第120話 4年後のきみに会いに

 俺はいつでも後悔する、そう思っていた。どんなことをしてもうまく行かなくて、落ち込んで挫折して。投げ出したこともあった。でも、乗り越えられた。日下部響子やりずは、親父に母さん、小田切に徳川、鳥橋そして津田。今の俺がいるのは多くの人のおかげだ。感謝してもしきれない。


 俺を助けるためにそんなことをしたのではない、そう皆は言うのかもしれない。でも、俺にとっては良い経験で刺激的で最高に楽しい時間だった。今も俺の中で思い出として、教訓としてそれは生き続けている。


 そんな日々は終わり、俺は社会人となった。高校生だった頃とは違い、色々な責任や仕事を割り当てられることになり、遊ぶ時間なんてきっと減ることになるだろう。それでも変わらない。俺は、人の役に立つ人間となるために今まで勉強してきた。それを活かすときが来たんだ。


 それを気づかせてくれた日下部、いや、響子にはこれから大きな世話になる。言うのは遅れたが、俺なりに頑張ったつもりだ。気持ちには気づいていた。響子に対しての気持ち。それを今まで先延ばして後悔に打ちひしがれていたのも今では懐かしい。いや、なんか下の名前で呼ぶのには未だになれないな。高校のときのように日下部にしておこう。慣れないことはするもんじゃないしな。そんなことはさて置き。


 さて、俺は、日下部響子の隣に立つにふさわしい人間になれたのだろうか?


 ◇


「よし、完了!」


 高校の制服を着た女子生徒が朝ごはんの用意をしていた。言わずもがな切井りずはである。小学5年生になってから朝ごはん担当となってかれこれ6年もの間、朝ごはんを作ってきた。その手際は見事の一言だ。

 普段、りずはの兄である切井当麻は5時に起きて勉強をしていた。りずはもそれにつられる形で5時起きがいつしか習慣となり、朝ごはんの作り始めは5時15分頃。高校生となった今でもそれは変わらない。


 鼻歌交じりに朝ごはんをリビングへと運び、リビングルームにあるテレビを見ていた日下部響子の目前にある机に置いた。


「はい、日下部さん!」


「いつもありがとう、りずはちゃん」


「へへっ。それにしても今日もテレビに挙げられてるんだね」


 りずはが言ったのは今まさに日下部が見ているテレビにある。テレビでは最近になって解決した大きな事件に関してが取り上げられていた。12年前に長野にて起きた自動車事故、そしてその後、発生した誘拐事件。その大きな事件の全貌がついに分かり、現在では大々的にニュースに取り上げられていた。言わずもがな日下部の過去の一件である。それがついに解決し、切井は日下部との4年前の約束を果たしてみせた。


(当麻くんは約束したとおり、4年で私の過去の事件を解決してくれた。私もその4年の中で過去と向き合ったよ)


 私は大学に通い始めてから2年経った夏休み。大学2年生であった私は長野の美愛おばあちゃんの元へと帰った。美愛おばあちゃんは私が一人で長野に来たことに驚いていた。私が高校生のときまではなるべく長野には来ないようにしていた。その理由として、美愛おばあちゃんが多忙ということもあるけど、それだけではなく、過去のことを思い出してしまうのを避けるためだ。つまり、私は過去から目をそむけて、逃げていたということだ。そんな私がこうした一人で長野へと足を運んだことに美愛おばあちゃんは驚きを隠せなかったみたいだ。後ろに控えていた野口さんは一人で来た私のことを嬉しそうに見ていたけど。


 私が長野に戻った理由は単純なことで、これまでできていなかったお母さんとお父さんの墓参りをするためだ。私のことを育ててくれただけでなく、私が気づいていないだけでいつも私を守ってくれていた、そんな恩人である二人の墓参りをこれまで行けていなかった。いつも行こうとしても過去のことを思い出して途中までしか行くことができなかった。


 でも、今は違う。一人だったあの頃とは違う。私は一人で戦っているんじゃない。当麻くんも戦っているんだ。だから、逃げてばかりじゃダメだ。そう思って私は意を決して長野へと足を運んだ。


 長野に着いてすぐに墓参りに行くのもどうかと思い、美愛おばあちゃんと野口さんと一緒に1日目を過ごした。その中でおじいちゃんの状態について聞いてみた。今まで通り変化はなく、状態が急変することはないそうだが、治る手立ては未だに見つかっていないらしい。私の方でも調べたりしているけれど、あまりめぼしい情報はない。色々と大学で研究を重ねる必要がありそうだ。


