第31話 見つめる瞳に映るのは

 テュアルに25番区への近道を教わりそこへ向かう途中、シュレスがふと気が付いた。


「あれっ?シルスちゃん、血が出てるよ?小指の付け根んとこ」


「えっ?あっ!いつの間にっ」


 シュレスに指摘されて手を見ると、右手小指の付け根辺りが切れ、小指の先まで血が垂れていた。

 歩いた跡に点々と血が落ちている。


「どこかで切っちゃったんですねー。舐めておけば治ります!」


「ダメだよ、ちゃんと手当てしないと!雑菌入るとコワイんだよ?腐って小指もげちゃうんだよ?」


「もげ……っ!?」

「ほれ、そこ座って」


 と、フリースペースのベンチに座らせる。

 血を拭き取り消毒し、塗り薬と包帯を準備したところでシュレスが思い出したように、

 

「あっ!……そうそう!あいたたたっ!手がつった!あれー、これアタシ無理だわー!手当てできないわー!」


 と、右手を押さえながらファルナルークの方をチラっと見る。


「なに、シュレスが出来ないなら、オレが手当てしようか?」


「ファイスっちー、それは野暮ってモンだよー?」


「……シュレス、今、そうそうって言わなかった?」


「あいたたたっ!手が痛いっ!いてー!誰かシルスちゃんの手当てしてくんないかなー!シルスちゃんのカワイイ小指、化膿して腐ってもげちゃうなー!」


「もげ……っ!?」


 不安をあおられて青ざめるシルスの様子を伺いつつ、尚もチラチラとファルナルークを見るシュレス。


「……我が手当てしよう」


「そうこなくっちゃ!良かったねシルスちゃん!これで小指もげずに済むね!」


 ファルナルークが、ベンチに腰掛けるシルスの前に膝をついて簡易救急キットをシュレスから受け取る。

 止血の軟膏を塗り、くるくると手際よく包帯を巻く手付きは慣れたものだ。 


 二人が至近距離で手と手がふれ合うのは、この旅で初めての事である。

 シルスは大人しく座っているが、内心ドキドキだった。


 膝をついて手当てするファルナルークの顔が目の前にあるのだから。


 まばたきをすると長い睫毛まつげが前髪を揺らす。

 夏の陽射しに耀く金色の髪からはいい香りがする。

 紫色のネコミミがかわいい。

 きちんと手入れされた形の良い爪がキレイ。

 しなやかに動く長い指が手に触れる度に、胸のドキドキが速くなっていく。


 包帯を巻き終えて器用に蝶々結びを作り、ぽんぽんと軽くシルスの手に触れるファルナルーク。

 旅の始めの頃、ファルナルークがマジクススキルを使用した際に負った傷を手当てしたシュレスと同じ仕草である。


『早く怪我が治りますように』とのおまじないの意味合いが含まれている事はこの島では昔から広く知られているし、もちろんシルスも知っている。

 

 ファルナルークが顔を上げると、その瞳に自分自身が映っているのが見える程の至近距離で目と目が合い。


 空色の瞳に魅入られて、シルスの胸の鼓動が速くなり顔がだんだん熱くなってゆく。


 ――ファルナルー、ク……さん……!


「……何故にゃぜ、目を閉じて唇を出す?」

 

「はっ!いや、あの……つい!あのっ手当てしてくれてありがとうございますっ」

 

「……小指がもげたら困る……」


 ファルナルークの口元がふっと緩んだのをシルスが見逃す筈もなく。


 ――今、笑った……!初めて、笑ってくれた!やっぱり……ファルナルークさんは……!

 

 二人のやり取りを見ていたシュレスは満面の笑みを浮かべていた。


「あ!手がつってたの治った!」


「シュレスっち……バレバレだよ?」


「よかったね、シルスちゃん!」


「……はい!」


 ファルナルークが巻いてくれた包帯を嬉しそうに見つめるシルス。


「一生、この包帯は取りません!」


「大胆な宣言だけど、さすがに無理だろうねー。包帯取り替えないと、傷口腐って小指もげちゃうよ?」


「もげっ!?」


「メレディスがいるのは25番区だったよな。手当ても済んだ事だし、行ってみようか!」


           ◆


「アノちっこいの……チガウ……」


 右手の鋭い爪の先に付いたシルスの血をペロリと舐めてフェルヴェルが言う。


「……また異世界からの転生者かい?」


「イセカイモンじゃナイ。嗅いだコトナイニオイと血の味がスル……コノ時代の者じゃナイ……それと……ネコミミデカ女のニオイと別のが混じってル……」


「混じる?……混血の血族……ということか?」


 異世界からの転生者も珍しいがそれらは人間が大半で、血としての価値はこの世界の住人と大差ない、とテュアルは推察する。


 テュアルの目に、狂気に似た光が一瞬だけよぎる。フェルヴェルはそれを見逃さず、にっと口元を歪めた。


「マチガイナイ……フォーチュンレガシィ」


「……そうか……あの娘が……」


 テュアルは人ごみに消えてゆくシルスの背中をじっと見つめていた。

 傍らでいつの間にか群がってきた取巻き共がテュアルの美しさをあれやこれやと褒め称えていたが、何一つテュアルの耳には届いていなかった。


 シルスの姿がやがて見えなくなると、テュアルはすっと踵を返して急ぎ帰路に着いた。

 影のように音も無くフェルヴェルが後に続く。


「オモシロイコトにナッテキタナ、テュアル」


 フェルヴェルが前方を見据えたまま無言で歩くテュアルに話しかけるが、テュアルは一言も返さなかった。


 だが、その瞳に宿った狂気にも似た光が歩く毎に輝きを増していくように感じて、フェルヴェルは心底嬉しく思うのだった。


           ◇


 テュアルが研究に没頭するきっかけとなったのは、赤角の一斉大量死事件からだ。


 魔剣『きる』と自身のマジクススキルがあれば敵無しと自信に満ち溢れていた、ライトブレード隊に入隊して間もない頃。


 魔剣の力を使わずとも、赤角化した魔物を一刀両断にする技術と身体能力を備えていたし、魔剣の力とマジクス・スキルを使えば一人でも小隊に匹敵する力を持っていると自負していた。


