Angel 09 侍者の剣技

 リーダーたちが逃げるように駆け登っていった結果21階に来てしまっていた。階下からは警備兵が迫っており、これ以上のぼる階段……逃げ場はほとんど無い。

 強いて言えば、屋上プールがある。外に出ればスペース自体はあるがただの時間稼ぎにしかならないだろう。結局は袋の鼠だ。


「どうするよ、リーダーさん。俺もそろそろ足にガタがきてやがる。もう何度も跳べないぞ」


 シューターは、貨物室からずっとmagicaを駆使し戦ってきた。一番の疲労があるだろう。それに加えて所々身体から血が滲んでいる。致命傷は避けてはいるが万全とは程遠い。

 限られた時間に限られた人員。ここから導き出されるのは……


(詰み……か。何とかしてこいつらだけでも逃がさねぇとな。二代続けてリーダーの死にざまが一戦死は、どうも呪われてんな)


 リーダーは自虐じみた笑みを浮かべた。


「——おぉ、既に満身創痍って感じだな。ほっといても死ぬんじゃねぇか?」


 ——気づかなかった、不覚だった。

 恐る恐る声のする背後を向くと、30歳手前くらいの男が、ポケットに手を突っ込んで立っていた。


「くっ……!」


 咄嗟におこす回避行動。バックステップを踏んで、とりあえず間合いを取る。海の風がやたらと冷たく思えてきた。


 驚愕するリーダーたちと対照的に、適性体の少女は、やけに目を輝かせて男を見つめる。


「フィリップ!」

「よう、お嬢。ご無事で何より」


 フィリップはと呼ばれた男は、適性体の少女に向かって、フランクに手を上げる。

 彼からは敵対心が見られない。緊張感も無く、呑気のんき欠伸あくびすらしている。

 

 ——杞憂きゆうだったのだろうか? 


「フィリップ早く助けて! お父さんの所まで連れてって!」

「う~ん。俺もそうしたいのは山々なんだけどね、助けられないのさ」

「なんで!? フィリップはお父さんの付き人でしょ! こんなのお父さんが許すわけがない!」


 少女は悲しみをあらわにしている。

 

「俺が助けたくないとかじゃない。その“お父さん”の指示なんだよ。大人の事情ってやつさ。お嬢をこっから先には連れてけない」

「——え?」

 

 フィリップは真顔で事実を突きつける。少女はただひたすらに、顔から光を失っていく。助けるなと、父親が命じたのだ。無理は無い。

 完全に心の余裕が無くなった少女に向けて、リーダーは冷たく言葉を突き刺す。


「お前たちの事情に外野の俺が口出す事じゃねえが、アドナイはそういう国だ。進歩のためなら同族だろうが家族だろうが構わない。さしずめ、お前は適性体でありながらウォータースの娘ってとこか。運がなかったな」

「でもお父さんは!」


 少女は今にも吐きそうな声で、震えている。


「お前に埋め込まれた“天使”がその証拠だろ。ウォータースはお前の父親である前にコンフェッサー、研究者だったってことだ」

「あなたって人は! 少しはこの子の事を考えなさい。私たちの目的はそんな事じゃ無いでしょう! このような子を産みださないようにすることが、私たちの使命でしょう!」


 参謀が胸ぐらをつかみ、リーダーを抑制する。本気で怒っているようだ。リーダーは不貞腐ふてぐされたように顔を逸らしている。


「あぁ……じゃあそういう訳で、俺はお嬢と君たちを止めなきゃならない」


 フィリップは腰のレイピアをおもむろに引き抜く。そして胸の前で構えた。

 ——その瞬間、空気が一変する。先ほどまでのおちゃらけた男はどこに行ったのだろうか? 殺意と覚悟、信念がその瞳には宿っていた。


 彼に抜刀させてはいけなかった。すぐさま撃ち抜くべきだった。


 リーダーたちは総じて足が止まる。“逃げろ”という脳からの指示を、体が拒否しているのだ。彼と対峙して分かるのは圧倒的な差。こいつには——敵わない。


 そんなリーダーたちに追い打ちをかけるように、フィリップは瞳を光らせる。magicaの発動だ。


「——斬風烈靱ブラスク


 フィリップはそう呟くと、虚空を切り裂いた。

 生き物としての本能だろうか、言う事を聞かない体を無理やりに動かし、リーダーはとっさに横っ飛びをする。着地に失敗し、床に体が叩きつけられた。

 

 ——リーダーが先程まで立っていた場所は、床ごと鋭利に切り裂かれた。空間をえぐり取ったようにも見える。


「へぇ、初見で良く避けたね」

「クソったれ!」


 リーダーは咄嗟にフィリップの眉間に向けて発砲をする。

 放った弾丸は無慈悲にもレイピアによって切り裂かれ、フィリップの前に落下する。カランと軽い音が船内に響いた。


「マジかよ……どんな動体視力してやがる」


 シューターは自分でも気づかないうちに笑っていた。恐怖からくる笑みは、仕方のないの事だった。

 臨戦態勢に入ったフィリップの前で、戦う意志を保てているリーダーが異様とすらいえる。戦意を失うほどの威圧感を感じたのは、これが初めてだったのだ。


 彼らは軍で訓練を受けたわけでもない、あくまで普通の青少年集団だ。精神的にも未熟だというのに、屈強な戦士の在り方を期待するのはこくだ。


「コンフェッサーの付き人になるにはこれくらい普通さ。俺はまだ人間やってるけど、周りはもっと化け物ばっか——俺も嫌になっちゃうよッ!」


 フィリップはリーダーに向け再び虚空を切り裂いた。おそらくこの動作がmagicaの発動条件なのだろう。

 リーダーも負けじと回避行動をとるが避けきれない。左肩に鋭い痛みを感じる。


「っ……全員回避に専念しろ! まともに当たったら即死だ!」

「見てれば分かるっつの! で、リーダーさんどうするよ」


 シューターが飛びながらリーダーに尋ねる。


「———」


 痛みをこらえながら思考を巡らせる。

 リーダーはまともな戦闘訓練を受けた経験も、優れたmagicaも無い。所詮は一般人より少し動ける程度のものだ。戦闘面ならシューターや寡黙。後方支援なら参謀にエスパーがいる。今の彼の持ち味はこころざしという不確定で、信用に値しないものだ。 


