Angel 04 カーディナル

 翌日、特にやることもない直人と美月はただ部屋の中でダラダラとしていた。朝起きてからずっと付けっぱなしのテレビは、他愛ないお昼の情報番組を映している。


「船に乗るまでまだ時間あるんだよね?」

「あぁ、27区が本土から離れているせいってのもあるが、こっちに船が周ってくるまでは時間がある。今はまだ……5区くらいみたいだな」


 直人の解答を聴くなり、美月は明るい表情を見せる。


「ならさ! 久し振りに買い物行こ!」


 美月は直人の眼前まで迫り、にへらと笑って見せた。彼女には1人で買い物に行くことすら許されていない。当たり前のような日常が、生活が認められていない。


 良くて月に数度、直人と共に行動できる時にのみ美月は仮初の自由を手にすることが出来ていた。セラがいるためにアドナイに狙われている彼女にとって、直人が家にいるこの時間は無駄にできない。

 

「——そうだな……たまには、な」


 少し思うところがありながらも、直人は近くの駐車場に止めてある自動艇を取りに行く。運転席にある起動スイッチを押すと、自動艇は静かに数センチほど浮き上がり滑るようにして動き出した。

 アンチグラビティーにより車体が浮き、滑走する車両である自動艇は、自動走行技術も搭載されており運転に免許は必要としない。

 

 magicaのアンチグラビティーを複製・付与することに成功してからは、自動車は使われなくなった。自動艇は発明されてからこれといった事故も無く振動や騒音も殆ど無い。わざわざ自動車に乗るのは物好きだけだろう。


「あんま人目に付かないように、派手な事は避けてくれよ」

「でも27区に来てから捕まったことも、声かけられた事も無いじゃん」


 助手席に乗る美月は、手元の携帯を操作しながら答える。既に買うものを見定めているようだ。直人はネットショッピングで良いと思っているが、どうやらダメらしい。


「それは当たり前だな」

「――なんで?」

「軍や国の末端が、美月の事を知らないんだよ。実際俺が働いていた時にも情報は全く降りてきてなかった」

「そんなことあるの? 指名手配みたいにみんなが知ってた方が効率良さそうだけど」


 車体はゆっくりと右に曲がると、赤く光っている信号機の前で停止した。そのうち信号機もいらなくなるらしい。


「上層部が末端どころか同僚ですら信用しきっていないからな。実際スパイだらけだ。コーマン先生もアドナイ最大の研究機関、それも元聖席エリート。それが今や国家の敵だ。どこに反乱分子がいてもおかしくは無い。そんな奴らに美月のことがバレたらどうなる?」

「うーん……」

「天使が1人いないのがバレるだけで、抑止力としての機能が低下する。今のアドナイは皇帝・天使・軍の圧力で国民を押さえつけているだからな」

「そっか……待って待って! じゃあ私がセラフィムだって言いふらすのは? それが一番の痛手でしょ!? 私って天才……」


 自動艇が動くのと同時に、直人はため息をついた。


「自分に浸っているところ申し訳ないが、そんなことしたら数え切れないほどの組織から狙われるし、アドナイだってすぐにその情報を解禁するだろ。危険すぎる」

「なら反アドナイ団体が全部協力してやっつけちゃえば良いじゃん。結構な戦力になる気がするけど」


 キューヴは数人の小規模集団。だが、元国家が中核を担っている団体も存在し、その構成人数は3桁に及ぶ。確かに通常であれば戦力としては申し分ないだろう。


「無理だな。アドナイが一枚岩じゃないとしてもイスケールの存在が、能力が大きすぎる。俺たちが天使の過半数を保有したりでもしない限りは厳しいはずだ」

「じゃあ無理じゃん! どうやんのさ」


 美月が顔を上げ、しかめっ面をする。


「——だから最初からそう言っている。美月を隠しながら少しずつ動くしかないんだよ」

 

   ***


 暫くしてショッピングモールに着いた。

 3階建てのショッピングモールは人でごった返しており、かなりの盛況ぶりを見せている。週末と言う事もあり、学生たちがフードコートで時間を持て余しているようだ。


「まず洋服見に行こ!」

「おう」


 美月は自然と直人の手を繋ぎエスカレーターに引っ張っていく。フードコートや食料品店が並ぶ1階と違い、2階では服や靴、時計などを扱っている店舗が多い。階層を上がると客層も変わる。


「直人ってずっとスーツにネクタイだけど動きにくくないの?」

「あぁ、これか。特注品だから割と問題ない。それに俺はずっと仕事中みたいなものだから、正装なのは普通だ」


 スーツのポケットを上から触ると、しっかりとした固い感触がする。ずっと昔から使っている愛銃だ。いまでは製造もされておらず、そもそも今時実弾を使っている人間の方が少ないだろう。magicaを組み込んだエネルギー弾を扱う特殊銃が主流だ。


 特殊銃にはリロードも無ければ反動だって少ない。唯一の欠点は己のmagicaに干渉し、magicaが使えなくなる場合があると言うだけだ。magicaはすべての人間が持っているものでは無い。そのため、この欠点は欠点成りえないことも多い。


「へぇー、そのスーツ特注だったんだ。高いんじゃない? そういうの」

「先生がどこからか持ってくる代物だから、細かいところまでは知らないが……確か20万は超えていたような気がするな」

「うぇっ!? ——何だろう……いつも同じ服装の直人に何かしら買ってあげようと思ってたけど、急にその気が失せた。ずっとその格好で仕事人間のまま死んでいくんだね。可哀想な人」


