失恋アリップ

「こちら、バイト先の後輩、アリップくん」


「……こんばんは」


 彼氏と言われた男――北方さんと同じ身長か、それか、もしかしたら少し低いくらいかもしれない。そんな、お世辞にも彼女と釣り合っているとは言い難い、冴えない小柄な男が、ボソリと挨拶をしてきた。


「……コンバンハ」


 何というか……その彼氏は、背もアリップと同じくらいだし、そんなオシャレでもないし、およそ北方さんの彼氏と聴いて想像するようなイケメンのイメージとはかけ離れた……アリップと同じ匂いのする、根暗っぽいオタクだった。


「つ、付き合って……どれくらいなんですか?」


 アリップが尋ねると、北方さんは瞳を輝かせた。


「へへへへ……幼馴染でね。中学卒業まで……私から告白し続けてぇ……高校入学と同時に付き合って、今、四年目!」


 彼女は恥ずかしそうに、それでいてそれ以上に嬉しそうに、語った。


 その笑みと声は……本当に、本当に彼氏のことが好きなのだと、十分に分かるものだった。


「ハァ……スゴイデスネ」


 半分、脳死状態でありながらも、どうにかアリップはそう返事した。


「うん。高校は私が合わせてくれたからって、大学は私に合わせるって猛勉強してくれて……そのおかげで、今はずっと一緒にいられるの」


 ――やめてくれ……もう僕のライフはゼロよ。


「あの、僕、もう戻らないと」


「あ、そうか、今日が例の合コンなんだね! ごめんね喋り過ぎちゃって。またバイト先で会ったら、どうなったか教えてね! 今日のアリップくんなら、きっと彼女出来るよ!」


「……アリガトウゴザイマス」


 そう答え、アリップは茫然自失状態で部屋に戻る。




 正直、自分がどうやって戻ったか、そこからしばらく何をしていたか、記憶に残っていないと後のアリップは語る。


 ただ、ずっと他人事のように、耳に入る男女の笑い声が、別世界のことのように思えていた。


「うぇいうぇいどうしたアリップ! もうグロッキーか! まだ夜は長いぜ?」


 戻ってきてからずっと、一言も喋らずに壁を見つめ続けるアリップに気づいたミノルが声を掛ける。


 無言でミノルに顔を向け、それからその場にいる全員の顔を見渡すアリップ。


「…………」


 何も喋らずに感情のない瞳で自分達を見てくるアリップの様子に、全員が一瞬押し黙る。


「…………」


「…………」


「カップルって付き合ってどれくらいで手を繋ぐ……?」


 無表情のまま、無感情な声でそう問い掛けるアリップ。


「えー! どうしたの急にアリップくん!」


 にわかに盛り上がる面々。


 先程、掌を合わせた自分の話かと頬を染めるアマネ。


「モエ教えてよー! 槍チンくんと付き合ってどれくらいで手を繋いだの?」


「え、ええー? その……一カ月? くらい?」


 ナツの言葉に、恥ずかしそうに槍チンを見て赤くなりながら答えるモエ。その様子に周りがさらに盛り上がる。


「じゃあ、キスは?」


 アリップがさらに問う。


「お前ぐいぐい来んな! あんまり人の彼女をからかうなよー?」


 槍チンがツッコむ。


「えー、いいじゃん教えてよ! 自分以外の人間のそういう感覚って結構興味ある!」


 ノアも興味があるようで、すっかりターゲットは既に成立しているカップルに向く。


「ん……」


 そう言って槍チンが二本指を立てる。


「キャー! 二ヶ月!?」


「一瞬、ブイサインかと思っていらっと来たぞ槍チン!」


 盛り上がりは、今や最高潮であった。


「じゃあどんくらいでおっぱい揉んだ?」


「…………」


「…………」


「…………」


 ……ざわっ。と空気が変わる。


(おいおいおいいきなりブチ込み過ぎじゃないか? アリップ)


(い、一応ギャグにしとこうぜ!)


「おいおいいきなり何言ってんだよアリップうぇ~い!」


(いや、ここウェイじゃねぇだろ!)


