第5話 俺はいつでも勉強する

 ザァザァ。雨の音が聞こえてくる。それもそのはず。今は6月だ。梅雨の時期へと移行した、たったそれだけのこと。


 俺はりずはが朝食を準備している間、勉強をしていると前にも言ったことだと思う。


 梅雨は、長期間に渡り雨が降り、ジメジメとした空気を作り出す。その上、スポーツなんかをやっているとなかなかきついそうだ。練習ができないとか、なんかジメジメするとか。知ったこっちゃないがな。俺からしたら関係ないし。


 俺は部活には所属していない。というのもする意味がないと思っているからだ。スポーツは別に苦手というわけではないが、得意でもない。高校だって推薦で入ってはいるが、勉強によるものだ。


 俺の通っている高校は成績優秀で偏差値が78以上だと推薦で入ることができる。俺は中学時代、偏差値は79あったこともあり、推薦をもらえた。スポーツ推薦というのもあるにはあるが、俺が取れると思うか?思わないよな。


 勉強しかできないとは俺は思わないが、高校では勉強の方に重点を置くことは間違ってはいないと思う。大学受験では確実に受かるとは誰も言えない。まあ、俺はほぼ受かると思うが。


 今だって、模試で偏差値82ある。東京大学とかになるとわからないが、それでもそこらの大学になら受かると思う。まだ高ニだし、大学受験はあと一年ほどある。ゆっくりとはいけないが、焦る必要もない。確実に一つ一つできるようになればいい。


 you have to learn to walk before you run


その精神でこれからも勉強に励むだけだ。


 俺はりずはが用意した朝食を食べると、身支度等を済ませ、学校へと向かっていく。


 学校に着くと、すぐにノートを取り出し、勉強を始める。今俺がやっている科目は物理だ。


 物理は、高校で勉強する科目の中で最も難しいと言われている。話によると、日本で一番赤点を取る科目なんだとか。確かに難しいとは思うが、解けないほどではない。公式を頭に入れ、途中式を省略することなく丁寧に最初やっていけば、できないことはない。じっくりやっていくのが、物理での勉強法だ。


 授業すべてが終わり、俺は帰り支度をしていた。忘れ物等をしたことはないが、確認はしといたほうが良いと思う。なんでも、忘れ物は心の乱れだとか、そんなことを言われたような気がする。知らんけど。


 さっさと帰るか、そう思ったとき


「一緒に帰らない、切井くん?」


 なぜか日下部がいた。俺が来るのを待っていたとでも言うかのように、俺の下駄箱の前で待ち構えていた。


 なんで、日下部がここに?部活入ってないのか?


 俺自身が部活に入っていない事を棚に上げ、そう思った。


「なんで、日下部がここにいるんだ?」


「一緒に帰ろうと思ってね」


「いや、一人で帰れよ。雨だって降ってるだろ?早く帰って勉強しなくていいのかよ」


 吐き捨てるように、俺は日下部にそう言い、下駄箱から靴を取り出し、上履きを中に入れる。


「また一緒に勉強をしようと思ってさ」


 はあ、またそれそれか。りずはにまた勘違いされるのは勘弁してほしい。その上、俺と勉強したいとか、意味がわからない。


「勘弁してくれ。りずはに誤解されたのは、お前のせいだぞ」


 俺の言ったことがわからなかったのか、何言ってるんだみたいなそんな顔をしていた。俺としては殴ってやりたい気持ちに駆られたが、我慢する。今は校内だ。やったら、大学進学にも、これからの高校生活にも影響が出る。我慢しろ、俺!


「誤解?なんのこと?」


「前に俺の部屋で勉強したとき、りずはが日下部のことを俺の彼女だと思ったらしい。追求が面倒だし、俺は一人で勉強がしたい」


 俺は早口にそう言い、雨がザァザァと降っている中、傘をさし、歩き出した。雨は先程から強くなり、新聞には洪水になる可能性があるといっていた。すぐに帰れば問題ないと思うが、不測の事態に対応することもまた必要になってくるだろう。


 俺は少しずつ歩くスピードを下げる。体力にはそれなりに自信があるが、やはり疲れてきた。スピードを落とし、一息つくとさっきから、日下部が物静かなことに気づいた。俺としてはなんで連いてくるんだコイツは?という感じなのだが、まぁ、あの日下部のことだ。全く気にしていないことだろう。しかし、妙だ。静か過ぎる。


 日下部は俺についてくるような形で歩いていたが、一言も喋っていない。微妙に気まずい雰囲気ではあったが、迷わず日下部に話しかけた。気にしていたら負けだ。


「日下部、どうかしたか?」


「な、なんでもないぞ」


 いや、あるだろ。なんでもなかったら、声裏返ったりしないだろ。それになんか顔赤いし。顔が赤い?まさか!


