Angel 02 プロメテウス
「リーダー、何すか~この荷物」
新人とは思えない文句を垂れるエーミールは、書類が大量に入ったリュックサックを2個、前後に背負っている。額からは汗が滲み、息を切らしていた。
アドナイ本国から受けたアジトの爆破から数日後、一行は生い茂った森の中を歩いていた。
森の中は蒸し暑く、地面には奇妙な虫が見受けられる。森と言うよりもジャングルと表現した方が適切かもしれない。ここに好んで来る人間は少ないだろう。
「仕方ねぇだろ人手不足なんだよ。次のアジトに着くまでの辛抱だ」
「それは分かるっすけど……こんなご時世に書類をアナログ保存って、いい加減デジタル化しましょうよ~」
「こんなご時世だからです。デジタル化なんてしたらハックされてデータが
黒髪の青年が眼鏡をくいっとさせながら忠告をする。少し長い前髪が鬱陶しそうだ。こちらも、ひょろっとした体格とは不釣り合いの大荷物である。
「参謀さんだって嫌っしょ、肉体労働」
「超〜嫌です。なんならこれ全部捨てたいくらいです。そうだリーダー、捨てて良いですか?」
眼鏡をかけた黒髪の青年、通称参謀が真面目な表情で馬鹿げたことをリーダーに尋ねる。
「駄目に決まってんだろ。参謀なんだから本能で動くな馬鹿たれが」
「知ってますかリーダー。人間は理性で考えて、感情で動く生き物らしいですよ。ほいっと」
参謀は鞄をリーダーに向けて放り投げた。鞄は綺麗な放物線を描き、リーダーの胸元へどさっと着弾する。
「おっと……本当に投げる奴がいるか! ったく。ンな事より見えてきたぞ」
「ん? 何も無いっすよ。木しか無いじゃないですか」
エーミールは周りをキョロキョロと探すが、それらしい建造物は見当たらない。強いて言うなら、周りと比べて一回り
「あほ。アジトが見えてどうするよ」
「いやだって見えてきたって、リーダーが……ねぇ……えぇ……」
エーミールはリーダーの言葉に困惑していた。
リーダーはおもむろに茂みをかき分けるとある1点を力強く踏み込む。magicaを発現させ右目が蒼く光ると、太い木の幹が横に動き下への階段が現れた。
「ほら行くぞ」
「おお……ハイテク! なんだ、こういうのもあるんっすね! 秘密結社感でてきた! ワクワクするっす!」
エーミールは目を輝かせて歩みを進める。
「実はこれもアナログなんですよね。
「えぇ……」
中は前のアジトと同様に手狭だった。こちらも同じように常に動く換気扇がガタガタとうるさく思える。メンテナンスとか大丈夫なのだろうか――実の所大丈夫ではないのだが、設備に投資している余裕はない。
「じゃあ真面目な話をしよう。俺たちが用意したアジトはこれが最後だ。ギッシュたちの情報で全滅は免れたが、残ったメンツが俺、参謀、エーミール、シューター、寡黙、エスパーだけ。6人しかいない。正直なところ終わってやがる。詰みだ詰み。まともな反乱とかやってられっか」
「反乱自体まともじゃないんすけど? で、その~……シューターとエスパーって人たち見たことが無いんすけど。寡黙さんはまぁ一応、視界には入ってるっすけど」
エーミールは後に目をやる。そこには口元を服で隠した巨漢が立っている。初対面の時から一度も声を聴いたことは無い。正直不気味だ。
寡黙は首を縦に振り「どうも」とでも言いたげだ。相変わらずこの集団はキャラが濃すぎる。
「シューターとエスパーは
「了解っす。でも船内にはどうやって?」
「
参謀は書類を鞄からだし、整理をする手をやめずに呟く。
「
リーダーは昔を思い出すように、どこか遠くを見た。
「短い期間だったがこの組織に居た人だ。あの人は俺なんかよりもずっとリーダーに相応しい人だったよ。magicaも強い、目標も具体的で芯が通っている。まぁその目的が達成された瞬間いなくなっちまったけどな。残っていればマーダーが2代目リーダーだったろ」
「その目的っていうのは?」
「まぁ簡単に言うと適性体の1人を解放した。それも仮体の天使をな」
エーミールは仮体天使の解放と聞いて、目を輝かせた。
「それを聞くと安心しますね。一応はちゃんと反乱できてるんすね! いやぁ〜マーダーさん会ってみたいっす」
エーミールの軽い発言にリーダーは睨みを利かせると、荒々しく懐に手を突っ込んだ。先ほどまでの軽口には反応しなかったと言うのに、急に銃を取り出したのだ。
「新入り。いいこと教えてやる。この話はあまり茶化すな」
エーミールは向けられた銃口に冷や汗をかきながら、内心は『沸点がわからない変人』という印象を抱いていた。実際、感情の起伏がイカれている。
ただ、へまをすれば殺されることは確実そうだ。
「こりゃ〜……やばい組織っすね。というか人? 人がやばいっすわ。うん」
***
アドナイ本国、研究施設。
無機質な廊下には、火の海に警報音と騒々しい風景が広がっている。所々に敵味方の死体が転がっていて、精神衛生上良くはない。
「マーダー、見つけた! 奥の実験室にいる!」
