第48話 因縁は終わり、再び始まる

「汚らわしい血を……よくもラスティ様に……!」


 テュアルの返り血を浴びて真紅に染まるラスティの姿にリプニカが憤怒するが、しかし。

 ラスティはリプニカがこれまでに見た事の無い、満ち足りた表情を浮かべていた。

 それは今までにリプニカが見たことの無い『オンナ』の顔だったが、テュアルが何か言ったのか、ラスティの表情が急に変化していくのを目にして胸騒ぎを覚える。


 リプニカの位置からは遠くて聞こえないが、明らかにラスティの様子が変わっていくのがわかった。


「テュアル=ユーディット……何を言っている……?ラスティ様……!どうか、惑わされないで下さい……!」


 ただならぬ予感。

 リプニカは考えるより先に身体が動き、ラスティの元へと駆け出していた。

 間に合わない、と知りながら。


          ◇


 切り落とされた右肘と右足首からは鮮血が溢れ、テュアルの白い肌はラスティより白く、死人のように青白く変色していく。


「男という生き物は、本能で種を残す……何も不思議な事ではないと思うよ……」


 そう言うとテュアルは、自身の下腹部を血まみれの左手でさすってみせた。

 編み込んだ髪はほどける事なく、その形を保っている。


「彼は……私の中に、何度も……何度も……何度も……荒々しく、猛々しく……情欲を射ち出したよ……オマエも経験済みのはずだ……」


 恍惚、とさえ言える『女』の顔でラスティから視線を外さずにテュアルが呟く。


「……下衆の戯れ言を信じるとでも?」


 テュアルには判る。ラスティは明らかに動揺している、と。


「……誰の子か……判るだろう?」


「!!」


 とどめの一言だった。それまで冷静に見えていたラスティの目の色が瞬時に変わる。

 その時だった。


「もういいだろう!同胞殺しは重罪だぞ、ラスティ!」


 ヴァンデローグの声が大きく響く。


 その言葉が引き金だったのかも知れない。


 ラスティはほんの一歩だけ、足を踏み出した。

 ラスティの剣、『白』の純白の切っ先がテュアルの額に音も無く吸い込まれる。

 ラスティはテュアルを、テュアルはラスティを見据えたまま、はくの刀身が静かに、少しづつテュアルの額に射し込まれてゆく。


 テュアルの後頭部から突き出た『白』の刀身は深紅に染まり、切っ先から鮮血が滴り落ち、テュアルの背後に血溜まりを作っていった。


「今のは嘘だ……お前の勝ちだよ、ランドベーク……」


「………」


 ラスティは無言で、はくをテュアルの頭部から引き抜いた。


 主と同じ様に刀身の半分近くを真紅に染め、切っ先から血が滴る。


 テュアルの身体は崩れもせずに、ラスティを見据えたままだ。


 その瞳に狂気の光を湛えたまま。

 口元には薄く笑みを浮かべて。


「……レオン班、ラスティ=ランドベルクを捕らえろ!」


 ヴァンデローグが指令を出す。その声と表情には苦渋の色がはっきりと見てとれた。


「はっ!」


 従順な部下達がラスティを確保しに駆けてゆく。


「……お渡し願います!」


 部下の一人がラスティから魔剣『白』を確保し、別の一人が後ろ手に捕縛する。

 ラスティはなんら抵抗する事無く、騎士団員数名に連行されていった。


「ラスティ……何故だ……」


 ヴァンデローグとすれ違う際、目も合わさずに。


「ラスティ様……っ」


 リプニカとすれ違う際、顔も上げずに。


 ヴァンデローグの目に映るテュアルは明らかに重症を負い、武器も持たず両膝をついて無抵抗だった。

 対しラスティも負傷し、出血はしていたもののしっかりと両足で立ち剣を突き付け、勝敗は決していた。


 明確な殺意は有ったのか、否か。


 いずれにせよ、ラスティがテュアルを殺害した事に変わりはない。


 愛しい婚約者になる筈だったラスティを法廷の場で見る事になるのか、と。さらに、目撃者の一人、証人として証言台に立つのかと思うと、ヴァンデローグの胸が痛んだ。



          ◇



 一方、テュアルの遺体回収班。


「本当に死んでるのか……?」


 目を見開いたまま、虚空を睨み付けているようにみえるテュアルに若い団員が怖じ気づいていた。

 

