Angel 08 変質
恐怖? 一体何に?
中から聞こえる声には殺意は感じない。ただ、淡々としているだけだ。それだというのに怯えている。
「なに、そんなに警戒するものでもない」
中からは、相も変わらず落ち着いた声が聞こえてくる。直人は震える右腕を抑えmagicaを使う。強化された触覚で扉の冷たさがやけに伝わってくる。直人は右腕に力を入れ、扉をおもむろに開いた。
中に居たのはウォータース1人だけ。幸運——とも言えなくはないが、あまりにも不用心が過ぎる。余計に拭えない不安感が加速していく一方だ。
ウォータース1人であれば問題なく仕事を完遂できるだろう。本当にそうなのであれば。
「ふむ、やはりキミたちか……セラフィムにフォルトゥーナ。いや、美月と直人と呼んだ方が好ましいかな」
「美月だけじゃなくフォルトゥーナ《俺》まで知っているのか」
直人は銃口をウォータースに向ける。その銃に怯えることも無く、ウォータースは真顔で話を進めていく。
「あぁ知っているとも。情報の盗み見など造作もないことだ。君たちが彼女と組んでいることも勿論分かっている。なぁコーマン、今も私の言葉を聞いているんだろう?」
『直人くん、構わない。彼に聞こえるようスピーカーにしてくれ』
直人はインカムを取り、近くの棚に載せる。
『やぁ久し振りだね、ウォータース』
「君が姿をくらまして以来だね。まさかアドナイを敵に回すほど、愚かだとは思わなかった。君ならもっと良い成果、身分、名誉が手に入ったろうに」
『ふふふ、思ったよりも悪くないよ。自分の信念を持てるというのは楽しい事さ』
「信念か……私も今更その言葉を思い出したよ。あまりに
ウォータースは直人たちに目をやる。挑発的に、誘うように。
「俺たちが来ると分かっている様子だったが、何故だ」
「来ると分かった? ははっ、それは違うな。君たちはここに来ると決まっていたんだよ。私がそうさせただけだ」
ウォータースは少し呆れた顔をする。そんな事にも気づけていないのか、そう言いたげだ。
「君たちに自由意思はなかった。まず何故アルゴーに侵入できたと思う? 私が荷物検査を通らせたからだ。何故この部屋に私がいると分かったと思う? ……話し出すとキリがないが、私がそうさせたからだ。イレギュラーもあったが概ね順調。予定通りだ」
『——イレギュラーは君がこれから死ぬ予定じゃなかったこと、直人君たちが適性体を確保しなかったこと。そうだね?』
「さすがだね。ご明察、その通りだ。まさかこんな風に銃口を向けられる予定はなかった。本来なら適正体を回収し、感動の対面……といったところだったんだがね。まぁ予備で仕込んでいたBプランが上手くいっているから良しとしよう」
ウォータースはあっけらかんとした様子で笑っていた。
『そんなことはアドナイに対する裏切り行為に近しいだろう』
コーマンの声ではっとした。こいつは命乞いで言っているわけではない。俺たちに適正体を回収させようとしていた。何のために? その疑問は考えても解消されそうにない。
「あぁ。だから言ったろう? 私も
『——コンフェッサーという皇子の派閥に属しながらも、君は皇帝に忠実だった。その皇帝に歯向かうというならば、寝返って
「皇子は確かに魅力的だ。彼についていけばアドナイは転覆するだろうさ。しかし彼は私の手に余る。使おうとしていたら使われていた・・・・・・間違いなくそうなる」
『皇子派でなければ皇帝にも付かない。正真正銘、
「そうだ。私が守りたいものを守るためには……それしかない」
現皇帝を裏切り、別政権の皇子派とも組まない。テロリストや反乱組織といった第三勢力に加わり、守りたいものを守る。ウォータースに何の変化が起きたのかは定かでは無いが、直人の前に立つ彼からは敵意は感じなかった。
いや、そうだった。はじめから彼からは敵意は感じられない。
「——ちょっといいかしら。……久しぶりね、坊や」
セラは唐突にウォータースに向けて哀れみを向ける。それは、彼女が普段人前には見せない感情だった。
「坊やか。当時から成人はしていたんだがな。私の事まで覚えているとは天使の記憶力は凄まじいな。ただの研究員だったんだがね」
「——あなたは変わってしまったのね。あの頃はもっとmagica《力》に怯えて、誰か《自分》を犠牲にすることも恐怖していたじゃない。今は己を過信しすぎている。そこまで今の地位自体に、自信が持てる力があるのね。慎重さと臆病さが取り柄だったのに」
セラは何かに気付いたようで、優しい表情を向けている。
「そうだな。私は変われたよ。生き残るために、現実的で真っ当な生き方は捨てられた。助かるのであれば従順に泥水だって
ウォータースは直人の方を向き尋ねる。まるで、殺せば“後悔するぞ”とでも言いたげだ。それほどの自信が伝わってくる。