 今だって痛みで吐きそうになっているのを必死でこらえている。リーダーではこの状況を打開できるヒーローにはなれない。


「……なあエスパー」

「何、お兄ちゃん?」

「あれ、あの斬撃を止めれるか」


 力がないのなら頼るしかない。不甲斐なくても、妹を危険にさらしてもだ。


「多分……でも連続は無理。1回だけ本気で集中すればできると思う——ううん、私やるよ。出来ないじゃない。やってやる」


 自分より勇ましい妹の様子を見てにやりと笑う。将来は安泰だな。


「——上等だ。おいシューター、寡黙! 時間作りやがれ。俺がアイツの眉間に鉛玉をぶち込んでやる! 参謀とエーミールは適性体守っとけ。殺させたら承知しねぇ! てめぇらの命より重いと思えよ!」

「「「了解!」」」


 リーダーの声に全員が賛同する。

 

速移転身パサージュ


 シューターが眼前から消失する。人間の動体視力では追いつくことの無い速度で常に移動を始めた。それは弾丸を目視できるフィリップでも追いきれない速度だった。


 寡黙はすかさず接近し、フィリップと距離を詰める。放たれた斬風烈靱ブラスクは寡黙を捉えるが、軽い切り傷だけで済んでしまう。


「……硬質化ってところかな。面倒だね」


 寡黙がレイピアの間合いに入ると、フィリップは圧倒的な手数で翻弄する。既に寡黙の体には数え切れないほどの切り傷が生まれ、血が滴っている。

 フィリップはmagica頼りだけではなく、剣術の腕も一級品だと分かる。彼から感じる威圧は、この隙の生じない構えと剣技からくるものだったのだろう。


「くっ……」


 寡黙は数少ない“目”という弱点を護るため、動くこともままならない。両腕を顔の前で固めている。

 しかし、これでタンクという彼の仕事は達成された。


 寡黙がフィリップと膠着状態に入ったのを確認すると、シューターは減速せずに人間の死角、背後からナイフを構えながら接近をする。これでは認識される前に刈り取れる。


 ——しかしそれも叶わなかった。

 フィリップは唐突に無造作に周囲の空間を切り裂き、斬撃を飛ばしだす。見えない刃は四方八方に飛び散って飛んでいく


「くっ……」


 シューターは減速しナイフで斬撃を受け止めた。その一瞬の隙が命取りになる。


「そこか」


 フィリップは動きの停まったシューターを見つけると、シューターの右足を躊躇ためらいなく突き刺した。


「転移じゃないのが残念だね。実体は常に出ている欠陥だ」

「そんな事本人が一番分かってんだよ!」

 

 シューターは意味ありげに笑い、左手から伸びている透明なワイヤーを引っ張る。すると無数のナイフが上空から自然落下しはじめた。


 これはシューターが動きながらワイヤーを使って作り出した、言わば決戦舞台だ。


 いくつかのワイヤーとナイフは既に先程の斬風烈靱ブラスクで吹き飛ばされ無効化されているが、それでも注意を引くには十分だった。

 

 フィリップは面倒くさそうに空を薙ぎ払う。

 その一瞬で十分だった。いつの間にかリーダーはフィリップまで2Mまで詰めており、引き金に手をかけている。寡黙とシューターの2人がかりで生み出した意識の外側だ。


「その距離なら対応できないとでも思ったのかい?」


 フィリップは酷くつまらなそうにしていた。

 そして放たれた弾丸を、斬風烈靱ブラスクで断ち切ろうとする。だが斬風烈靱ブラスクは不自然に停止し――消失した。


 エスパーの空間掌握プシコキネジー。彼女のmagicaは周囲の空間に存在する全てに干渉する。万能という訳ではなく、物理的に質量が多い物や、エネルギー量が多い物、生体などはどうしようもない。それにしても1級品と言えるだろう。


 しかしこれでもまだ弾丸は届かない。フィリップは落ち着いた様子でレイピアを振る。斬風烈靱ブラスクでなくとも、先ほどと同じように弾丸は切れるのだから。


 弾丸は最初と同様にレイピアと接触し、難なく切り裂かれるように思えた。フィリップにとっては当たり前だった。脳のリソースを使わずとも身体が勝手に動く。弾丸切ることなど些細な出来事だ。

 

「——まさか。そんなにお前を見くびってねぇよ」


 リーダーは聞こえないような声量でボソッと呟いた。フィリップは、目に映る弾丸に合わせて、レイピアを横に動かす。

 彼は弾丸を切り裂いた後を考えていた。再び消えているシューターの位置とその状況を。こちらに近づいている寡黙の存在を。


 フィリップの中で、弾丸が切り裂かれることは確定事項だった。それがまずかったのだ。どこかで、彼らを見くびっていた。


 ——弾丸は刃と当たる前に消失した。

 

 消えたはずの弾丸は、レイピアをすり抜けるかのように再び現れた。フィリップと弾丸の間には、もう何もない。


 弾丸はフィリップの右鎖骨を砕いた。


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