「おい、日下部。お前まさか、風邪ひいてるのか?」


「ひいてなどないぞ。今日だって、36.6度であることは確認している」


 いや、そんなこと聞いてねぇよ。だが、風邪をひいてないのか。なら、なんで顔が赤いんだ?まさか!


「おい、日下部。お前まさかりんご病なのか?」


「んなわけあるか!さっきから何なのだ。気になることがあるのなら、単刀直入に聞いてよ」


 なんかよくわからないが、日下部が怒った。俺がなんかしたということなのだろうが心当たりがない。単刀直入に聞けばいいのか。


「じゃあ聞くが、さっきから日下部、妙によそよそしいような気がするんだが、どうかしたか?さっきまで一言も喋らないから、別人かと思ったぞ!!」


「それはひどいでしょ。別人とか!」


 ん?!


「お前、やっぱ変だろ?」


「え、何が?」


 なんか違和感があるというか、さっきまでとはないかが違う。決定的何かが。

 日下部をじっと見ていると、


「何か私の顔についてる?ていうか、あまりじっと見ないでよ、恥ずかしいから」


 あ!


俺は顔を赤くして、うつむいている日下部を見て、これまでと決定的に異なる部分に気がついた。


「お前、“喋り方”変じゃね?」


「え?あっ!?」


 なにか気づいたようなそんな声を出していたが、むしろなんで気づかないんだってくらいだな。俺は他人に無関心をつらねいているからな、気付かなくてもおかしくはないと思うが、話してる張本人も気付かないとか無意識のうちに喋り方を変えていたということか?妙なこともあるもんだな。物理勉強している俺ですらわからないはなぁ。


「今までのはなかったことにして」


 小声で俺にそう言ってきた。顔を真っ赤にして、そう懇願されると頷くことしかできない。時間を消すことはできないが、忘れることはできる。本人は忘れられず、ベットであーーってやるのが落ちか。


「別に恥ずかしがる必要はなくねぇか?」


「え?」


 日下部は驚いたようだ。何に驚いたのかは分からないが。


「話し方なんて人それぞれだ。男口調とかそんなあるかしらねぇが、別に話し方なんてなんでもいいだろ」


 俺は日下部の方を見て言う。


「日下部はなんでそうも“口調を”変えるんだ?普段はそんな風に話してんのか?」


「いや、そういうことは・・・・・・ないけど・・・・・・・・・・」


 日下部はうつむいてそう言った。なにか後ろめたいことがあるのだろうか。よくわからないが、日下部には日下部なりの事情があるのかもしれない。


「だったらいつも友だちと話してるみたいにしてくれ。そういうふうに俺の前でだけ畏まられても俺が困る。それに日下部自身もそんな不慣れな口調だと疲れるだろ。慣れないことはやめとけ」


「・・・・・・・・・・・・・・」


 日下部は黙ったまま俺を見ていた。どことなく目が見開かれているように感じる。なにか俺は変なことを言ったのだろうか。心当たりが無いのだが。


「それにしても口調が変わるくらい慌てるとかどうしたんだ?なにかあったのか?」


 俺は気まずい雰囲気になりそうなのを察して話題を変える。この手のやつはすぐに終わらせ、次に進んだほうがいい。だんまりの空気はさすがに俺としては勘弁したい。


「ちょっと、慌ててただけだから」


「慌てるって、何にだよ?慌てる要素、何もなかっただろ?」


「だって、急に切井くんがか、彼女って言ったから」


 あ?彼女?あ!



