第9話 なまず池の花嫁
カナメくんの話があまりにも壮大すぎて、私は夢でも見ている気分であった。でもこれは紛れもない現実だ。現にカナメくんは人間ではなくて、私は彼の子を妊娠していて、そして裕也は何者か――恐らく先の話に出てきた先代の土地神だろう――に取り憑かれ、私を殺そうと襲いかかってきた。
彼の話を信じるなら、私と皐くんは相思相愛だった。もしかしたら、私と皐くんは想いの丈を伝え合い、結ばれていた可能性もあったのかも知れない。でも、そうはならなかった。過去というのは、どんなに願ったって変えられない。皐くんは死んだ。もう戻ってこない。
思えば皐くんの願いは、カナメくんの企てによって歪められてしまったのだ。私のことを守ってほしいという皐くんの願いと、土地神の後継を欲するカナメくんの思惑が混じり合った結果、カナメくんは私に近づき、自らの子を身籠らせたのだ。
私は池のほとりに立つカナメくんを前にして、どうすればいいのか分からなかった。彼の都合に振り回され続けたことは確かに腹立たしいが、一方で彼はこの土地の人々を思って行動している。彼に見捨てられれば、私の故郷の人々は大災害によって命を落とすのだ。それは恐ろしい。だから、彼に当たり散らすこともしづらかった。
――結局、これも運命だ。
人間とは、運命に翻弄されるものだ。そう考えるより他はない。
けれど……これだけは、彼の口から直接聞きたい。
「カナメくんは……私のことを愛してる?」
皐くんではない、カナメくんの今の心情を聞きたかった。一回寝床を共にしただけで彼女面するわけではないが、それをいえば「花嫁」などという呼び方をしてきたのはあちらの方だ。
カナメくんはすぐには答えず、ふふっと笑った。
「きみを守りたい、離したくない……そう思うことも愛なのだとしたら、確かに僕はきみのことを愛しているんだろうね」
「何それ」
「きみといると退屈しなさそうだからさ。きみの反応はいちいち面白い」
何だかからかわれているようで、私はむっとした。むっとしたけれど、彼を嫌いにはなれなかった。
カナメくんは私の頬にそっと触れてきた。私とカナメくんとの間には結構な身長差があって、必然的に私は彼の綺麗な瞳に見上げられることとなる。大人になった私と、十二歳で死んだ皐くんの姿をしたカナメくんでは、その差は当然のものだろう。
それにしても……本当に綺麗な顔立ちをしてある。男らしい武骨さとは無縁の優美な艶姿は、年頃の少年というよりは寧ろ少女のようだ。けれども一方、彼は立派な雄であり、現に私は彼の播種を受けて身籠っている。
一匹の赤とんぼが、夕陽に照らされながら池の上を飛んでいる。カナメくんは無言で歩き出し、私はそれについていった。
***
それから暫く、私たちは例の和室の中で二人きりで過ごした。この和室はカナメくんが作り出した、いわゆる迷い家のようなものらしい。外界からは隔絶されており、特別な力を持つ者以外は踏み入ることができないのだという。
他に何もすることがない私たちがすることといえば、専らあの時の子作りの繰り返しだった。舌を絡め合い、互いの体に手を這わせ、そして一義を行う。カナメくんとの行いは、裕也とのそれよりもずっと興奮した。
事が終わると、決まってカナメくんは私のお腹を愛おしそうに撫でさすった。我が子の誕生を、父親なりに待ち望んでいるようだ。
そうしているうちに、平たかった私のお腹はだんだんと大きくなっていき、私は自分が身ごもっているという現実を改めて思い知らされた。この頃になると房事の代わりに、カナメくんは筆と硯を取り、何やら和紙に文字を書き綴ってはうんうんと唸るようになった。どうやら、自分たちの子の名を考えているらしい。
そして……私とカナメくんの子は産声をあげた。その姿かたちは、人間の赤ん坊と全く変わらなかった。
産まれた子は、男の子であった。私とカナメくんの話し合いによって、この子には「イケツグヌシ」という名が与えられた。
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