アフター3 一軒家を買うに至るまでにあったこと② 職場での出来事

 引越し先が決定したその日は響子に散々からかわれるのみで終わった。

 俺は突然のアクシデントには未だ弱く、うろたえてしまうところがある。響子の『赤ちゃん欲しい』発言がまさにそれだ。俺はどう反応すればいいのか、名前をつけるとしたら?なんて質問になんと答えれば正解なのか。分からないことだらけで俺はその日、疲弊しきった。響子はそんな俺の様子をみて、嫌な笑みを浮かべていた。


 次の日からは再び俺は事務所へ、響子は研究所へと行った。昨日はたまたま休みで普段は普通に仕事がある。俺の勤める事務所では俺が一番年下で仕事中は常にミスしないよう気を張っている。まぁ、それでもミスはしてしまうのだが。


「切井くん」


 俺は机にある書類に目を通していたとき、そう声をかけられた。俺は視線をやるとその先には中村さんが立っていた。


 中村静江。俺がこの事務所に来てから色々とお世話になっている人の一人だ。弁護士として捜査等々をするときに一緒に行動する事が多い。髪をポニーテールで結び、制服をきっちり着ている。こういったところからも人の性格というものがわかるものだ。結構お偉いらしく、仕事中にかなり頼りにされている。聞きに行っているのは女性のみだが。


 俺以外にも男の人はいるのだが、その人達はここぞと中村さんとはペアにならないことを祈っている。俺はここに来てから仕事内容を教わったりしていたこともあり、苦手意識はない。ただ、この事務所内にいる女の人の中で最も“怖い”とは思っているけど。


 中村さんは完璧主義者という面があり、些細なミスも許さない。俺もここに来たばかりのときに何度も注意を受けた。その注意は回数を重ねるに連れ、厳しいものとなっていた。俺が昼食を食べ終え、仕事場へ入ろうとしたときに、『ドガーン、ドゴン、ボガーン』となにをしたらそんな音が鳴るのか、逆に気になるほどにキレたこともある。その注意を受けた男は次の日、別の事務所へ移転することになったとか。世の人はそれを“左遷”などと呼んでいたりするが、ことこの事務所に関してはどうなのか、よくわからない。そのため、中村さんと同じ仕事場では誰もがミスしないよう心がけている。だが、中村さんが声をかけてきたときには身構えてしまうのは男ども一同同じことだ。


 俺も中村さんに声をかけられたということに対して少なからず緊張していた。あれ?なんか俺はミスでもしただろうか、と考えてしまった。


「何でしょうか?」


「津田先生から聞いたのだけど、引っ越しをするんですって?」


「あ、はい。いつになるかはまだ確定ではないですけど、引っ越しはする予定です」


「そう·········今までのように私とペアというわけには行かなそうね、それなら」


 中村さんは残念そうにそういった。

 この事務所内でのペアは基本的に変わることはない。一度確定すると何かしらの事情がない限り(不祥事を起こしたとか、ペア同士があまりに不仲であるとか)は変わることはない。

 俺と中村さんは捜査をともにするときはたいてい遅くの時間、終電間際までしている事が多い。中村さんの行っていたペアがこのままでは変わるのでは?というのはそういうことなのだ。

 どうでもいい話だが、それと中村さんが津田の親父さんを“先生”と付けているのは司法試験に向けて法学について教わっていたから、らしい。津田の親父さんがそう言っていた。


「いえ、引越し先はもう決めていて、下見にあと行くだけなのですけど、ここからはそこまで遠い場所ではないですし、自分は自動車の運転免許を持っているので今まで通りでも問題はないですよ」


 俺は響子の過去の一件を捜査していく中で自動車免許は必要だと感じ、大学1年の半ば辺りで教習所へと行き、サクッと免許を獲得してきた。

 他にも色々と俺は資格を持っている。弁護士資格はもちろん、漢検・数検・英検はいずれも1級まで持っているし、1級小型船舶操縦士免許や教員免許もちゃっかり持ってる。他にも色々と資格を取ったは取ったが、ここでは割愛する。


「あら?そうなの。それは良かったわ。今後もよろしく」


「ええ、こちらこそ」


 中村さんはそう言うと手を振って自分の仕事へと戻っていった。


 ◇


 休憩時間となった。昼頃になると暗黙の了解なのだろう、休憩時間として誰もが自分の作業をやめ、事務所を離れて飲食店へ行く人や休憩所へ行き、睡眠を取る人、あるいは俺のように弁当を持参し、飲食場へ行く人に分かれる。


 この事務所にある飲食場は仕事場を出て、目前にある階段を登ってすぐにある。右手側には食堂があり、それを活用している人もいる。俺もここに来たばかりの頃はよく利用していた。メニューも種類が多くあり、栄光高校の学食にもあった日替わり定食なんかもある。値段そのものもそこまで高くなく、500円ほど。利用者も100〜200人ほどいるのでそこそこ儲かっていると見ていい。昼頃は結構人がごった返すため、この時間を避けるために早めに取る人や逆に人が減ってくる遅めの時間にする人などもいる。それも全て自由だ。この事務所では自分の仕事さえこなしていれば特に何もない。あるとすれば捜査に出る際のペアに関してか。

