アフター6 一軒家を買うに至るまでにあったこと⑤ いつも最後が締まらない

 引っ越しをしてからこれまでにそこそこ大きなイベントがあった。三回目となる同窓会がその一つだ。だが、それよりもかなり大きい、俺にとってはかなりのミスをしてしまっていた。


 今回はそんな、人によってはしょうもない話で、俺にとっては命に関わる大きな事件について話していこうと思う。


 ◇


 新たな住処に住み始めてから一週間が経過した。前の家に比べて自室があるなどの少しの違いはあれど今までの生活と何ら変わりない。精々、職場が近くなって家を出る時間がお互い遅くなった程度だ。あと、寝室が同じになってしまったこともあるはあるが、響子に意識していると思われるのは癪なので、違っている点の中には含まないことにする。


 俺は今までと同じで朝5時に起床する。これに関してはもはや習慣だ。慣れは強い。体にこれをするのは当たり前だ!と覚えさせてしまえば苦痛を覚えない。周囲から変人と思われるようなことであったとしても。


 俺は昔、1日12時間以上勉強するのが当たり前だと思って勉強していた。それが異常なのかどうかは今となってはどうでもいいのだが、当時では変だと思われていたように思う。

 そこまでしなくてもできると周りのやつらは思っているのだろうか、勉強を全くやらずに部活に勢をだしていた。遊べば高3になってから苦しくなるというのに。

 後先考えないやつはたいてい失敗する。その例が俺の元同級生だったというだけの話だ。


 そのことは勉強だけではなく、いろいろな面で言われていることだろう。目先のことにとらわれるなと俺は言われた気がする。


 今の俺の状況は俺が選んで成り立っているわけだから、文句は一つもないし、不都合も当然のようにない。仕事自体も別に嫌いではないしな。


 俺はベッドから体を起こすと伸びをした。背中辺りからパキパキと音がする。今では全く効果はないと思うが、高校時代の身体測定で身長を測る前に伸びをすると身長が少し伸びるらしい。それでも精々1〜2ミリとかだろうけど。


 俺は隣のベッドの方を見た。そして、口元を緩めて、


「·····今日も俺より早いのか」


 響子が引っ越してきてからずっと俺は負け続けている。起床時間でもそうだが、人としても。


 何もかもが足りないと焦っていた中学時代。

 現実を見せられて絶望的な状況になりかけた高校時代。


 俺はよく危機的状況になっているような気がする。それでもこうして俺がここにいれるのはすべてではないと響子は言うだろうけど、俺は響子の存在に何度も救われた。これからもきっと救われるだろう。


「朝飯もきっと用意してるだろうし、早く行くか」


 俺はさっさと着替えてリビングに行くことにした。高校時代は服装なんて気にせず、一番前にあるものを手にとってそれを着ていたのだが、どうしてだろう。今では組み合わせなんてものを考えている。“おしゃれ”なんてものとは程遠い性格をしていたというのに、時間は人をほんとによく変えてみせる。


「······運悪く、今日は寝癖が立ってるのか」


 いつもは目立たない程度なのだが、今日は寝癖がひどいことになっている。寝癖をそのままにすると、『身だしなみが整っていない』=『だらしない』=『響子に引かれる』へとつながる。寝癖一つでこうなるのだ。もっと大きなことなら引かれるどころの騒ぎではない。


「早く直さねぇとな。響子に見られると引かれるか、からかわれるかの二択だ」


 どちらであってもおかしくはないが、そうなったときの面倒具合を考えれば自ずと答えは見えてくる。悲惨な目に合うと。悲惨というか、不運というか。なんでもいいが、とにかく良くないことが起こるのは間違いない。


 俺はすぐに洗面所へと向かう。


 ここで説明を加えるが、俺の家の洗面所の先には風呂場がある。普通のどこにでもある風呂は、そう洗面所の近くというか服を脱ぐ場所と洗面所が一つになっているのだ。


 ここまで言えばわかるだろう。このあとに起こる悲劇が。


 俺は洗面所へと向かうと洗面所へと続く扉が閉まっていた。いつもこの扉を閉めているわけだが、毎回開け閉めするのは面倒だな。そう思いながら扉に手をかけ、そして、開いた。


 その先には――――――――――――



 響子がタオルを巻いて立っていた。


「·······」

「·······」


 俺は何も言わずにそっと扉を閉じた。そして、しゃがみ込んだ。


(や、やらかしたぁぁぁぁぁぁぁぁぁぃぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁ!!!!!!!!!!!!!!!!!)



 ◇


 朝ごはんの用意をしていたら今日に限ってお味噌汁をこぼしてしまった。そのせいで服はびしょ濡れになってしまった。


(朝からついてないなぁ······。とにかくお風呂に入っちゃおう。当麻くんはまだ起きてないだろうし)


 当麻くんに勝てる唯一のことが朝の起床時間だ。高校のときは勉強はもちろん、運動も朝起きる時間すらも勝てなかった。けど今は違う。勝てるものが私にもあるのだ。


 起床時間なんて、と思う人もいるかもしれないけど、何一つ勝てないと思ってしまえばその人には到底かなわない。でも、一つでも勝っているものがあると、そう思えたなら心にもゆとりができるし、自信にもつながる。まずは小さなことから当麻くんに肩を並べられるようになろう。それが今の私の目標だ。


