ラーメン

エリー.ファー

ラーメン

 一杯のラーメンを求めていた。

 真夜中だった。

 寒いか、暑いかは分からない。忘れてしまった。

 夜食というかなんというか、とにかく真夜中が不安で、腹に何か押し込んでしまいたい気分だった。だから、別に美味しいラーメンを食べたいということではないのだ。なんとなくでいいから、自分の体を丁寧に理解したいし、労わってやりたいと思っただけにすぎないのである。

 醤油もいいし、塩もいい、味噌もいい。なんでもいい。

 ラーメンだって、別段大好きな食べ物というわけではない。ただ、さらっと食べられるものとしてラーメンが思い浮かんだということでしかないのだ。

 唾液もでない。

 こんなラーメンを食べたいという想像が、理想が、妄想がある訳でもない。

 ただあてどもなく歩くばかりである。

 気が付くと、一キロメートル以上歩いていた。考え事をしていたわけではないのに、疲労も特にたまることもなく何となく来てしまった。

 二キロ。

 三キロ。

 四キロ。

 五キロ。

 六キロ。

 不思議な気分だった。

 疲れない。

 ラーメン屋を探して歩き回って、気が付けば元いた場所からどんどんと遠くなっている。こんなこと、今まで一度もなかった。そもそも、歩き回るのが嫌いであるし、苦手なのだ。

 ラーメンを求めて、こんなに長く歩いたこともない。

 でも。

 歩くことが楽しくなっている。この気分は、昔自分の中に確かにあったものだ。今はもうどこを探しても、その欠片さえ見つからないというのに、不思議なものである。

 私は、少しだけ私が子どもっぽいことを知った。

 スーパーの駄菓子のコーナーで、何時間も自分の持っているお金と比べながら悩んだことを思い出してしまう。

 それが、今の自分にはある気がする。

 ノスタルジーか、エモいということなのか。そういうものは、理解の外に出てしまったが。

 私の肌がそれを求めている。

 夜が深いせいだろうか。私にはもうどこにも行く場所がない。帰ろうかと思ったが、自分の立っている場所がどこなのか、分からなくなってしまった。戻るべき場所の名前も自分の中に存在していない。

 誰ともすれ違わない。誰の顔も覚えていない。

 私の友達も、妻も、夫も、親友も、父も、母も、最初の彼氏も、最初の彼女も、子どもも、親友も。

 誰も知らない。

 体が軽くなってしまう。足先が地面から離れる。

 何故だろうか。

 寂しくないのだ。

 ラーメンを食べに来ただけなのに、どこかで安心したいと思っただけなのに。

 私は少しずつ自分を失っている。

 けれど。

 失うということがまた気持ち良いのだ。私が消えていく感覚が心地いいのだ。

 最高のラーメンというものがなんであるかは分からない。しかし、きっとそれを食べた時の幸せな気持ちというのは、全く同じなのだろう。

 自分が肯定されて、何も残らないというような、気難しさも消えたもう一つのステージ。

 自分の知らない世界の先を知ったが、その場所の良いところも悪いところも理解して展望も開けている状態。

 私が、私を完全に理解した状態。

 私は自分の首に縄が絡まっていることを思い出す。

 足先は地面についていない。

 縄の先は大きな木の枝に繋がっている。

 私の体が風に揺れている。

 ラーメンを食べたいなあ、と思った。

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ラーメン エリー.ファー @eri-far-

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