 美月は分かりやすく項垂れ、俺を横目に見て店内に入って行く。


「なんだそれ」

「いやだって20って! 高いじゃん!」

「それはまぁ、プロテクターとかも入っているしな」

「本職は怖いなぁ……」


 美月は軽く引いていた。


「まぁ直人の事はいいや。今はめいいっぱい楽しまないと」


 美月はすぐに目線を戻し、服を見て楽しそうにしているが、値札を見ると腰が引けている。先程から何度かそれを繰り返していた。


「私はこれを買うのでさえ躊躇してるんだからね」


 白い値札には『¥7500』と書いてあった。

 どうやら財布の中は寂しいらしい。バイトも出来ず、キューヴの少ない資金からでる雀の涙ほどの額のみ。仕方の無い事ではある。


「俺は自分の金じゃないからな。——そうだな、1着くらい買ってやるよ」

「えっ、本当!?」

「社会人舐めんな。お前より一応年上だぞ。妹分の服くらい買ってやるよ」

「やった! なら覚悟したほうがいいかもね」


 美月がうきうきでショッピングに戻ると、直人はズボンのポケットから振動を感じ取った。携帯に着信が来たのだろう。

 見てみるとコーマンからの着信だった。


「お手柔らかに頼むぞ。ちょっと俺は先生と電話してくるから、決まったら連絡くれ」

「——わかった」


 美月は何故か若干不服そうにしていたが、また直ぐに服選びに戻っていく。


「せっかくのデートかと思ったのに……バカ」


 この声は直人に届くことはなかった。


 俺は上からでも店内が見える様に、3階の通路に立ち携帯を取り出す。

 

「先生、なんですか」

『ショッピングデート中に申し訳ない』

「デートじゃないですよ——それに何で俺たちの行動が分かるんですか」

『常時人工衛星をハッキングしているんだよ。ショッピングモールにいることはお見通しさ』

「冗談はやめてください」

『ははは。本当は君たちにGPSを仕込んでいるんだが』

「冗談はやめてください」

『ははは。両方とも本当なんだがな。まぁ本題に移るが、そちらへ君の客人が来ている』


 気になるワードが聞こえたが、今はとりあえず置いておいた。


「客人?」

『詳しくは本人から聞いてくれ』


 電話が切れると、急に背後から気配を感じた。

 先程まで感じなかった威圧感。一般人とは何かが根本的に、生物としての質が違う。身体が強ばり、心拍数が上がっていく。


「ミスター、どうも初めまして」


 声の主は若い男だろうか、直人をミスターと呼ぶ声からは落ち着きを感じる。直人にとっては聞いた事の無いものだった。このような人物は知らない。


「こちらは向かずにそのまま聞いてください。あまり姿は見られたくありません。私は聖派正教会、枢機卿の……カーディナルと名乗っておきましょう」

「聖派正教会……俺なんかに何の用ですか」


 何世紀も前に正教会から派生した聖派正教会。本流とは違い、新たな主を選んだ派閥。

 信仰対象が変質したのだ、新たな宗教と言っても過言では無い。信徒が多いわけでは無いため、知名度の割には実態が知られていない。都市伝説界隈で、常に名前が上がるほどの集団だ。


「ミスター。私たちはお迎えに参りました」

「迎え……?」

「ええ。様を」

「セラフィム……だと! 一体どうやってそれを知った……!」


 どうやってセラフィムを見つけ出したのか。アドナイならまだしも、聖派正教会はセラが美月に宿っていることすら知らないはずだ。

 違う、何故だ! 何故ただの宗教団体がここまで理解している!


「コーマンさんの情報錯乱の賜物でしょう。探し出すのは大変でした。無理に連れ去ろうとはしません。私程度の枢機卿1人で、あなたを止められるとは思ってもおりません。今回はお話に来ただけです」

「これはまぁ……随分遠回しな脅迫ですね」


 枢機卿1人では直人には勝てない。正しくは複数人でかかれば容易い、と圧力を掛けに来たに等しい。実際この威圧感、悪い予感がしてくる。


「それはどうでしょうか。ただ……必ず帰るべき場所に、私たちの所にお連れ致します」

「帰るべき場所ってなんですか! ……貴方たちは一体」

「私の口からは申し上げることは叶いません。主は古き友を待っていると、それだけ申しておりました。それでは失礼いたします。あなたに主の加護があらんことを。——“空の狭間。理の変針へんしん。扉の鍵は此処に。あいよ、信徒に奇跡を。真装しんそう・ラウムシュリュッセル”」


 なにかの詠唱だろうか、唱えた直後、直人の背後から急に気配が消えた。

 頭がパンクしそうなのを抑え、日常を取り戻すように店内に目を向けると、ちょうど美月が直人を探しているようだった。


「ったく次から次へと面倒ごとが……」


 聖派正教会が主としているのは誰か。何故セラを探していたのか。アドナイと繋がっているのだろうか。

 何故コーマンが電話をかけてきたのだろうか……もしくは、どこからかコーマンの連絡先が漏れたのだろうか?


「当の本人はあんなに呑気なのにな……」


 携帯に目をやると、怒っているような顔文字が映っていた。早く来いということなのだろう。エスカレーターで下に向かい、美月と合流する。


「で、なんだったの? 仕事の話?」

「——そんなもんだ。悪かったな、離れて」

「いいよ~別に。――でもまぁ? その、手をつなぐ位で勘弁してあげなくもないけど」


 美月は下のほうで右手を差し出していた。顔はそっぽを向いている。

 少し躊躇いながら、手のひらを差し出す。手汗とか大丈夫だろうか。


「——確かに、はぐれたら困るもんな」

「バカ」


 少し握る力が強くなったように感じた。


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