リーダー……当時はイディと呼ばれていたが、彼は声を張り上げマーダーを呼んだ。
「——助かる! 待ってろよ……」
マーダーは
銃弾の雨が降っているのにも関わらず、走り抜けるマーダーに当たる気配はまるでない。全て見てから避けているように見える。
実際その通りだが。
彼が“人殺し”たる所以はそこにある。人の境地でありながら、生物から逸脱した異能。相手が人間であれば彼に攻撃は当たらず、一方的に弾丸によって撃ち抜かれる。
マーダーは敵を拳銃と洗練された体術で
相手の動きに合わせて引き金を引く。相手の回避手段すら見えてから対処できるため、問題などはない。
相手からしたら、未来を視ているか思考を読まれていると錯覚するだろう。移動した先に
実験室に入ったわずか1分後、無傷で女の子を抱えたマーダーが出てきた。
女の子は情報にあった適性体だ。だが、女の子には意識がない。
「どうだった?」
「……覚悟はしていたが遅かったみたいだ。もう打ち込まれてる。こいつが目を覚ました時、もう俺の知ってる奴じゃないかも知れない——イディ。言った通り俺はここまでだ」
「せめて一緒に離脱を」
マーダーは横に首を振る。
「俺はこいつを連れても離脱できる。それにひとつに固まるより、別れた方が狙いが定まらなくて効率的だ。そういうわけで、俺は現地解散だな」
「イディもう持たない! 早く離脱すっぞ!」
遠くからギッシュが呼んでいる。
いままで作戦の主軸だった当時のリーダーは戦死。司令部も麻痺状態……正直心もとない。
いち早く合流して逃げる必要がある。施設の壊滅と適性体の救出。ついでにmagica資料の削除という目的も達成できた。
今すぐにでも敵の援軍がきてもおかしくはない。もしこれ以上戦闘が伸びるのであれば、間違いなく全滅だ。
「それじゃあそういう訳だ。何かと大変だとは思うが頑張れよリーダー」
「マーダー!」
「俺も当分の目的はお前らと一緒だ。またいつか会えるだろうさ」
そう言うとマーダーは女の子を抱えたまま、窓から外に勢いよく飛び出した。
「ったく、ここ何階だと思ってるんだよ……」
窓から下を見ると、器用に壁をつたいながら降りていく姿が見えた。
「イディ早く!」
仲間たちが呼んでいる。感傷に浸る時間はない。自分の目標がまた1人、目の前から居なくなった。今日で2人目だ。
「マーダー。俺、いつかあんたを超えてやるよ。その時はまた……」
――いつか
いつになるのだろうか。自分で発した言葉に苦笑いしながら、リーダーは仲間の元に走り出した。
***
新しいアジトに着いた夜、リーダーは眠れずにいた。周囲警戒という大義名分で、ぼーっと夜空を見上げる。明かりの少ないここでは、星が輝いて見えた。
「なに
「——なんだ参謀か」
「飲みます?」
参謀はプラスチックカップに入った白湯を渡してきた。湯気が星に向かって昇っていく。
「なんでお湯なんだ……」
「経費削減ですけど? お茶とか高くつくじゃないですか」
「経費削減なら水を沸かすためのエネルギー勿体ねぇだろ。水で良いだろ水で」
「……経費削減って、リーダーは何言ってるんですか?」
参謀は
「お前なぁ……」
「――お湯が好きなんですよ! 何か悪いですか? え!? 拳銃くらい撃てますよ!? あなたの頭に撃ちこみますか!? いいですね上等です!」
「いや別に……好きでも良いと思います」
軽く声を荒げる参謀に体ごと引いてしまう。
大声を出してもここは深い森の中。誰か人がいるわけでもなく、人里離れたここでは居場所がばれることも無い。
「リーダーはリーダーで良いと思いますよ」
「——何だ急に」
「確かに初代も、マーダーも優秀でしたけど、あなたはあなたで良いってことです。人徳も、強いmagicaも、回る頭もお金もありませんけど」
「お前3言余計だな……」
「よく言われます。あと4言ですよ? 数くらいちゃんと数えなきゃ。あとで小学生用のドリルあげます。いちたすいちは? はいそうですね。に~ですよ」
参謀はすました顔で煽り散らかしている。
「ったくお前の頭の中ってどうなってんだ?」
2人はそろって空を見上げる。静かな夜はあまりに現実と
「まぁ、励まそうとしてるのは分かる。あんがとな」
「いえいえ。私は貴方に付いていくまでですから」
こっぱずかしい空気が流れる。この場に耐え切れなくなったリーダーは口を開いた。
「マーダーは今どうなってんだろうな」
「——やっぱり気になりますか?」
「そりゃあな。適性体を奪取しているんだ。アドナイから追われてるなら、命の保証はできない」
「彼なら大丈夫ですよ」
「やけに自信ありげだな?」
「えぇ。多分その遅くないうちに会えますよ。彼と私たちの目的は同じなんですから。それに、あんな化け物じみた人がそうそう死ぬわけ無いです」
「かもな」
白湯が冷めてしまった頃、2人は埃っぽいアジトに戻っていった。
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