第6話 出発の日


 シルス、13歳。

 人種、ハーフエルフ。

 性別、夢見るオトメ。

 中等部に進学して初の夏休みがやってきた。あれもこれも、何から何まで!思いついた事全部!全部楽しみたい!遊びたい!遊び倒す!

 しかし。


 あらゆる欲求を絶賛発育途中の小さな胸の奥にしまいこんで、シルスは初日から、正確には受け取ったその日から宿題に没頭していた。

 1日目に文系科目を。

 2日目に理数系科目を。

 3日目に精霊魔法研究課題を。


 それらの夏期休暇課題をざっくり、あくまでもざっくり終わらせ、4日目には朝早くからシェラーラの元へ行ったり来たり。自室ではなにやらがさごそと、旅の支度をし始めた。


 そして。


 夏休み5日目。


 シルスが待ち望んでいたその日がようやくやってきた。

 太陽が昇りはじめる瞬間と、満月が沈む瞬間が一致する時間。


 そして、天空のど真ん中に、数十年に一度現れる翠の彗星が君臨している時間。


 北の空に凶星まがつぼしと、南の空に穿星うがつぼしが煌々と輝いている。


時渡ときわたり

 

 この地方の魔女達の間でそう呼ばれる、膨大な魔力が発生する時間の名である。 

 太陽も月も無い、ただ強大な魔力の塊でしかない彗星が天空を支配する時、時空の扉が開く条件が揃う。と、伝えられている。


 シェラーラは推察する。

 人間は時間の逆行に耐えられる生命力を持ち合わせていない。

 では、人間以外の生命体はどうか?

 高い知能があり長寿命で精霊と通じ会える能力を持つ生命体。

 エルフ。竜人族。魔族。


 シルスは半分とはいえエルフの血を引いている。加えてシルスの祖父母は魔力核の影響を受け、特別な能力を持った『マジクス』であった。

 シルスにも流れるマジクスの血は、能力こそ発揮しないが魔導圧力に耐えうる支えとなるのではないか、と。

 ただ。

 シルスに高い知能があるかどうかは甚だ疑問である。


           ◇


 シェラーラの秘密の魔法小屋から少し離れた場所にある、草原広がる小高い丘の上。


 満月が西の空に傾きつつ東の空がうっすらと白むが、まだ辺りは薄暗い。二日前に出現したワグランのみどり彗星がはっきりと見え、その名の通り妖しい翠の輝きを放ち天空に君臨している。

 

 数十年に一度の天体ショーを見物に人が来るかも知れない。その時は人払いの呪術をかけようか、ともシェラーラは考えていたがその心配は不要だった。


 人々の生活を支える、安定した魔導力の供給元であるハイテンションタワーの先端部からの輝きが、この場所からでも確認できる。


「ここからでもハイテンションタワーの光が見えるんだねー!スゴいね!」


「41年前だと、まだまだ建造途中じゃないかな?見てこれたら教えてよ」


「うん!楽しみにしててよねっ」


 夏の始まりとはいえ、丘陵地帯の早朝は肌寒い。

 しかし、シルスは白のノースリーブに若草色のスキニーパンツ姿。レベル3の魔法防御が付与された衣装である為、少々のダメージや汚れは軽減してくれる優れものである。

 背中のリュックは何が入っているのかパンパンに膨れ上がっているが、シルスは意に介していない。

 

