第2話 黒猫
学院に入学して一週間。私は下位貴族の令嬢達のグループで地味に学院生活を送っている。制服、学食、寮と、衣食住に問題はない。
乙女ゲームでメイン攻略対象者だったのは、この国の第二王子であるヒヤシンス殿下だ。
殿下は三年生で、入学式では在校生代表として挨拶をしたらしい。私はそれどころではなかったので聞いていない。
殿下はこの一週間、取り巻きを使ってピンク色の髪の新入生を捜している。
「ヒヤシンス殿下はまだ例の女子生徒を見つけていないようね」
「一年生にはいないわよね。ピンク色の髪なんて見たことないもの」
「鬘や染め粉で髪の色を変えてるのかも」
「殿下の婚約者のローズ様に睨まれるのを恐れて? ありえる」
「一週間捜して見つからないってことは、もうローズ様に退学させられてたりして」
「…どうかな」
緩いウェーブの薄い茶色の髪は先週末に切った。今の長さは肩の少し上だ。
◇◇◇
前世の記憶は、急速に薄れた。
起きた時は覚えていたはずの夢が思い出せないように、入学式が始まった時にはもう、前世の自分の名前も家族の顔も思い出せなかった。
一時間前は確かに存在していた記憶を一生懸命手繰り寄せようとしているうちに、入学式は終わっていた。
結果として記憶の大部分は繋ぎ止めることができず、残ったのは一般的な知識と乙女ゲームに関する記憶だけだった。
信じ難いことだが、ここは乙女ゲームと同じ世界だ。私自身もそうだし、ゲームに出てきた人物が実在している。
この一週間、私は現状把握に努めた。
まず、聖魔法のレベル。
聖魔法レベルが高いと攻略対象者からの好感度が上がりやすく、イベントでも有利だ。
乙女ゲームでは、ストーリー進行とは別に、ミニゲームも楽しめた。
そのミニゲームでもヒロインの聖魔法レベルが上がるのだが(パズルや太鼓でなぜ聖魔法レベルが上がるのか突っ込んではいけない)、私はストーリーは進めずにミニゲームばかりしていたので、無駄に聖魔法レベルが高かった。
そして、前世を思い出したことで覚醒したのか、入学前は初歩の聖魔法しか使えなかったのに、現在は乙女ゲームと同じレベルまで上がっている。
次に、入学式の日に現れたゲーム画面─便宜上『乙ゲーシステム』と呼ぶが、このシステムの便利機能が使えた。聖魔法以外の魔法が使えるようなものだ。すごい。
便利機能は主に次の三つ。
『アイテムボックス』
亜空間収納ができる空間魔法や魔道具同様に、乙ゲーシステムに物が収納できること。
乙女ゲームで私が持っていたアイテムやお金が入っていた。
『鑑定』
鑑定魔法のように、乙ゲーシステムの画面に写るものやアイテムボックスに収納したアイテムについて、名前や詳細な説明を表示させることができること。
『転移』
乙女ゲームで行きたい場所を一覧又は地図から選択できたように、乙ゲーシステムに表示される場所に転移できること。
学院内の各場所の他、現世で行ったことのある場所も表示された。
◇◇◇
乙女ゲームでの私の楽しみは、ミニゲームの他にもう一つ、黒猫のクロだった。
学院の広い庭の外れに東屋があって、乙女ゲームではそこに一匹の黒猫が住み着いていた。
名前はなかった。私は勝手にクロと呼んで、餌をあげたり猫じゃらしで遊んだりしていた。
黒猫はストーリーともレベル上げとも関係がなく、可愛いから遊んでいただけなのだが、ひょっとしたらヒヤシンス殿下ルートの先や、別の攻略対象者ルートではストーリーに関わりがあったのかもしれない。
もしそうなら避けた方が安全だろうが、私はクロに会いたくて毎日東屋に通っている。
東屋は遠いが、転移を使っているところを人に見られたくないので移動は徒歩だ。
一週間始業前や放課後など時間を変えて通ってもクロの姿が見えず諦めかけていたら、今日、ようやく黒猫を発見した。
(…思ってたのと違う)
二次元のクロは、愛くるしい姿だった。
今目の前にいるのは、人間サイズのデブ猫だ。
…猫は不細工でもデブでも可愛いと思っていたのだが。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます