第46話 夢が消える時

「間に合わなかった……か」


 誰に言うでもなく、テュアルは自嘲気味に呟いた。

 その場にはテュアル以外、誰もいないかのように、音も無く剣に向かって歩いていく。

 胸元の大きく開いた黒のビスチェと、菱形にデザインカットされた黒のパンツ。

 街で出会った時と同じ服装である。

 ただ一つの違いは、ライトブレード隊印章を身に付けていないことだ。


「やあ、ヴェルデファース」


 いたのか。といった口調で、何事も無かったかのように『切』を魔方陣が描かれたケヤキの切り株から引き抜く。剣が刺さっても鏡は割れる事は無かったが、真ん中近くに穴が空いてしまっていた。

 

「……まんまとあの男に騙されてしまったな……」


「アノ、クソオレンジメッシュ!ぜったい見つけ出シテコロス!!ぶちコロス!!グチャグチャにしてヤル!!」

 

「オレンジメッシュ?……ルディフ?」


 テュアルの後をついてきた、はだけた浴衣姿のダークエルフが憤慨しているのを見てファイスは姿を消したルディフのことを思い出した。


 ――オレ達を探してる事に気付いて、偽の情報を流した……?……罪滅ぼしのつもりだったのか……?

 

 フェルヴェルがルディフに会わなければ、この二人はシルスを見つけ出していたかもしれない。

 シルスを見捨てた事に対する罪滅ぼしなのでは?とファイスは思う。


 ――なんだよ……やっぱ、ワルになりきれないんだな……


 ふっと口元が綻ぶがそれは一瞬で、ファイスも緊張感を持ってテュアルとフェルヴェルに対峙する。

 この小さな身体の何処にあんなパワーがあるのかと不思議に思えるほどに、夕べ受けたフェルヴェルのハイキックは強烈だった。


 ――今度はやられねーぞっ


 前に出ようとするファイスをファルナルークが制し、テュアルに鋭い視線を向ける。


「どういうつもり……?」


 ファイスとシュレスを庇うように、ファルナルークは強い意志を持ってテュアルの正面に立つ。もちろん、テュアルの間合いには入らない。

 ファルナルークの口調には強い怒気がこもっていた。

 投げつけた剣はシルスに当たっていたら間違いなく死んでいた。

 何故、シルスを事件に巻き込んだのか?

 何故、エルフばかりを狙って、犯罪を繰り返したのか?

 聞きたい事は多かったが、テュアルが答えるとも思えない。

 ファルナルークは全神経を尖らせ、テュアルとの対戦に集中力を高めていた。


「へえ……そんな怖い顔するのか、ヴェルデファース。フォーチュン・レガシィは誰にも渡さない。手に入れられないのなら、壊してしまえばいい。それだけのことさ」


「フォーチュン・レガシィ……?」


「知らなくていいよ」


「ライトブレード隊員が人体実験なんて……正気とは思えない!」


「おまえとは一度、本気でやりあってみたいと思っていたんだよ」

 

「……私は、貴女とは関わりたくないって思ってた」

 

「つれないな……寂しいよ」

 

 朝日が昇り、夏の早朝の爽やかな風が吹き抜けていく。

 血を見ずに終われない。

 この場にいる誰もがそう感じていた。


「……二人とも離れてて。ファイス、手出しはしないでね。もし手出ししたら……恨むからね」


「そこまで言うんだったら手出ししない。でも、本当にヤバかったら……恨まれてもいい。助けに行く」


 二人とも互いに目を反らさない。決意の表れである。

 

「……わかった」


 ――そんな真剣な顔するんだね……心配してくれてるんだ……ちょっとだけ見直してあげる。ちょっとだけ、ね。

 

 ファイスとシュレスは少し離れた場所にある岩陰に移動した。

 その間、テュアルとファルナルークは互いに目を反らさず、一歩も動かない。


「案ずるな。その二人に用はない。オマエの血が絶えればそれでいいんだから」


「……?」


 ――私の血を絶やす……?目的がわからない……


「構えなよ。言うまでもないけど……殺す気で来なさいね。対人戦闘は久々だけど手加減はしないよ」


 テュアルが右足を引き半身の構えを取る。抜剣の体勢ではない。


 対し、すらん、と抜剣し左手をテュアルにかざすファルナルーク。

 残り少なかったマジクスの力は魔力吸引マジックドレインで吸い取られてしまった為、スキルは使えない。

 

 純粋な剣術戦ならば過去にテュアルに勝ったこともある。体術『流転空』と剣術を併用してもテュアルにスキルを使われたら勝ち目はないかもしれない。

 テュアルのスキルは過去に一度だけ見た事がある。

 ただの加速ではない、瞬時に全ての身体能力を爆速させるスキル『全撃』。

 スキルを発導させ全体重を乗せた一撃は、安物の鋳造剣でさえ巨大な鉄の塊を紙のように切り裂いた。

 テュアルの剣術が突出している事を鑑みても、恐ろしいまでの威力である。

 生身の人間があの一撃を受けたらと思うと……四肢はバラバラに、身体の全てがただの肉塊と化す事など容易に想像できる。


 テュアルが両手をだらりと下げ脱力する様からは、敵意など微塵も感じられない。


「覚えてるかい?ヴェルデファース。訓練所の教官が言ってた事。闘いの場において重要な事は2つ。

 生き残る為には、どうすれば勝てるかではなく、どうすれば死なずにすむか、を考える事。もう一つ。自分の力量を見誤らない事……と教わっただろう?」


 ファルナルークは答えない。

 深呼吸をし、心を静めて『迎撃』の姿勢を崩さない。


「私はその教えに賛同出来なかった。自分なりの戦術というものがあったからね。それが何か判るかい?」


 風にそよいで頬にかかった長い黒髪を、片手ですっと撫で付ける。

 ファルナルークの事など、最初から相手にしていないかのように。


「答えは簡単。相手に考える暇と隙を与えない事、だよ」


 すっ、とテュアルが腰を落とし、両脚力の最大出力を出せる姿勢を取る。


「お別れだ、ヴェルデファース」


 ふ、と息を吐く。


「全擊」


 ドッ!


 テュアルが地面を蹴る音が聞こえた瞬間。


 あまりに一瞬の出来事で、ファルナルークは何が起きたのか理解できなかった。

 

 下腹部への激しい衝撃。

 テュアルの攻撃、たった一撃で吹き飛ばされ、ぼろ人形のように地面を転がり……

 気が付いたら仰向けになっていた。


「「ファルっ!!」」

 ファイスとシュレスの声が重なった。


「ジャマすんナ、クソニンゲン。オマエラも後でコロスからジッとシテロ」


 ぴょんぴょんと跳び跳ねるように駆けてきたフェルヴェルが、二人の動きを封じるように立ちはだかる。


「……どいてくれねーかな」

「オマエ、どっかでミタな……どこダッケ。まあ、イーや。ウリャ!」


「はっ!」


 ぱしっ!という音と共に、昨日不意打ちで喰らい吹き飛ばされたフェルヴェルのハイキックを今度は受け流してみせた。


「アレ!?」

「足クセの悪いダークエルフだなっ」


 ファイスのしゃがみこみながらの後ろ回し足払い。フェルヴェルはいとも簡単に後方宙返りで避ける。


「遊んでクレルのカー?」


 フェルヴェルが長い舌を出して笑みを浮かべながら、一定の間合いで睨みを効かせファイスの足を止める。

 簡単にファルナルークの元には行かせてもらえないようだ。

 


「……う……っ」


 ファルナルークは小さく呻くことしか出来なかった。呼吸さえ辛い状況だ。

 怪我の状況を把握する為に四肢を動かしてみる。両手両足、左右の五指、各関節。

 呼吸をすると脇腹に痛みが走る。あばら骨を骨折しているかもしれない。

 頭を強く打たなかったのは、日々の鍛練の恩恵だろう。


 しかし、全身の痛みは徐々に大きくなっていく。

 それはやがて激痛へと変化した。

 痛みがあるということは、生きている証ではあるが、下腹部の痛みは、もはや尋常ではなかった。

 右手で痛む箇所に触れてみる。

 ぬるりとした生温かい感触。

 出血だ。


 勝敗は一瞬で、一撃で決した。

 

「どうして……一息で殺さない……?」

 

 命を奪うことなど容易かった筈なのに、テュアルはファルナルークを殺さなかった。

 

「あっさり殺してしまうなんて、なんの面白味もないだろう?絶望感というものを味わってもらおうと思ってね……」


 ゆっくりとファルナルークに近付いていく。


「これが何かわかるかい?ヴェルデファース」


 テュアルは左手を掲げてみせた。 

 ファルナルークの下腹部に傷を負わせた手刀を。

 小さな肉片がこびりつく、血まみれの左手を。


 テュアルはファルナルークの元に歩み寄りしゃがみ込むと、優しく耳元で囁いた。


「……お前の、子宮を、潰させてもらったよ」


「……わたし……の……」


「端的に言おう。お前は……子供を……産めなくなったんだよ」



 ファルナルークの、ささやかな、どこにでもあるような、ありふれた小さな夢。



 ――子供はたくさん欲しい、って思ってるよ……


 ――兄弟姉妹ってちょっと憧れるの。賑やかで楽しそうじゃない?


 ――いつか、おばあちゃんになって、たくさんの孫と遊んだりして……

 


 女子三人が毛布にくるまりファルナルークが語った夢が、音もなく、あまりにもあっけなく、消えてゆく。

 


「あ……あ、あっ……っ」

 

 声にならない。

 声が出ない。


 ただ。


 ただ、涙が溢れ出す。

 

「……なんて顔をするのさ、ヴェルデファース。綺麗な顔が台無しだ」

 

 血まみれの左手でファルナルークの柔らかな頬に触れながら言う。


「これであの娘は生まれない……フォーチュン・レガシィは失われたということだ。それ以上、知る必要はないよ……」


 ――……生まれな、い……?誰が……?


 ファルナルークは、テュアルが何を言っているのか理解できないでいた。

 

 ――……寒い……死ぬ……のか……な……


 激しい悪寒に襲われるのは、多量の失血によるものだ。ファルナルークの意識が徐々に朦朧(もうろう)としていく。

 

「ナア、テュアルー!」

「どうした?フェルヴェル」


 いてもたっても居られない。そんな様子でフェルヴェルがファイス達から離れ、テュアルの元へ駆け寄ってきた。


「コイツ、ホットイテもシヌだろ?ダッタラ、アタシにクレ!アタシ、コイツキライ」

 

「動脈が切れているだろうな……出血多量で数分か……好きにするといい」

 

「ヤタ!」


 おもちゃに飛び付く仔猫のようにフェルヴェルはファルナルークの元にしゃがみこんだ。

 

「オマエ、太陽エルフのニオイする。ムカツクから、ナグル」

 

 ごつっ!


 フェルヴェルの拳が鈍い音をたて、ファルナルークの頬を殴りぬけた。

 

 口の中が切れ、血が滲む。

 呻く事すら出来ずに、ファルナルークは薄れゆく意識を必死に保とうとする。

 

「ソイヤ!」


 ガツッ!


 フェルヴェルの右足がファルナルークの顎を蹴り飛ばした。

 血の塊を吹き散らし、再び仰向けに倒れるファルナルーク。

 

 ――なにが起きてる……?

 ――私はどうしてここにいるんだっけ……?

 

「やめて!!ファルにひどい事しないで!!」


 シュレスの悲痛な叫びは、フェルヴェルにとってはただの雑音に過ぎない。


「ウルセーなあ……ホイ!」

「うあっ!?」


 離れた場所にいるシュレスに向かってフェルヴェルが左手を一振りすると、シュレスは突如金縛り状態に陥り身動きが取れなくなってしまった。


「……ツマンナイから、ニンギョウあそびする。ほれ、オドレ」


 フェルヴェルが右手を掲げなにやら唱えると、操り人形のようにファルナルークが立ち上がった。

 しかしそれは、誰が見ても自力で立っていないと分かる体勢だ。

 上空から見えない糸で吊られたように、不自然な動きでフラフラとしている。


「オドレオドレ~♪」


 フェルヴェルが右手をくるくる回すと、それに合わせるようにファルナルークがガクガクと動き出した。

 

「アキタ。オマエ、もうイラナイからコワレチャエ」

 

 フェルヴェルが両手を掲げ、何事かの呪文を紡ぎあげる。


「アバレクルッチャえ~、ホイ!」


「うああああああああああああっ!」


 絶叫するファルナルーク、そして。


 キュン!


