マスカレード・デート

 30分前に、待ち合わせの駅前に向かう。なんだかよくわからない変な形の銅像の台座に寄りかかってSNSをいじっていれば、時間はあっという間に過ぎた。


「恭平くん!」


 聞こえた声にぼくは顔を上げる。幼なじみの優香がこっちに駆け寄ってくるところだった。軽く手を挙げて応じると、彼女はぼくに抱きついてくる。


「今日も恭平くんのほうが早かったね。また30分前に来てたんでしょう」


「どうかな」


「そういうところも好きだけど、それじゃあ待ち合わせ時間の意味ないじゃない、まったくもう」


 そう言う優香の顔は嬉しそうに緩みきっていて、ぼくが待っていたことを喜んでいるのがよくわかる。だからぼくはなにも言わない。


 駅近くの大型商店街へ向けて歩き出した優香のあとをついて歩く。彼女の興味はいろんなものに向けられて、きっと端まで歩くころには日が暮れてしまうだろう。


「ねえ恭平くん、このヘアピン可愛いと思わない?」


「そうかもね」


「でしょう? でも私には似合わないかなあ……」


「わからないよ」


「本当? えへへ、じゃあ買っちゃおうかな」


 淡白なぼくの返事にころころ表情を変える優香。ぼくはそれを見ているだけでおなかいっぱいになりそうだ。


 店の奥にあるレジで会計を済ませる彼女を、店の外から眺める。人というのは変わるものだ。


 ちょっと前までひきこもりだった優香が、今はこんなに楽しそうに外出して買い物をしているなんて、学校の連中が知ったら驚くに違いない。


 まあ、まだ学校に行くのは嫌みたいだし、ぼくもそれで構わないと思っているけれど。


「恭平くん? 次はあっちのお店に行きたいな」


「あ、ああ。行こうか」


 くいくいと腕を引っ張ってくる彼女に応じて、ぼくはまた歩き出す。


 次の店は女性ものの服屋だった。また店の前で待とうとしたぼくに彼女が首を傾げたので、ぼくは渋々店の中に入る。


 困るんだよな、こういう店は……。


「ねえ恭平くん、このワンピースどう思う?」


「いいんじゃないか」


「そっかー、お気に召さないかー。じゃあこっちのブラウスは?」


「似合いそうだね」


 ぼくは店員の位置に気を配りながら優香と会話する。


「いらっしゃいませ」


 背後から声をかけられて、ぼくは飛び上がりそうになった。気配がなかったぞ、忍者か。やめてくれ。


「どんな服をお探しですか?」


「……彼女に似合いそうな服を」


 優香は都合のいいことに服に夢中だ。店員はぼくにも接客スマイルを向けた。


「お客様は――」


「あの子に似合いそうな服を」


 店員の言葉をさえぎって強調する。店員は少し不思議そうにしながら優香に声をかけに行った。


 優香は楽しそうに店員と会話している。結局ブラウスを買うことにしたようだ。


 なんとか乗り切った、かな。


 とまあ、そうこうしているうちに商店街の端まで歩いてしまった。本当に日が暮れかかっている。


 ぼくが荷物をもってふたりで駅まで戻る。優香はぼくから今日の戦利品を受け取って少し寂しそうにした。


「あっという間だったね」


「またデートできるよ」


「寂しいな。またデートしようね?」


「ああ」


「じゃあ、また」


 優香は駅の改札口に吸い込まれていく。ぼくはその背を見送って、スマホの乗り換え案内アプリを起動した。


 次の優香が乗る電車は5分後か。そんなに待たなくてもなんとかなりそうだ。


 朝と変わらず立っている芸術的が過ぎる銅像の台座によりかかって、SNSを徘徊する。適当に時間が過ぎたところで、電車に乗って家路についた。


「ただいま」


「おかえりなさい、晴子・・。その格好は……また優香ちゃんとデート?」


 家に帰って台所の母さんに声をかけると、複雑な表情で訊ねられる。ぼくは苦笑した。


「そんな顔しないでよ母さん。ぼくが好きでやってるんだから」


「でも……優香ちゃんに病院を勧めたりはしないの?」


「しないし、したところで聞こえないよ。全部ぼくのせいだから」


 母さんはシチューの香りのする鍋をかき混ぜる手を止めてぼくの頭を撫でる。


「……思い詰めすぎないようにね」


「……ありがとう、母さん」


 ぼくは2階の自室に上った。ふと姿見が目に入る。


 できるだけ男に見えるように揃えた服の一式を身にまとった、少女の姿。


 滑稽に見えるんだろうか、とは何度も考えたことだ。でも優香をああしてしまったのは、ぼくだから。




 優香がひきこもりがちだったのはそれこそ幼なじみになった頃からのことだ。学校に行こうとしても行けない、外に出るのが怖い。


 それを励まして励まして、外に連れ出すのがぼくの役割だった。優香も「晴子ちゃんと一緒ならちょっと怖くない」と言ってくれていた。


 でも、ある日、ぼくは疲れてしまったのだ。


 いつもなら優しく優香を励ますところを、怒ってしまった。あのときの優香の怯えた表情は今もぼくの脳裏に焼き付いている。


「もう優香なんて知らない」


 ぼくは最後にそう言い捨てて、優香を置いて学校へ向かった。


 しばらくメッセージも送りあわないし会いに行きもしない、そんな日が続いた。


 そしてぼくは、ぼくが優香を壊してしまったことを、あるメッセージで知る。


『あのね晴子ちゃん、彼氏ができたの。紹介するから明日私の家に来て?』


 ひきこもりの彼女に彼氏なんてできるわけがない。どういうことかといぶかりながら翌日優香の家に向かうと、彼女はぼくを見て、愛しい男に向ける笑みを浮かべたのだ。


「恭平くん、来てくれてありがとう。でも晴子ちゃんは来ないみたいね、だって私のことなんてもう知らないって言ってたもの」


 それ以来、ぼくは彼女の眼には「恭平」という架空の彼氏にしか見えなくなった。言葉も通じない。ぼくは彼女が思う理想の彼氏のための、人形になった。


 ぼくは悟った。これが優香を見捨てたぼくへの罰なんだと。


 だからぼくはこのままずっと、彼女の前では男をつくろう。もともと男装に興味もあったし、ちょうどいいんだ。


 せっかく外に出られるようになった彼女が奇異の目で見られないように、最低限の返答を心がけて、彼女の気持ちをもう二度と壊さないように。


 それが、ぼくにできる唯一の償いなのだった。

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