 風呂場に入って体を洗っていく。お味噌汁をこぼしたとか関係なしにこうして朝風呂をするのは久々な気がする。私が一人暮らしをしていた頃はそんなことはまずしなかったし、当麻くんの家に居候していたときは遠慮してやっていなかった。だから、朝風呂はお母さんとお父さんが健在だったとき以来ということになる。


 ここに住み始めてからも墓参りに行っている。そのときは当麻くんも一緒だ。今は少しバタバタしているけれどそろそろまた行きたいな。当麻くんに言えばきっと行こうと言ってくれるだろう。もしかしたら、当麻くんは私が頼む前に聞いてきたりするのかな?『墓参りに行かなくていいのか?』って。


「ふふふっ」


 風呂場で一人笑ってしまった。


 当麻くんは普段は無愛想な感じがするけれどその反面で色々と考えてくれている。空気を読まないような発言をすることもあるけど、その言葉には重みがある。これまでの経験からの警告であったり、意見だったり。

 中身のない話を嫌うからこそ相手に対する批評も的を射ていることがほとんどだ。たまによくわからないことも言うけどね。


 キュキュ。


 私はシャワーを止めるとタオルを巻き、風呂場から出る。出た先には着替えがおいてあって私はそれに手を伸ばそうとした。しかし、その前に私は視線を感じて扉のほうを向いた。その先には――――――――――――


 呆然とした当麻くんが立っていた。


「·······」

「·······」


 当麻くんは何も言わずに扉を閉めた。当麻くんは何やら見た感じ寝癖を直しに洗面所に来ていたみたい。でも、それ以上に。


「〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜ッッッッッッッ!」


 恥ずかしくて死にたい。


 ◇


 今日は仕事がなくてよかった。


 俺は素直にそう思うと同時に、やっぱ仕事あってほしかったと思った。だって朝から顔合わせづらいし、なんやかんやで寝癖ついているの見られたし。なんかもうだめだ。今日は運が無い。もともと良いことなんてそうそう起こらないのは知っているが、これはない。断固拒否する。運命さんにけんかを売りたいレベルだ。この気まずさは尋常じゃない。とにかく会話だ。会話していく中で謝罪を入れるのだ。謝ればすべて解決とまでは行かなくともそれに近しい状況くらいには持っていけるはずだ。···········きっと。


「きょ、響子。今日の朝飯はな、なんだ?」

「〜〜〜〜〜ッ!きょ、今日はごはんだよ」

「そ、そうか」


 ········それで結局朝飯は?


 ごはんなのはわかってるさ。朝“ごはん”っていうくらいだし。


 だめだ。会話が成り立ってない。響子も俺もテンパってる。それもそうだ。こんなことはこれまでなかったし、あると考えすらしなかった。


(ここは、こうするしかないな)


 俺は椅子から降りて正座をし、そして頭を床につけた。俗に言う、土下座だ。俺がこれをするとは思わなかった。


「と、当麻くん!な、何してるの!?」

「ど、土下座だ。もしかしてそう見えないか?」

「そ、それは見ればわかるけど·········ってなんで急に土下座なんてしたの!?」

「俺がすべて悪かった。確認するべきだった。響子があのとき洗面所の中にいるなんて考えもしなかった」

「·······」

「謝って済む問題じゃないのは知ってる。弁護士失格だと言うなら資格も捨てる。だから――――――痛ッ!」


 土下座をしていた俺の頭にずしりと痛みが走った。


「い、いいもの持ってるじゃないか。響子」

「ヤグザみたいなこと言わないで」

「でも、急になんで······?」

「当麻くんを見てたら気にしてるのもバカみたいに思えただけ」


 響子はそう言って俺を立たせて、椅子に座るように言ってきた。俺が席につく間に朝飯を次々と持ってきて言う。


「私もごめんね。朝ごはん作ってたらお味噌汁こぼしちゃってお風呂入ってたんだ。鍵かけるべきだったよね」

「か、鍵?」

「······知らなかったの?もう一週間も住んでるのに?」

「········知ってたし」

「目が泳いでるよ、当麻くん。相変わらず嘘下手だよね」

「うるせぇ」


 俺は響子からの追撃を誤魔化すように米を食べた。響子はそんな俺の様子にクスリと笑った。


「次から気をつけるよ、こういうことがないように」

「そうだね、お互い気をつけよう」



 その後、俺と響子はいつものように朝飯を食べた。


 こうして平和的に解決すればいいが、そうはいかない。それがもはや俺の日常となりつつある。俺がどれだけ認めなくても流れがすでにできていて、俺が何をしようと対処しきれない“イベント”がこの後起きてしまうことが。


「それはそうと当麻くん」

「ん?なんだ?」

「その·····良かったなら何だけど····」

「········?」

「か、感想聞いてもいい?」

「今日の朝飯のか?」

「そ、そっちじゃなくて·····」


 そっちじゃない?選択肢がそれだとまるで2つあるみたいな気がするが。


「その·····最近、ちょっとだけ太っちゃってるんだけど·····そのどうかな?」

「ゲホゲホ」


 俺は響子をにらみながら、


「俺に聞くな!それこそ、りずはとかに聞けばいいだろ!」


 俺はいつも最後が締まらない。作り話のようにハッピーエンドで仮に終わったとしてもその後の後日談でそれがなかったかのように話がこじれるのだ。

 そう、今みたいに。それが俺の日常であり、微妙な“後悔”でもある。

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