 2日目。私はお母さんとお父さん、二人の墓参りに行った。


「響子、一人で大丈夫?」


「大丈夫だよ、美愛おばあちゃん。昔のときとは違うから」


 私は一人で墓参りを済ませた。そのことをお母さんとお父さんはどう思っているだろうか。きっと私のことを心配しながらも一人でよく頑張ったね、とそう言ってくれると思う。短い時間ではあったけど、血は繋がっていないけれど、あの時間が嘘偽りだらけのものだったわけがない。すごく楽しくて、幸せな時間だった。だからこそ、失われたあと、どうしようもなく辛くて苦しかったのだから。


 時間はすごくかかった。事故が起こってからもう10年も経っているのだ。私がお母さんとお父さんを亡くしてから10年。墓参りはもっと前からやるべきだったのは知っている。でも、当麻くんは言ってくれた。『一人で抱え込まなくていい』って。


 誰しも思い出したくないような過去を持っている。私の場合はその過去が普通より何倍も辛いものだけど、一人ではないのなら乗り越えられる。だってそうでしょ?私がこうして一人で墓参りができたのだから。


 そう言えば、小学4年生のときから私は変われているだろうか。お母さんとお父さんにかまってもらうためにあの手この手を使っていたあの頃と。


(考える必要なんてないよね?)


 あの頃なら、きっと一人でここまで来れなかっただろうから。私は少しは成長できてると思った。


 さて、あともうひと踏ん張りだ。


 当麻くんは今も頑張ってる。だから、私も頑張るよ。2年後の再会が私たちにとって最高のものにしたいから。


 ◇


 ガタンゴトンと音がする。周囲には多くの人が吊り革に掴まり、電車が目的の駅に着くのを今か今かと待ち構えている。そんな中、二人の男と女がいた。切井当麻、小田切順、津田明子の三人だ。


「当麻くん、もうそろそろで駅に着くよ」


「··········おう」


 切井は眠そうにそう答えた。実際、切井はこの4年もの間、日本国内をあちらこちら行き渡っていた。その疲れは尋常ではないだろう。


 切井の隣に座っていた小田切順はそんな切井の様子に嫌な笑みを浮かべた。これは、切井をからかうときにだけ浮かべる表情だ。


「当麻、そんなに日下部さんと再会するのが楽しみだったのか?」


「あっ!·········そういうことなんだぁ。へぇ?」


「うざ絡みやめろ、津田」


 俺は津田がニヤニヤを浮かべながら絡んでくるのを制した。


 俺がこうして眠そうにしているのにも理由がある。実は、先週から一昨日まで沖縄に津田の親父さんたちが行っていて、事務所内での事務処理をしていたのだ。事務所内での仕事そのものはそこまでなのだが、わけあって日下部本家での事務仕事も俺の仕事の一つになっていた。そのため、仕事量が膨大になり、一昨日まで睡眠時間が3時間を切り続けていたということがあった。高校時代でも4時間は最低寝るようにしていたため、この期間は地獄そのものだった。

 ゆっくり寝られるかと思えば津田の親父さんたちが沖縄から帰宅し、新しい案件に俺は連れ出されることになったため、昨日まで寝られない状態であった。


 響子と再会できるということは俺自身、かなり心待ちにしていたことだ。この日を迎えるために俺はこれまで色々とやってきたわけだし。とはいえ、さすがに睡眠不足はしんどかった。どれだけ俺ならできると意気込んでも連日の睡眠不足は体に来るものがある。昨日、家に帰るや爆睡をかましたのだって疲れが溜まっていた証拠となるだろう。これが社会人特有の苦しみというやつか。今から不安しかない。


『まもなく、大宮、大宮。お出口は左側です。本日も―――――――』


 俺は近くにある荷物を手に持つと席を立った。順と津田もそれに続く。


「久々の大宮はどうだ、当麻?」


「4年ぶりなのは確かだけどさ、何も変わってないな。ほんとに何も変わってない」


 4年前に見た景色と今見る景色が全く異なっていればきっと『ああ、変わったんだな』とそう漠然と思ったことだと思う。しかし、俺の目の前にある景色は4年前と変わっていないように俺の目に映った。ほんとうは何か変化があるのかもしれないが、そんなことは些細なもので、俺にとってはどうでもよかった。ただ、また同じ景色を見られたということが俺にとってはなによりも嬉しいことだった。世の中、諸行無常と言われながらも変わらぬものが見つかったのが俺にはうれしかったのだ。