『前に俺の部屋で勉強したとき、りずはが日下部のことを俺の“ 彼女 ”だと思ったらしい。追求が面倒だし、俺は一人で勉強がしたい』



 言ってるわ。おもクソ言ってるわ。これ気にしてたのか、日下部は。クソッ。なぜ気づかなかった。


「なんか、悪い。急に変なこと言い出して」


「大丈夫。私と切井くんの仲だから、ね?」


 どんな仲だよ。それに俺はお前と仲良くなった覚えはない。 あと、最後の『ね?』は友だちに向けてやるものだろうから、俺に向けてはやめてくれ。


とはいえ、そう言って水を指すのも良くないだろうと思い、


「そうかよ。で、話は少し逸れるが、誤解は解いてあるから安心しろよ」


「そ、そう·······なんだ」


 なんか残念そうに見えたが、気にしてたらお終いだろう。


「俺はコッチだから」


「ああ、また明日」


 日下部は俺に向かって手を振ってくるが、興味はない。俺は帰路についた。



   ………………………………………………………………


 私は家につくなり、ベットにのしかかった。切井くんから彼女なんて言ってもらえるなんてと思ってしまった私を殺してしまいたい。思い上がって遂に私もなんてそんなことあるわけがない。すごい恥ずかしかった。とにかく。


 おそらくというか確実にだけど切井くんは覚えていないと思う。“あの日のこと”を。だから、私は切井くんの前でだけは少し頭がいい風を見せるためにあんな口調で話していた。というのは建前で実を言うと“別の理由”がある。こればかりは言えないけど。


 ある日のことだ。高校に入ってすぐの模試で切井くんがトップを取り、私は20位だったとき。私の中ではそれで満足だったのに切井くんを見て変わった。切井くんはトップであるのにすごく悔しがっていた。こんな点数では意味がない。無価値だと。そう誰もいない廊下で言っていたのを聞いてしまった。


 あのときの切井くんはこんな点数だった。


 国語 92/100 偏差値 79.4

 数学 98/100 偏差値 79.8

 英語100/100 偏差値 81.0

 合計290/300 偏差値 79.9


 とんでもなくいい結果だと思うのだけれど、切井くんにとってはダメらしい。レベルが違うなと思った。


 次の模試では理科、社会が追加されていた。


 国語 95/100 偏差値 80.1

 数学100/100 偏差値 81.9

 英語100/100 偏差値 80.5

 理科 88/100 偏差値 79.9

 社会 91/100 偏差値 79.7

 合計474/500 偏差値 80.0

 校内順位 1位


 この模試では理科がかなり難しく8割を取れるのが全国内でも二桁だったとか。切井くんは栄光高校唯一の8割を取ったとして先生からすごい褒められていた。当の本人はかなり険しい顔をしていたけど。


 私自身はこの模試ではかなり前回より上がった。


 国語 72/100 偏差値 70.1

 数学 90/100 偏差値 75.9

 英語 80/100 偏差値 71.0

 理科 71/100 偏差値 71.3

 社会 88/100 偏差値 79.2

 合計401/500 偏差値 73.5

 校内順位 8位


 それから私はさらに勉強した。切井くんに負けないために!


 そして、


 確認試験


 1位 切井当麻 500

 2位 日下部響子490

 3位 “津田明子”489

 ・・・・・・・・・・・・・


 私はガッツポーズをした。やっとここまでこれた。そう思ったからだ。それに努力は必ず報われるということもわかった。これまで勉強してきてよかった。そう思った。


 次になる試験は中間試験。結果は2位。すごく悔しかった。そしてそれ以上に切井くんの凄さを実感した。


『話し方なんて人それぞれだ。男口調とかそんなあるかしらねぇが、別に話し方なんてなんでもいい』


 初めて言われた。私が気にしていることを少しも顧みず切井くんはそう言った。ほんとに彼には敵わない。テストでも勝てそうに“今”はない。これから勝つけどね。とにかく、私の目標は切井くん一人だ。勉強頑張らないと!


 それにしてもいま思い出すと、切井くんの部屋すごかったなぁ。本棚の中が勉強道具でぎっしり埋まっていて、私とは何か違う。一緒に勉強したからわかる。


 その後、切井くんの妹さんのりずはちゃんに誤解されていたとは知らなかったけど、切井くんがその誤解を解いたと聞いた。その時なんでか胸の中がムワってなった。


 この気持ちは何だろう?


  ………………………………………………………………………………


 俺は家につくなり、手洗いうがい等を済ませ、勉強し始める。俺はもっともっと勉強しなくてはならない。そう、あの子のために。そして、再会したときに“コレ”を渡せるように。

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