髪を編み込んでいく。


「……!」


 ラスティはその網目に見覚えがあった。

 愛しい婚約者、ヴァンデローグの髪に編み込まれていたものと同じ網目だ。


 四日前の夜の事。


 ――珍しい網目ですね。


 ――ん?何がだい?


 ――可愛らしくてステキですよ。


 ――……なんのことか分からないけど、礼を言っておくよ。


「これは、私の、独り言……」


 ラスティの瞳を捉えたまま、テュアルが淡々と呟く。


「……背中に、羽ばたく鳥の形に似た傷痕」


「……!」


「……左の内腿うちももに4本爪の傷痕」

 

「下衆女……何を言い出すのかと思えば……」


「半年も前の事だ……気にするな、ランドベーク……情熱的な夜だったよ」


 ラスティに精神的な揺さぶりをかけるに充分な独り言だった。


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