だが、現状ウォータースを殺さないことよりも、殺した方がリスクが低くリターンが高い。子どもでもわかる事だ。
何故なら、ウォータースのアドナイを裏切るという言葉が、真実である保証はないからだ。よく知らない男を信じられるほど甘ったれな考えは無い。
「あぁ殺すさ……仕事なんでな。それにそう易々と仲間に加えたりはしない。警戒心ってのを知ってるか?」
「——残念だよ。私が捨て去った思考が私を苦しめるのか……私を引き抜いていた方が、アドナイと戦う上で楽だと思うのだがね。研究成果に機密情報……これらは君らにとって価値があるはずだ」
『答えは変わらないよ、ウォータース。君はここでおしまいだ。私たちも君にかける余裕はないんだ』
直人は引き金に指をかけ、頭部に狙いを定める。セラの発言が気になるが、今は仕事が先だ。
「そうか……私にもまだ見たい景色と未来があったんだがな――リリィ……ちゃんと勉強できるか? 飯は炊けるか? そうそう、母さんに花を供えるのを忘れるなよ。母さんは優しかったが、そういう事には口うるさかったからな。ごめんな……私はお前に何もしてやれなかった。護る為とはいえ深く傷つけただろう……だが頭の悪い私には、これしかできなかった」
その小さな声は直人に届くことはなかった。
ウォータースは目に涙を浮かべながら声が霞んでいく。暫くして、顔を拭うと先程と同じく不敵な笑みを浮かべた。
「仕方ない、無様に殺されると言うのは気に食わん。悪いが抵抗はさせてもらうよ。簡単に勝てると思わない事だ」
ウォータースは左目を桜色に光らせる。瞳に浮き出た紋様は次第に体を包み、指の先まで幾何学模様で染まらせる。
「変質のmagica……彼、変質の適正は無いみたいよ。身に余るmagicaを無理やり使ったらどうなるか、研究者の自分が一番分かっているでしょうに」
「あぁ分かっているとも! だがそれでも死ねない理由が、私が変わってしまっても未来が見たい理由がある!」
セラはウォータースから目を逸らし、部屋の壁に寄りかかる。彼女は哀愁を覚えたのだ。天使としての身体、
変質のmagicaを使ったウォータースは異様だった。四肢が膨らみ、音を出しながら皮膚が千切れていく。その中からは黒い物体が姿を現した。人ならざる者、人の領域から踏み外したまま、彼の意識は黒く落ちていく。
本来のウォータースはmagicaを持っていない。先天性であるこの力を後天的に無理やりに得たのだ。それ自体が彼の研究であり、その研究を以って、彼は身を滅ぼした。
「身に余る力は自らを滅ぼすもの。彼、落ちたわね。こちら側に来てしまったら2度と戻れない。ねぇ直人——殺さないと貴方死ぬわよ。あれはそういうモノ」
「あぁ分かってる。元からそのつもりだ!」
人から変わり果て、ミュータントの姿になったウォータースに向かって走り出す。
「
***
リーダーは背後から昇ってくる警備兵を撃ち抜きながら駆け抜けていく。着実に数を減らしてはいるが、警備兵が無くなる気配はなかった。
「クソ! 弾丸がそろそろ尽きやがる……」
「だから前々から拳銃なんてやめて特殊銃にしろって言ってたでしょう!?」
参謀がリーダーの拳銃を指さし怒鳴る。
「特殊銃は弾丸をmagicaにしてるせいか、俺のmagicaがうまく使えねぇんだよ!」
「あんたのmagicaはクソ雑魚でしょうよ! 使えなくても変わらないですぅ! もういっそ使うのやめてしまえばいいんですよ!」
「あっ! 言ったな参謀! お前これ終わったらぜってぇぼこす!」
リーダーは参謀にめがけて中指を立てる。さながら子どもの喧嘩の様だった。
「事実ですぅ! リーダーのざーこ!」
「あんたら作戦中でしょうよ!」
そこでは新入りのエーミールが、リーダーたちを叱るという特殊な状況が出来上がっていた。エーミールは特殊銃を使って応戦している。特殊銃は、magicaが刻印されている銃の事であり、その利点は玉切れが無い事だ。
刻印されているmagicaは、“発射”と“生成”だけであり、magicaのエネルギー弾をとばす代物になっている。エネルギー弾のため殺傷能力は低いが、数発当てれば絶命する。今はこちらの特殊銃の方が主流だ。
「いい加減離して! 私の話も聞いてってば!」
「あぁもう! こっちもっすか! あんたも少し黙ってください。あんたも流れ弾でしぬっすよ!」
適性体の少女は、今度はエーミールに担がれながら藻掻いている。彼女の言葉に耳をかす人物はいなかった。この状況だ、無理もないだろう。目の前のことでいっぱいいっぱい……なのだろう。多分。
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