あやかしをかし

 ちょっと裏の世界で流行しているというとある飴玉が、私の恋のきっかけだった。


 仕事終わりの薄い三日月が浮かぶ夜、私は震える手で飴玉を口に含んだ。


 甘ったるい味が口の中に広がるとともに、見える世界が変わっていく。


 通行人に紛れて、犬が和服を着たようなあやかしが歩く。街灯の周りに、絵に描いたようなお化けたちが集って世間話をしている。


 そう、この飴玉は、人ならざるものの世界を見せてくれる飴玉なのだ。


 見える世界が完全に変わると、私は帰り道を早足で進む。そして、帰り道に唯一ある公園にたどり着いて、乱れた息を整えた。


「……君、本当に今晩も来たのか」


 うつむいていた顔を上げると、狐のお面をつけた和服の男性が私を見下ろしている。ああ。私は安堵の息を吐く。


「貴方こそ、今晩もここにいてくれたのね」


「君がわざわざ来るというのに、すっぽかすわけにもいかないだろう」


 そんな真面目な彼が好きなのだ。私はさっきまでの疲れをとっくに忘れて彼の手をとった。


「あそこのベンチでお話しましょう」


「わかったよ」


 彼は苦笑いしたような声音でそう言って、私の手に引かれてくれる。そしてベンチにふたり並んで座った。


「この1ヶ月、なにか面白いことはあった?」


「我々にとって1ヶ月なんて瞬くようなものさ。悪戯小僧どもがはしゃいでいたくらいか」


「ふふ、あの子たちね」


 公園の街灯で私たちをチラチラ見ながら噂話に余念のないお化けたちを指さすと、彼も軽く顔をそちらに向けて頷いた。


「ああ」


「どんなことではしゃいでいたの?」


「その……なんだ。他愛もないことさ」


 少し口ごもった彼が気になったものの、それで君はどうなんだ、と話を振られれば、私は話したかったあんなことやそんなことに意識が向いてしまう。


 どんなに彼に恋い焦がれて、毎月のこの日を楽しみに辛い仕事を乗り越えているか。そんな話をしていたら、ふと、彼が私の手を握った。


 私は驚いて話を切ってしまう。こんな触れ合い、今までなかった。


「……その飴のことだが」


「? ええ」


「君の魂を、確実に削っている。このままでは、君は死んでしまう」


 不思議と、突然告げられた死の可能性に恐怖は湧かなかった。だって。


「それではだめなの? 私は早く貴方と同じ世界で生きたい」


 彼はそっと首を横に振る。


「だめだ。あやかしにも魂はある。魂を削った先にあるのは――消滅、なんだ」


「っじゃあ、私はどうすれば」


 彼は柔らかく私を抱き寄せた。こつん、額に彼の狐面の唇のあたりが当たる。


「もう、その飴を舐めてはいけない」


「……そんなこと、できない」


「だめだ」


「だってそしたら、貴方に二度と会えなく、」


 突然強く抱きすくめられて、私は言葉を切る。苦しいくらいの力が、彼の想いを伝えてくれているようで、知らないうちに涙がこぼれた。


「……我にとって、君の一生など瞬くようなものさ。だから、必ず、君が天寿を全うするその日に……迎えに行く」


「本当、に?」


「ああ」


 耳元で力強い声が聞こえた、その直後、強いめまいと共に彼の感触が遠のく。


 飴が、なくなったのだ。


「必ず、必ずよ」


「ああ、必ず」


 その声を最後に、あやかしの世界は私から切り離された。私はひとりきりの公園でぼろぼろと涙をこぼす。


 私はそっと、自分の体をかき抱いた。彼のくれた想いを、彼の元へ行くその日まで、忘れないように。


「一生など瞬くようなものさ……」


 彼の口調を真似て呟いてみても、今はまだ、喪失感の方が強かった。

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