「寒くないのか。若さだねー」

「シェラーラだって若いじゃない!」


「世辞はいいよ」

「ほんとだってば!30歳くらいにしか見えないよ!」


「……それ、実年齢の一つ上だからね」

「シェラーラも寒そうなカッコしてるじゃない」


「とっておきの儀式用衣装だよ♪雰囲気出さないとね」


 風が吹けばヒラヒラと舞い、強風が吹けば飛んでいきそうな胸元が大きく開いた薄紫色のローブ。


「性格は大胆だけど、おムネの谷間は控えめだよねっ」

「やっぱりオマエはいつかシメる」


「えー!なんでー!?」


 他愛もない話をしながら、二人以外誰もいない丘を登っていく。

 年齢は離れてはいるが、気を遣う事なくお喋りできる相手がいる。

 シルスはシェラーラといる時間も大切に思うのだった。


「じいさまの事は気にならないのか?メルに聞いたんだけど、じいさまもマジクスの力持ってたらしいじゃん?」


「おじいちゃんかー……あんまりキョーミないんだよねー。なんでだろ?」


「いつの時代もオトコってないがしろにされがちなんだな。……メルはまあいいとして、父親は反対してないのか?」


「うん。行ってきなさい、って」

「夫婦そろってあっさりしてるなー」


「放牧主義なんだよー」

「放任主義だろ」


「そうとも言うかな?へへー」


「オマエみたいなちっちゃくてカワイー娘は、誘拐事件に巻き込まれるリスクってのが格段にあがるんだよ。男女問わず、変態のロリコンなんて今も昔もゴロゴロいるからな。やつらは決まって言うんだ。『ちょっとだけ!』ってな」


「詳しいねシェラーラ……まさか……」

「なんだそのギワクの目は。私はロリコンじゃないっ!」


 ややもすると、二人で運んだケヤキの丸テーブルを設置した場所にたどり着いた。

 東の空が朝焼けて美しいオレンジ色に染まりゆく。


「あっ」

「ん?どうした?」


「もし、ちゃんと向こうに行けた時に誰かに会っちゃったら?」


「テーブルから出てきたらビックリするだろうね。その時はこう言えばいいんだよ。『なんとかなるなるー♪』ってね。オマエの口ぐせじゃないか」


「シェラーラ~……それは丸投げって言うんじゃないの?」


「あ、そうそう。何か刃物を持ってるかい?ナイフとか小刀とか」


「護身用に、って母さんにナイフ渡されたけど?」


「『木は金属を嫌う』って昔から言われててね、相性良くないのさ。テーブルがイヤがるんだ。私が預かっておくよ」


「じゃあ、シェラーラに預けていくことにするよ!」


「預けたものはちゃんと取りに来ないとね」

 

「うん!……ここから始まるんだね……ワクワクするよ!よろしくね、テーブル君!」


 と、シルスがテーブルに挨拶をする。


「ここから始まって、ここに帰ってくるんだよ。では、おさらいをしようか」

 

 1 41年前に飛ぶ場所 マトランの宿

 2 誰に会う ファルナルーク

 3 帰ってくる日 8月の29日 

 4 条件1 日の出と月の入りが一致する時間である事。凶星と穿星が出ている事。

 5 条件2 ワグランの翠彗星が出現している事


「メレディスに必ず会うように。最悪の場合、この時代に帰ってこれないなんて事になりかねないからね。

 私が一番心配なのはそれだからね。くどいようだけど、何度も言うからね。メレディス、だよ。アールズの街で占い小屋やってるから。『売れない小屋のメレディス』って覚えておきなさい」


「……師匠に対して失礼じゃない?」


「いいんだよ、ホントにそうだったんだから。占い小屋だけで20軒以上はあるはずだから、名前覚えるにはちょうどいいだろ?

 メレディスに手紙を……と言いたいところだけど、時の魔女的にそれはいささかよろしくない。

 そこでシルスには、メレディスに伝言を届けてもらいたいんだ。シルスが確実に現代に戻って来られるようにね」


「伝言……どんな?」

「簡単な一言さ。『師匠よ、自分で考えろ』」


「え、それだけ?」

「ああ、頼んだよ。私の名前は言わないようにね」


 にっと微笑むシェラーラのウェーブがかった長い黒髪と、薄紫色のローブが風になびく。

 

「シェラーラに受け取って欲しい物があるんだけど……はい、これ!」


「ん、なんだい?」


「旅のしおり!離れてても一緒に旅気分を味わって欲しいのです!」


「へえ……うれしいよ。ありがとね。几帳面だねー。シルスの事だからテキトーなのかと思ってたけど」


「えへへっ!なかなかやるでしょ?」


 シェラーラはシルスから手作りの旅のしおりを受け取ると、大事そうに腰の小袋にしまいこんだ。

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