第2話 想い人との再会

 目を開けて起き上がると、どうやら自分は畳の床の和室にいて、その真ん中の布団に寝かされていたようであった。部屋をぐるりと囲むように高灯台がいくつも備え付けられていて、その中で灯る炎がぼうっと白いふすまを照らしている。中は広いがその割に物がなく、がらんとした印象を受ける。

 ……そういえば、私は池で溺れたんだったか。こんな見知らぬ和室で寝ていたということは、きっと誰かが助けてくれたんだろう。取り敢えず、お礼を言いたい。

 布団から起き上がった私は、足元に気をつけながら立ち上がった。手足の状態はすっかり万全だ。


「起きた?」


 少年のものと思われる、甲高い声が後ろから聞こえた。この家の子どもなのかな……それにしても、どこかで聞いたことのあるような、そんな声だった。頑張って思い出そうとしても、なかなか記憶の奥底に手が届かず、すんでのところで手が記憶を掴みそこねてしまう。

 私はゆっくりと、声のする方に振り向いた。そこには、大きな白い笠をかぶり、黒いほうと袴を身に着けた、どこか少女めいた雰囲気さえあるあどけない顔の少年が立っていた。笠からは紐のようなものが何本か垂れ下がっている。


 笠の下の、その色白な顔を見て――私はとした。


「皐くん……?」


 その姿を忘れもしない……私を真っすぐ見つめてくるその少年は、どう見ても皐くんそのものであった。記憶の中にいる彼よりも髪は長いが、整った顔立ちや細っこい体つきは、あの皐くんそのものだ。

 この時、私の目からは不意に涙がこぼれた。死んだ皐くんが、生きていた……これ以上喜ばしいことが果たしてあろうか。今まで誰にも見つからなかったのは不思議極まることだが、事情は後でゆっくり聞けばいい。今は再会の喜びだけが、私の胸にはあった。

 溢れてきたのは、涙だけではなかった。心の底に押し込めて封をしていた恋心が、涙につられて堰を切った。やっぱり、自分は皐くんが好きなんだ……。

 裕也がいる今となっては、もう彼と一緒になれない。けれど、せめてあの時言えなかった自分の気持ちを伝えよう……そう思って、私は口を開きかけた。


「よかった、元気そうだ。そのまま死なれちゃあ困るから」


 けれども、可愛らしいつぶらな目を向けながら話す少年に、私はすぐさま違和感を覚えた。


 ――何か、違う。


「何だかわけがわからないって顔してるね。まぁしょうがないかぁ……」


 違和感の正体が分かった。そうだ、話し方だ。皐くんならもう少し乱暴というか、やんちゃな喋り方をしていたはずだ。こんな気取ったお坊ちゃまのような言葉遣いはしなかった。


「皐くんじゃない……」

「へぇ、察しがいいね、お姉さん」


 そう言って、皐くんの姿をしたはけたけた笑った。こちらを嘲笑うような、嫌みなものを含んだ笑い方だ。私はむっとした。


「如何にも、僕のこの体はその少年からもらったものなんだ」

「……は?」

「水橋皐、享年十二歳。確かに彼は死んださ。でも彼はただ死んだんじゃない。僕にその体をくれたのさ」


 率直に言って、何がなんだか分からない。けれども何となく、目の前の少年が皐でないことはわかる。

 それにしても、皐に似たこの少年の物言いはあんまりだ。人の死を何とも思っていなさそうな飄々ひょうひょうとした態度を見ていると、死んだ皐くんの尊厳を傷つけられたような気がして、私の中の苛立ちはより強まっていく。


「大体、あんた誰なの? 皐くんのこと知ってるみたいだけど」

「誰、か……池のヌシとか、そう呼ばれているよ」


 ああ……私は合点した。目の前の少年は、きっとこちらをからかっているのだ。もう相手をしてられない。私は早くこの場を立ち去りたくてならなかった。助けてくれた誰かに対する感謝の気持ちは勿論あるが、それよりも今はこの気味の悪い少年から早く離れたい気分がまさっている。

 

「私もう帰りたいんだけど、いい加減帰してくれない?」

「そっか、帰りたいよね。じゃあ帰れば?」


 その時、ふっ、と、空気が変わった。いつの間にか背後の襖が開いていて、そこから冷たい空気が流れ込んで私の背を冷やしていたのだった。

 私は脇目もふらず、襖の開いた所に向かって飛び込んだ。外に出ると、空はすっかり青黒くなっていて、今まさに沈もうとしている太陽が赤い光の筋を放射していた。


「あれ……?」


 振り向くと、背後にはあのが広がるばかりで、建物らしきものはなかった。私がぶるっと震えたのは、きっと暮れ方の寒風に吹かれたからというだけではない。


 ――今まで自分がいたのは、一体どこだったのか……


 そういえば、私は池に落ちたはずなのに、着ている服は全く濡れていない。身に着けているものは変わっていないから、気を失っている間に誰かが着替えさせたわけではないだろう。

 そして唯一、靴だけがなくなっていた。仕方がないので、私は靴下のまま歩き出した。池の水面が夕陽を反射してきらきらと光る様は、在りし日の楽しかった思い出の数々を、私に思い出させてくれた。


 ここまでの話なら、ありがちな怪奇譚であった。いや、ありがちといっても、まさか自分が経験するとは夢にも思わなかったのだけれど……

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