「うすら笑いさえ浮かべてる……美人だったのになあ」

「ただの犯罪者だ。さっさと運ぼう」

 

「うわあっ!」

「どうした!?」

 

「動いたあっ!」

「そんなバカな……筋肉が反応しただけだろう。ビビりすぎだよ、オマエは」

 


 その夜、テュアルの遺体は、魔剣『きる』と共に、王宮から離れた場所にある遺体安置室から消えた。


 テュアルの遺体消失は、民衆には絶対に知られてはならない最高機密として、他言無用、門外不出案件となった。


 リプニカはこの事件を、ダークエルフ、フェルヴェルの仕業だと考えていた。

 テュアルの影のようにつきまとい、いつも一緒にいたダークエルフ。

 そのフェルヴェルも姿を見せていないのだ。

 いつか必ず、この街に災厄をもたらす。

 リプニカはそう信じて疑わない。



 目撃者が多数いる中でテュアルを殺害した事は、前代未聞の不祥事としてライトブレード隊員及び騎士団に大きな影響をもたらしていた。

 中でもラスティと恋仲であった騎士団長ヴァンデローグは、普段は平静を装ってはいるものの、精神的に疲労しているのは誰の目にも明らかだった。


 隔離塔、別名『陸の灯台』にラスティは禁固、という形で幽閉されていた。

 丘の上にぽつんと建つレンガ造りの真っ直ぐな塔。灯りが点ることはないが、遠く離れた場所からも目視出来る目立つ色の為に、いつからか『陸の灯台』と呼ばれるようになった塔である。

 

 事件から三日が過ぎていた。

 騎士団長ヴァンデローグは今日も陸の灯台に足を運んでいた。

 

「今日もいい天気だね、ラスティ」

 

 ラスティからの返答はない。

 ヴァンデローグがいつ何時面会に訪れても、ラスティは壁を向いて目を閉じたままだ。


「……君との婚約は正式に解消されたよ」

 

 当然の結果である。

 内々に婚約の話は進められ、後は発表するだけのはずだったのだが。

 

「今でも解らない……冷静な君が、どうして彼女に刃を突き立てたのか……」


 あの時のテュアルは武器を持たず、無抵抗で膝まづいていた。


 ある目撃者は、「足元がふらついて」

 ある目撃者は、「明確な殺意をもって」

 足を一歩踏み出したと証言した。


 ラスティを擁護する声は多いが、無抵抗のテュアルを殺害した事に変わりはない。


「……君は魔剣の力を使い過ぎた。それは君自身が一番理解しているはずだ。魔剣に魅入られた者の末路を知らないはずはないだろう?」


 ――今日も振り向いてくれないのか……


「僕の目を見てくれ。ラスティ……!」


「私は、貴方を信じる事ができなかった私を、許せないのです……」


 幽閉されてから初めて、ラスティが口を開いた。声は小さく掠れていたが、静かな部屋であるが故にヴァンデローグの耳に、はっきりと届いていた。


「……言うべきでは無いのかもしれないが……伝えておくよ。テュアル=ユーディットの遺体が消えた。魔剣『切』と共にね。彼女のパートナーだったダークエルフもそうだ。特殊部隊が足取りを追っているが捜査は遅々として進まない」


「……妖術使いのダークエルフです。おそらく、なんらかの形であの女を甦らせるつもりなのでしょう」


「死者を甦らせる、と?」


「……あの者なら可能なのではと推察します」


 ふっと、ラスティがヴァンデローグに顔を向けた。

 その時、何故ラスティがいつも壁を向いていたのか、ようやくヴァンデローグは理解した。

 マジクス特有の赤斑点が赤黒く変色している事に。


「ラスティ……!その色は……!」


 ラスティの赤斑点は下唇の端にある。普段は口紅で隠れて見えない箇所だが、禁固幽閉され化粧もままならない状況では隠しようがない。

 それを見られまいと、ラスティはいつも壁を向いていたのだ。


「私の死期は近い……私が死を迎えるその前に……もう一度あの女と、テュアルと刃を交えたい。もう一度、殺したい。それが、今の私の願いです」

 

「それが……君の、本心なのか?」


「……はい」


 かちゃり、と金属の落ちる音がヴァンデローグの足元で鳴った。

 禁固部屋の鍵だ。


「脱獄犯として追われる身になるか、ここで罪を悔い改め、死を待つか……選ぶといい」


「罪……?」


 ――あの女を殺した事が?貴方を疑った事が?