「当麻、おかえり、それとおつかれ」

「本当にだよ。当麻くんはすごく頑張った!」


「·········ああ、ただいま」


 俺の最後の戦いはこの瞬間に終わりを迎えた。


 改札を出ると俺はスマホでラインを送った。きっと日下部のことだ。今か今かと待ち構えていることだろうし、早く送ったほうがいいだろう。


(文面はどうしようか?久々ともなる再会だから長い文を書きたいと思うところだが、ここは端的に)


で落ち合おう』


 俺はそうラインに書くと響子に向けて送った。




 ◇


 私はリビングでラインを開いて連絡が来るのを待っていた。今日が当麻くんと再会できる日。4年間ずっと待っていた日なんだ。

 高校生のときに再会したときも嬉しかった。けれど、それとは比にならないくらい今日一日を迎えるのは長かったように私は感じた。ほんとうは高校で再会したときのほうが長い時間が経っていたというのに。


 別れることになったあの日。私は覚悟を決めて望んだつもりだった。けれど、当麻くんの顔を見ていると4年も会えないという事実を前に私は体の震えが止まらなかった。私だけが悲しいわけじゃない。当麻くんだって声が震えていた。当麻くんだって泣きたいくらいに辛いんだ。だから、私は今泣くわけにはいかない。そう思っていても体は思うようには動かない。涙が出そうだった。

 私が泣いてしまったらきっと当麻くんのことだ。東京に行くのを断念して私のことを優先してくれたと思う。私がわがままを言っても嫌な顔せず付き合ってくれたと思う。


 でも、それじゃダメだ。


 当麻くんは中学・高校と友達を作ろうとせずに勉強を一人でやっていた理由として『馴れ合ったら終わると思った』と言っていた。私が今からやろうとしていることはまさにその馴れ合いなんじゃないのか?私は当麻くんに依存しているだけじゃないのか?そう思った。


 当麻くんとはここで別れたりせずに一緒にいたいと私は思ってる。けれど、それはお互いの夢を叶えた後でもいいんじゃないの?私は当麻くんと約束をしたときに自分の中で結論を出せた。


 それからたまに電話をして4年もの月日を過ごした。大学生としての生活も楽しかったけれど、やっぱり当麻くんが隣にいないのは寂しかった。


 それももう終わり。当麻くんとやっと会える。早く会いたい。


 ピロン。


 私の体がビクッと震えた。私は急いで送られてきたラインを見た。


で落ち合おう』


 私は脳内で場所を思い浮かべて、すぐにソファの近くに置いていた荷物を持つとバタバタと玄関へと急ぐ。


「あれ?日下部さん?どこか行くの?」


「うん!行ってきます!」


「ああ··········そういうことか。お兄ちゃん、やっと着いたんだ」


 りずはちゃんは何かつぶやいていたようだったけど、私はそれどころじゃなかった。私は玄関を出ると走り出した。


 ◇


 俺はラインを送り終えると順と津田を見た。順と津田はもう分かってるからと言いたげに肩をすくめていた。


「日下部さんには連絡したんだろ?待たせたら悪いから早く行ってこいよ、当麻」


「日下部さんによろしく伝えてね?」


「ああ、ありがとな。この恩はいつか返すよ」


 俺はそう言うと目的地へと走った。


 俺は走りながらあの日もこうして走っていたことを思い出した。日下部響子という存在が俺にとってなんなのかにやっと気づいて、順に背中を押されて走っていた。


 間違いをして、後悔をして。それを何度も繰り返してきた俺の高校生活の中でも日下部響子という存在が大きかった。日下部だけじゃない。順や徳川、津田、鳥橋。多くの人が俺の周りにはいた。