 危険度指数『9』の森へ調査を兼ねた討伐の任務についた時の事である。


 ――誰よりも多く討伐してみせる。


 隊員の誰もがそう思っていた。もちろん、テュアルも。

 意気揚々と森に入る討伐部隊がその森で発見したのは、いずれも赤角化した大型の双角獣や人の大きさほどの巨大サソリ、三つ頭の大蛇などの死骸だった。

 いずれも倒されたものではなく自然死とみられたがその死因は軽視され、研究するまでには至らなかった。


 危険度『9』の森は一気にランクを下げ、危険度『5』と改められた。

 政府からも公表され、その森の近隣住民達はこれで交易も無事再開できる、これで安泰だ、と胸を撫で下ろす事になったが、テュアルは納得がいかなかった。


 何故、あの赤角達は絶命していたのか?


 死骸のサンプルをいくつか集め、死因を調べていく内に徐々に判ってきた事がある。

 赤角達の脊髄に蓄積された魔力が完全に枯渇しているのだ。大抵の場合、死体となっても魔力は多少なりとも残っている。


 それが赤角達の死因なのではないか、と。

 それだけで済めばこの話は終わるのだが。


 ある討伐任務中に、パートナーだったSSクラスの攻撃型スキルを持つ若い女性隊員が倒れ、そのまま息を引き取った。

 突発的な心臓発作と片付けられたがその日倒れた隊員の行動を思い返してみると、限界を超えてマジクススキルを連発していた。


 亡くなった女性隊員の検死に立ち会い、症状を確認すると……


 マジクス特有の赤斑点はどす黒く変色し、魔力が枯渇している事を如実に現していた。赤角達も絶命すると角が黒く変色するが、魔力が枯渇した時の色と比較しても黒さ度合いが格段に違う。

 闇色に近いどす黒さなのだ。


 赤角達の一斉大量死。

 SSクラスのスキルを持つ隊員の突然死。


 これらの事象を鑑み、テュアルは一つの結論に達した。


 『マジクススキルは生命を削る』


 急激にスキルを連発すると魔力消費過多となり、命に係わるようだ。

 では、それを止める手立ては無いのか?

 ただ、死を受け入れるしかないのか?

 特効薬となり得るものはこの世に存在しないのか?


 闇雲に様々な薬を研究しても時間の無駄である。


 魔力は血液中に含まれている事は判っている。

 水と油を例に取る。水は水に溶け、油は油に溶ける。

 それならば。

 血には血を。

 魔力消費を抑える特別な血を。


 そんな時、出会ったのがフェルヴェルだった。

 単独で森に入った際に突然襲いかかってきたダークエルフ。

 妖しい術と精霊魔法を操る小柄な女の子。

 見た目は少女だが実際の年齢は分からない。

 瞬きの間で倒し捕らえたは良いがどうしたものか。このまま逃がすのも殺すのも惜しい。この島では『月エルフ』と呼ばれる亜人の妖術使いである。


 テュアルは少女を連れ帰り、特例としてライトブレード隊に入隊許可を得た。

 パートナーを亡くし、単独行動を許されていたがそれでは示しがつかない。だが、テュアルの右腕になるような能力の持ち主はなかなかいない。

 そんな折、現れたダークエルフの妖術使い。

 

 パートナーにしてみたは良いが如何せん森育ちの野生児は、常識やマナー、言葉使いなどまるで通用しない。我関せず我が道を行くフェルヴェルを教育しつつ、血の研究の助手として使い、どうにか現在に至る。


 フェルヴェルは言う。

 特別な血、類い希なる存在には呼び名がある、と。


 ――ブラッド・オブ・フォーチュン

 ――フォーチュン・レガシィ 

 特別な存在。特別な血。

 未来からの遺産。


 これらに該当する存在こそ、特効薬足り得る血の持ち主なのではないか?


「フェルヴェルの言う事は間違ってないとして……ただ寿命が長いだけのエルフでは駄目なのだろうな……あのハーフエルフ……」


 今日、出会ったハーフエルフの女の子。

 見た目は至極普通のハーフエルフだった。突出した魔力の持ち主のようには、到底、見えなかった。


 あらゆる可能性を模索しつつ、思考を巡らせ目を閉じて集中力を高める。


 ――この時代の者ではない?

 

 ……未来か……過去から来た……?


 ヴェルデファースの匂いが混じっている……


 という事は……人間とエルフの……


 未来、から……か……ヴェルデファースの……マジクスの血を引く……未来からの……!


 テュアルの中で、一つの明確な答えがはじき出された。


『マジクスの血を引く未来からやって来たハーフエルフ』


「これがあの娘の素性……か」


 ――ブラッド・オブ・フォーチュン

 ――フォーチュン・レガシィ 

 特別な存在。特別な血。

 未来からの遺産。


 マジクスの『魔力消失致死症』を止める特効薬に成り得る可能性を秘めた特別な血。


「……繋がった……」


 閉じていた目を大きく見開く。


 テュアルの瞳に宿るのは、狂気に近い、狂喜の光だった。

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