 ペア制度に関しては津田の親父さんが決定しているのではなく、だいたいの人が教育係として当てられた人と組む場合が多い。それ以外は基本的に受付や事務仕事オンリーの人だ。


 俺は空いている席を見つけるとすぐに座った。俺が座るとすぐ目前に中村さんが通った。中村さんは今日は食堂を利用しているようだ。いつもは弁当を持参していて、窓辺で食べている様子をよく見かけていたのだが、今日は食堂の気分であるのだろうか。


「切井くん、ご一緒しても?」


「ええ、どうぞ」


 俺は目前の席がちょうど空いていたこともあり、中村さんにその席をすすめた。中村さんはその席に座り、にこりと笑った。普段は“マジで真顔の女”なんて良くも分からない異名?をつけられているのだが、どうしたのだろうか。俺にだけ笑顔を向けてくれると勘違いしてしまうとか、思っているのだろうか?その考えは甘いと思うのだが。だって、響子のほうが1兆倍かわいいし。


「切井くんはいつも弁当なのね」


「まぁ、そうですね。自分の妻が仕事の日は毎日作ってくれるので」


「·····切井くんは結婚してるのよね····。私はどうもそんな浮いた話はないしね····」


「自分的には仕事できる女性はすごいと思いますけど」


 俺は中村さんとはなしている中で一つの疑問が生まれた。俺は今、何を話しているのだろうか?と。弁当の話をしていたと思ったら、なんかいつの間にか仕事できる女云々って話の移り変わりが見えてこない。コミュニケーション能力が欠けているとこうなるのか。

 中村さんは美人の部類に入るのだとは思う。たまに男の事務職員の人たちがトイレで中村さんの話をしているのを聞いたことがある。美人だとか、あれは彼氏いるだろとか。ただ怒るとめちゃくちゃ怖いという点がやはり男どもとしてはマイナスなようで、中村さんに進んで話しかけようとはしない。俺は質問やこうして世間話的なことをする程度で自分から進んで地雷を踏みに行こうとは思わない。いや、地雷って言ったらダメか。


「切井くんは料理ができない女子ってどう思う?」


「そうですね······」


 俺は中村さんの質問に対して少し考え込む。料理ができない女子。俺の知り合いにそんな人はいただろうか?妹のりずはは言うまでもなく、料理はできる。毎朝いつからか朝飯を作るようになっていたし。響子もできる。りずはと一緒に料理を作っている姿を見ていたことがあったし、何よりもともと響子は一人暮らしをしていた。料理は当然できると見ていいだろう。他の知り合いとなると小田切明子と徳川静香が挙がってくる。小田切明子は俺が勤めているこの事務所の社長の娘だ。そして、俺の親友の一人であり、ライバルである小田切順の妻。連絡を響子と取り合っているらしく、たまに順と何があったのか聞くことがある。無論、小田切(小田切明子)も料理はできる。徳川静香に関しては言うまでもない。


(こう考えると俺の周りに料理できない女子っていないな)


『別に料理ができない=女ではない』なんて俺は言うつもりは全くこれっぽっちもないが、なんとなく女子は料理ができるという偏見のようなものが俺にはあるようだ。


(それに中村さんのこの聞き方から推測するに中村さんは料理できないっぽいな)


 なら、普段誰が弁当を作っているのか自ずと推測できてしまう。きっと中村さんの両親であろうと。


(完璧超人なんてこの世にいるんだなぁ···なんて思っていたけど、そうでもないらしいな)


 なんでも見た目とかで判断すると痛い目を見る。それがまさに今回だったみたいだ。


「自分の周りには料理出来ない人がいないんですけど、自分はあんまり料理とかしていなくて、練習しているんですよね。継続が一番力になるって聞いたことありますから、もしよかったら料理の練習をやってみましょうよ」


 料理出来ないんだろ?そんな性格の悪いことは言わない。周りに優しくすることの大切さを高校のときにこれでもかと学んでいるから。人には得意不得意があって当然だ。それを尊重することでより自分の世界が広がる。人間関係が広がる。


 たとえ、中村さんのように普段厳しく叱ってくる人にも。完璧に見えるような人であっても。どんな人であっても悩みや不安があるときはあるのだ。俺はそんな人たちに対して手を差し伸べてやりたい、そう思っている。


 中村さんは俺の答えを聞き、キョトンとした後にクスクス笑った。


「そうね、継続は大事ね·····はぁ、私も切井くんみたいな人に会えるかしら?」


「······なんで自分のような人間なのかはわからないですけど、世の中には3人同じような人がいるらしいのでいるのではないですか?わからないですけど····」


「随分と適当ね」


「·······」


 今のは失言だったのか?!何が地雷かわからねぇな、相変わらず。


 中村さんは俺に目もくれず、おぼんを片しに行った。俺は冷や汗が止まらない。やばい、怒られる!怒られる!それだけが頭の中にあった。


「切井くん」


「は、はい!」


 おぼんを片した中村さんが戻ってきて俺の名前を呼んだ。目を見てすぐに俺はあれ?といつもの怒ったときのあの冷たい目をしていなかった。


「相談に乗ってくれてありがとう。それでは戻るわね」


「は、はい」


 最後に中村さんが笑みを俺に向けてきたのに対して俺は頭に?を浮かべるだけだった。ほんとに何だったんだ?

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