 やばい空気に!男達のテレパシーの精度も狂い気味だ。女子に至っては、そこはかとなく嫌悪感を醸し出している者までいる。


「アリップ落ち着け。ホラみんな引いちゃってるじゃん! それにモエちゃんも槍チンも普通に困ってるだろ」


 ミノルが普通にいいことを言った。普通の彼は、このくらいの普通の意見を!普通に出せるのが長所なのである。


「じゃあさぁ! 付き合ってどんくらいでヤッたの!?」


 だが、アリップは全然普通ではなかった。


 空気がサーっと引いていくのが、アリップを除く全ての男達に分かった。


(おいやべーぞ! 普通じゃないぞ! 普通の俺には対処の仕方が普通に分からん!)


(これもうギャグに出来ないだろ! しかしここで怒鳴ってしまったら更に空気が……!)


(だとしても、最優先するのは女子に被害が及ぶのを防ぐことだ……!)


 男子達の間で、高速アイコンタクトで会議が始まる。


 だが……既に女子達は、ドン引きと言っても差し支えない状況だった。


 だというのに、この期に及んでも止まらない彼は暴走と呼ぶに相応しい状態だった。


「答えろよ! カップルは付き合ってどれくらいでセッ●スするんだって訊いてるんだよぉおッ!」


 ほんの数秒前まで。これ以上ない盛り上がりを見せていたのに、最早室内は最悪の沈黙に支配されていた。


「おいアリップ、いい加減にしろ。みんな引いてんぞ!」


 もうテレパシーでは埒が明かないと、なりふり構わず肉声で止めに入る槍チン。


「コレで最後だから答えろ! イエスかノー……いや、挙手だけでいい! 付き合って四年目のカップルはセッ●スしてて当たり前だと思う人は挙手!」


 槍チンの倍はデカい声を出した。あのアリップがである。


 その鬼気迫る表情……良く見れば目尻には涙まで浮かんでいる。


 とにかく、その余りの迫力を前に、恐れまで感じ始めた一同は、遅い早いの差はあれど、全員手を上げた。


「そんなん分かってるよ! 知ってるよ! なんだってんだよぉぉお!」


 瞬間、アリップは大泣きしながらテーブルにダイブした。馬鹿デカい音がし、置いてあったポテトが吹っ飛び、飲み物の入ったグラスが床に落ちる。


「彼氏いないワケないじゃん! あんな人にいない方が不自然じゃん! 分かってたよ、知ってたよ! 最初から自分が付き合えるとか思ってないよ! ただ……」


「ただ……?」


 すっかり引きながらも、アリップの言葉にそう問い掛けたのはミノルだった。


 ――なんで、彼女の大好きな人が、彼女を大好きだった僕と同じような人種なんだよ。それなら僕でいいじゃん。


 とは彼は言わなかった。言えなかった。余りにも情けなくて、口に出せなかった。


「ちくしょう……自分でも気づいてなかった。好きだったんだ。大好きだったんだよぉお……!」


 ――なんでだって? それも分かってる。槍チンが最初に、一番最初に、開口一番に言っていたじゃないか。


『行動しないからだよ!』


 ――僕は行動しなかった! 行動しない内に手遅れになっていて。そんなこと露知らず、もうとっくに終わってることに対して、行動を始めた大間抜けの遅漏の大馬鹿野郎だ!


「大体遅いんだよ、けしかけるのが!」


 そう叫んでアリップは、槍チンを指差す。


「え?」


「もっと早くけしかけろよ! 僕を無理矢理、力ずくでもいいから行動させろよ! もっと、そう――四年は早く!」


「何のこっちゃか知らんが無茶言うな! 中一なんてまだボクサーパンツすら履いてなかったわ!」


 ボクサーパンツがオシャレへと向けた行動の第一歩なのかはさておき、アリップとて本気の本気で四年前に、北方さんと彼氏が付き合う前に自分が行動を起こしていれば――などと思っているワケではない。そもそも北方さんと出会ったのは高校生になってからバイト先でだ。不可能であり非現実的なことを言っているのは、彼自身分かっている。


 それでも、止められなかった。溢れ出る涙を。


 抑えきれなかった。親友達への八つ当たりを。


 やめられなかった。逃避行動を。


 やめてしまえば、可能性の全てを模索しても、万に一つも自分と彼女が結ばれる未来など、最初から存在しなかったのだという事実と、向き合わなくてはならないから。


 浮かれていたここ数日の自分が、いかに憐れで間抜けなピエロだったのか、受け止めなくてはならないから。


 修業の成果が――


 合コンが――


 そして、アリップの初恋が――


 全てが――終わった。

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