第20話        母親の苦悩

「駐車場の屋上に鞄が残されていたそうです」

「ショッピングモールの駐車場の屋上に」

「警察の方から返して頂いて、中を確認していた時に見つけました」

具体的なショッピングモールの名称とともに母親が説明する

「どこで書いたのか分かりませんが、きっと最後に書いたんじゃないかと思うんです」

そう言いながら差し出されたノートを手に取り、愛おしそうに中に目を通す

「あの子の考えていたこと、感じていたことがいっぱい詰まっているんですよね・・・」

「あの子が産まれた時、泣かなかったんです」

「泣かないってことは呼吸が出来ていないってことですよね・・・?」

「すぐに医師の方が処置してくれました」

「けれど、なかなか泣かなかったんです」

「今思えば、産まれて来たくなかったのかな・・って思うんです」

「私も医師の方々も必死でした」

「産まれてきたこの子を、この命を生かしたいって」

「でもそれは自分たちのエゴと使命感なだけで」

「あの子にとってはとんでもない苦しみだったのかなって・・・」

「私は産まれたくない、イヤだ、産まれたくないよ!って意思表示だったのかなって・・・」

ノートの中を見ながら女性が自分の思いをとつとつと語っている

確かに、文面の中になぜ自分を作ったのか

なぜ自分を産もうと思ったのか・・・など

自分が作られたこと、産まれてきたことに対する疑問や苦しみが書かれていた

僕が女の子と色々な会話を重ねていった中で

女性が語ったことがあながち間違いじゃないことに僕は気づいていた

大体の人間が母親の胎内にいた時や

産まれて来た時の記憶がないはずだ

母親がとんでもない激痛に耐えなくてはいけないほど

狭い産道を通る時の痛みや苦しみを経験として記憶していない

その窮屈さや苦しみを感じていたのかさえ分からない

痛みや苦しみが全く分からないその時点で

命を終わらせてしまえば何も感じないままに死を迎えることが出来る

もっと前を見れば卵子と精子が受精しなければ

人間として存在することはない

人間として産まれて来る側としては自分の未来に何が起こるのかなんて

全く何も分からない

産まれてきて成長してきた人間にしか大体の未来は分からない

大体の未来・・・・

社会の歯車となって社会を回し続けて死んでいく

それは、どの人間にも当てはまるごくごく一般的な未来だ

それを女の子は見抜いていたのかもしれない

死を迎えるまでのさまざまな痛みや苦しみを

胎児だった時点で気づいていたのかもしれない

女の子は胎児の時点が一番心地よかったのだろう

暖かい母親の中でふわふわと羊水に浮かび

痛みや苦しみを感じないまま臍の緒を通して

豊富な栄養分をもらい、母親の母性に包まれて存在していた時間

それが女の子にとって最上の

人として存在していた最も幸せな時間だったのかもしれない

「そうですね・・・・・お母様の見解は間違っていないのかもしれません」

「でも、その見解すべてが正しいとも言い切れません」

「ただ、事実として言えるのは」

「娘さん自身が考えて、選んで決断を下した結果だということです」

「きちんと自分の人生と向き合い、本当に自分が望んでいる事を」

「自分自身のために選択したということです」

「それは娘さん自身の人生を」

「自分自身できちんと全うしたという事ではないでしょうか」

ノートの中をパラパラと見ながら僕の話を聞いていた女性が

手を止めてノートから視線を外し、少し前を見ながらじっと黙り込む

しばらくその体勢のまま、何かを考えているようだった

女性自身の中で何かの結論が出たのだろう

「そうですよね・・・あの子自身の人生ですものね・・・」

「でも、もっと生きて欲しかった」

「そう思ってしまう事は、私のエゴでしかないんでしょうね・・・」

「あの子はあの子なりの人生を懸命に生きた・・・」

「あの子はあの子自身で選んで人生を終えた・・・」

「先生の仰ることがすべてだと思います」

そう言い終えた後、真っ直ぐに僕の顔を見る

その表情に迷いはなかった

それは、女の子を1人の人間として尊重したことの表れだった

「あの子が亡くなってからずっと自分を責めていました」

「それは今も変わりません。これからもずっと多分そうでしょう」

「もっとあの子に何かしてあげられたはずだという後悔もあります」

「でも、頭の片隅でほんの少しだけ」

「重荷から解放されたという気持ちもあるんです・・・・・」

「張りつめていた糸がほんの少しだけ緩んだような・・・」

「娘と自分のために頑張ってきて、そのうちの1つが消えてしまった」

「その虚無感と、責任が1つ消えたという解放感」

「その両方が、私の中で存在しています」

「私はきっと残酷な母親なんでしょうね・・・・」

そう言いながら女性が僕を見つめてやるせない笑顔を見せた

「あなたはとても正直ですね」

「そう思ってしまう事は決して悪いことではありませんよ」

やるせない笑顔に対して呆れるでもなく怒るでもなく

そう言葉を投げかけながら僕はそっと微笑んだ

女性の女の子に対する懺悔と後悔が手に取るように分かる

女性も苦しんでいるのだ

その苦しみの中、必死にもがいているのだ

「あなたには、あなたの人生があります」

「娘さんは、娘さん自身の人生を自分自身の意思で生きて、完結させたんです」

「あなたもあなた自身の意思で、これからの人生を歩むべきです」

「死は必ず誰にでも訪れます。それはあなたも分かっている事でしょう」

「自然に死が訪れるのを待つのか」

「自分で選んで死を迎えるのかは本人の自由だと僕は思っています」

「誰のものでもない、あなただけの人生なんですから」

そう言いながら僕は、きちんと女性の目を見た

僕のその目線を受けて、女性がほんの少しだけ柔和な表情を見せる

「そうですね・・・正直、自分の中でいろいろな感情が渦巻いていて」

「自分でもどうしようもない状況に陥っている事は事実です」

「このまましばらくはずっとこんな感じなんでしょうね・・・」

そう言いながら女性はそっと天井を見上げた

「よかったら、僕がお話を聞きますよ」

「もちろんちゃんと医療費はお支払い頂きますけど・・・」

冗談っぽく優しく言葉を投げかけると

やるせない表情がふっ・・・とほどけて、クスッっと小さく笑みを浮かべる

「ありがとうございます。そうですね、先生にお世話になるかもしれません」

クスクスと笑いながら女性がそう答える

僕も自分が発した言葉に少し照れながら女性と共に微笑む

気がつくと太陽がその役目を終えて

自分の寝床へ帰っていく時間帯になっていた

女性もそれに気づいて帰り支度を始める

「ありがとうございました。娘が本当にお世話になりました」

「先生もどうか体に気をつけてくださいね」

そう言いながらドアの方へと向かう

「こちらこそ、ありがとうございます。遠くまで足を運んでいただいて」

「どうか、気を付けて」

そう言いながら女性を送り出す

最後に軽く僕に会釈をして女性が「0」を後にしていく

太陽が少しだけ名残惜しそうにその光を残している中

僕はそのわずかな光をしばらく眺めた後

少し重い感情を引きずりながら重い足取りでデスクへと向かっていた

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