 

「……よく考えてくれ」



 ヴァンデローグが帰ってから1時間ほど経過してから、ラスティは塔の階段を降りて行った。

 外にはラスティの予想通り、ヴァンデローグが待っていた。


「次期国王候補と呼ばれる者が何人いるか知っているだろう?僕を含め三人だ。三人も、だ。幸せで平和な国だよ。僕がいなくなったところで、誰も困りはしない」


「光ある未来より、裏切り者の醜女を選ぶと仰るのですか……?」


「ラスティ……君は美しい。他の誰でもない、君を愛おしく想う。君がいない部屋は、ひどく静かで、恐怖すら感じる……僕の心は、君と共にある」


「私の心に在るのは……あの女への憎悪と……憧れ……」 


「憧れ……?」


 ヴァンデローグが差し伸べた手を、ラスティは静かに、拒否した。


「愛しています……ヴァンデローグ様……私は必ず、戻ってきます……あの女の生首を手に……」


「ラスティ……君は……」 

 君の狂気は……


 ラスティの脱獄、逃亡の知らせが街中に広まるのには、さほど時間がかからなかった。

 即座に追跡調査隊が組織され、ラスティの捜査が始まる事となる。


 ラスティを慕いライトブレード隊を脱退し姿を消した者達やラスティ支援の為に立ち上がったマジクス達を不穏分子とみなし、賞金を絡めた捕縛命令が出された。

 賞金絡みという経緯もあり、この事案は後に『マジクス狩り』と呼ばれる事となる。


 正式に捕縛令が出たのはラスティ逃亡から約一週間後、本来であればヴァンデローグとラスティの婚約発表が予定されていた日であった。


 人数は減ってしまったがライトブレード隊はとりあえず存続された。

 新しくライトブレード隊のリーダーに抜擢されたのは、リプニカ=メッディーナ。

 常にラスティの側に付き行動を共にしてきた灰色髪の少女である。

 

 リプニカは思い出す。

 ある日、ラスティと交わした会話を。


 ――ラスティ様は、このお仕事を愛していらっしゃいますか?


 ――リップは面白い事を聞くのですね……仕事に愛って必要ですか?


 ――ワタシは必要だと思います!仕事愛という言葉があるくらいですから!


 ――仕事愛……ですか……私には無いかもしれませんね……これは、この仕事は、私の使命なのだと思っています。


 ――使命……ですか。そうですね!ラスティ様に相応しいと思います!


 ――愛、という言葉に当てはまるとすれば、それは私にとって……ヴァンデローグ様……でしょうか……


 ――ヴァンデローグ騎士団長……ですか……あの、ラスティ様……どうしてもヴァンデローグ様でないといけないのですか……?


 ――……どういう事でしょうか??


 ――あ、いえっ!ご気分を害されたなら謝罪いたしますっ!


 ――いえ、怒ってなどいませんよ。正直に仰って下さいな。気になるではないですか。


 ――……ヴァンデローグ様には、その、他にも恋人が、という噂が……ですね……


 ――浮わついた話はいつの世にも、どこにでもあるものです。私は気にしませんよ?


 ――それが、その……相手は……テュアル=ユーディットだと……


 リプニカのこの言葉で、ここで会話は途切れた。


 ラスティの白い肌が血の気の引いたような白さになり、微笑みを浮かべてヴァンデローグの事を語っていた柔らかな表情は消え失せていた。


 リプニカは思う。


 ラスティはこの時よりもっと以前から、あの女に対するどす黒い憎悪と殺意を抱いていたのではないか、と。


 そして今日も、リプニカはラスティ探索に向かう。

 あてどもない探索へと。

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