 小学4年の終わり。俺は交通事故で友人たちに見限られ、一人になった。けれど、今は一人じゃない。多くの仲間がいる。


 だからこそ、言える。後悔することは何も怖いことではない。後悔するのを恐れず、突き進めばいいことが多くあるんだ。


 俺は目的地に到着した。日下部の姿はない。ラインを送ってからまだ6分ほどだ。だから、どれだけ早くてもあと2・3分はかかると見ていいだろう。


 俺は近くにあるベンチに座って体を休めながら考える。


『人生の中で後悔しないということはあるのだろうか』


 俺は今でも『ない』と答える。俺のこれまでは後悔するべき事が多くある。恥ずかしすぎて忘れてしまいたいこともある。それを過去の笑い話にできる人はほんとにすごいと思う。俺には到底無理だ。


 後悔という言葉は複雑だ。考えれば考えるほどにこんがらがってくる。辞書で調べても俺は納得できなかったし。


 あのとき、これを選べばよかった。なんてよく聞く話だ。後悔はこう聞くと心残りと似た意味のように感じる。後悔=心残りという数式が成り立っているように思えてならない。


 でも、今はそれだけではないように思う。


 俺はベンチから腰を上げると、空を見上げた。4年前のとき、東京へと引っ越したあの日と同じ晴れ渡る空がある。


 この空に対して人はマイナスなことを思い浮かべないだろう。いい天気だと頭の中で思い、それぞれが外遊びや部活やらに打ち込んだりすることだろう。


 だが、後悔という単語に対してはどうだろうか。マイナスな意味しか思いつかないのではないのだろうか。実際、俺自身もこの言葉はマイナスな言葉だと思っていた。高校を卒業するまでは。


 後悔は決してマイナスな意味のみを表す言葉ではない。


 後悔をする/したという過程の中で得られるものがあり、それが後悔という言葉をプラスへと変化させる。そして、それが後悔した本人にとって大切なものとなるのだ。


 俺の後悔の過程の中には日下部響子という存在があった。人によっては自分にとって大切な人が過程の中にはなくて、別のものだったり、経験だったりと異なることはあると思うが、俺にとってのこれまでの後悔はしてきてよかったとすら思うものだった。むしろ、後悔をしていなければ日下部とは出会わなかっただろうから。


 だから、今日、この日の再会はきっと高校のときとはまた違った感動があるはずだ。俺と日下部が高齢となったとしても忘れることの出来ない思い出の一つとなっているはずだ。


 俺は振り返ると、一言だけ言った。


「久しぶりだな、日下部」




 ◇


 私は荒れる息を抑えながら目的地である私が昔住んでいた家からすぐ近くにある公園の中を見た。そこには私が4年間も待ち続けていた存在があった。4年前に見たときと変わらない笑みを浮かべて私に一言、言ってくれた。


「久しぶりだな、日下部」


「··········当麻くん····················当麻くん!!」


 私は彼の元へと走り、そして、抱きついた。目から涙がこぼれてきた。止まりそうもないほどの涙がこぼれてきた。


 何度も会いたいと思った。4年なんて一瞬だなんて強がってみてもやっぱり辛くて寂しくて。早く会いたいという気持ちに駆られた。でも、会えない。そんなジレンマに私は涙をこぼしそうになったことがあった。


「俺のわがままに4年も付き合わせて悪かった。そのかいあって日下部········いや、響子の過去の一件は解決したぞ」


「うん·········うん!」


 当麻くんは私の頭を優しく撫でてくれた。優しいその手付きに私はさらに涙がこぼれた。


 私は顔を上げて彼の顔を見た。4年前に見たときより大人びている顔だ。でも、雰囲気は4年前と何も変わっていない。


 冷たいときもあるけど、ピンチになったときに頼りになる、そんな存在。私が世界で一番大好きな存在。当麻くんは私にとって命の恩人で、大切な存在だ。どれだけ言葉を尽くしても表しきれないくらい当麻くんは私にとって偉大な存在だ。


「当麻くん、おかえりなさい」


「ああ、ただいま」


 私たちはキスを交わして、お互いの再会を喜びあった。


















 私はこの日を忘れることはないでしょう。


 俺はこの日を忘れることはないだろう。


 何度も思い続けて、それを乗り越えて、やっとできた再会だから。


 喧嘩をすることや嫌いだと思うこともあるでしょう。


 仕事があったりして常に一緒にはいられないだろうし、苦難も待ち構えていることだろう。


 それでも、私たちならきっと乗り越えられる。


 そう、俺は思う。これまでやってきたように協力しあえば絶対にできる。


 4年後のあなたに会って私はそう確信した。


 4年後のきみに会って俺はそう確信した。

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