 突如、ファルナルークの手のひらから放たれる閃光弾。


 魔力吸引でマジクスの力は使えない筈なのに、ファルナルークの手の平からロックオンされていない閃光弾が縦横無尽に乱射され周囲の大地を、岩を、草花を焼き焦がしていく。 

 

 魔力の大きさに比例する閃光弾はファルナルークの魔力不足を如実に現し、小指の先程度の大きさではあったがそれでも、当たればただではすまない威力を持っている。


 ファルナルークの放つ無差別乱射の閃光弾の一つがテュアルの顔面を捕らえたかに見えたが、しかし。


 バチッ!

 

 テュアルは一歩も動かずに閃光弾を素手で弾いてみせた。

 

「にャハー!オモシロいー!コワレロコワレロ!ニンゲン!」


 フェルヴェルがぴょんぴょんと跳び跳ねながら楽しそうに笑う。

 

「ファルぅぅっ!」


 金縛り状態のままのシュレスの悲痛な叫びが響く。

 ファイスは、シュレスを岩陰に移動させると、


「じっとしてろよ、シュレス!!」


 言うより先に体が動き、ファルナルークの元へと駆け出していった。

 

「無茶だよっ、ファイスっ!」

 

 ファルナルークの意識はすでに無い。

 フェルヴェルの呪術によって、狂った人形のように踊りながら無差別に閃光弾を放つ。

 手のひらから閃光弾が発射される度に火傷と凍傷が繰り返され、遂には皮膚が限界を超えて裂け、鮮血を撒き散らした。

 

「ファルっ!!」


 かろうじて閃光弾をかわしながらファルナルークに近付いていくが、うち数発がファイスの身体を貫いた。

 自分の肉が焦げる匂いが鼻をつく。


「目ぇさませよ!ファル!!」


 数発の閃光弾を受けながらもファルナルークの元にたどり着き、ぐうっときつく抱き締めた。

 失血が多く、血の気を失ったファルナルークは顔面蒼白だ。

 眼孔から、鼻から、耳から、口から血がしたたり、こめかみ、首筋、左腕の血管が太く浮き上がり血が吹き出していく。

 ファイスも身体の至る箇所から出血していた。

 互いの血が、互いを朱に染め上げてゆく。


「うっ……ああっっっアアアアっあああああああああああっっ……!うああああああああああああっ!アアアアあああああああああっ!!!」

 

 意識が無いままのファルナルークの、耳を覆いたくなるような絶叫が響き渡る。

 

「……心地好い声だよ、ヴェルデファース……特に……命が尽きる時の絶叫は……」


 激しい痙攣けいれん、吐血。嘔吐。


 そして。


 ファイスの腕の中で、血まみれのファルナルークは、動かなくなった。


「おい……?息……してない!?嘘だろ!ファル……!なあ!おい!ファル……っ!目ぇ開けろよ……っ!」


「ファルぅぅぅぅっ!!!」


 ファルナルークが動かなくなるのと同時にシュレスにかかっていた金縛りも解け、名前を叫びながら駆け寄っていく。


 ――ウソだ!ウソだウソだっ!!さっきまで一緒に笑ってたじゃん!!昨日一緒に花火見たじゃん!!なんで……なんでファルが……っ


「ファイスっ!ファルのお腹の傷口強く押さえてて!」


 シュレスは一瞬の躊躇もなく、ファルナルークの口内に溜まった血を吸い取って吐き出し、人工呼吸を始めた。


 ――イヤだよ、ファル!こんなとこでお別れなんて……絶対イヤだ!!


 失われつつある命の灯火を優しく包み込むような早朝の陽射しが、ファルナルークとファイスの、二人の滴り落ちる血を、美しく照らしていた。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る