第10話      過去の記憶と現実  I

3人も子供を作ってしまった両親はその事をかなり後悔していた

長男だった僕は幼いながらにその後悔を感じ取っていた

虐待を受けていたわけではないが

日々の何気ない両親の会話と疲れた表情からそれがひしひしと伝わっていた

僕たち兄弟が知らないところで喧嘩も多々あっただろう

自分たちが生活していくのもしんどいのに

3人もの人間を食べさせていかなければならない

裕福でもないごくごく普通のサラリーマンだった父親

家事に追われながらもその隙間時間をパートに出ていた母親

避妊をすればいいのに父親はやりきれない日々のストレスを

母親の体にぶつけていた

母親もそれを拒めばいいのに父親のやりきれなさを哀れに思うのか受け入れていた

それを愛と言うのか否か僕には未だに分からない

行為に満足し、満たされて眠っている父親を残して

母親はいつもリビングでコーヒーを飲んでいた

行為がなくても母親は家族が寝静まった後1人で

インスタントのコーヒーに砂糖とミルクを入れて甘く優しいコーヒーを飲んでいた

母親がそのほんの僅かなやすらぎの時間を過ごしている事を知っていた僕は

トイレに行くふりをしてそれとなく母親に寄り添っていた

トイレから出て暗闇の中、電気がついているリビングへ向かう

母親は僕を見つけてにっこりと微笑み

幼かったころには砂糖を入れて温めたミルクを

大きくなってからは母親と同じ甘くて優しいコーヒーを入れてくれた

何を話すわけでもないがとりとめのない会話をして

最後に明日もがんばろうねと言ってそれぞれの寝床へ帰っていく

僕は日々の生活に疲れきっているのに、僕達兄弟に優しく微笑む母親のため

状況を少しでも良くしたいと思い医師を目指した

両親にそれを打ち明けた時、ひどく怒られたのを覚えている

医師になるには莫大な金が必要になるのだと懇々と説明された

そんな金がどこにもない事を僕は知っていた

だから僕は働きながら医師を目指す事を両親に伝えたかったのだ

小学生のころから医師を目指し、勉強を頑張った

塾に行く金などないから分からないことがあれば図書館へ行き

父親が仕事で使っているパソコンを使わせてもらったり

近所に住んでいた大学生と友達になり勉強を教えてもらった

中学生になり母親と共にパート先にアルバイトとして雇ってもらえないかと頼み込んだ

コンビニのお弁当製造工場は慢性的な人手不足であっさりと雇ってもらえた

母親がまじめに会社に貢献していたのも大きかったようだ

学校が終わってから夜10時まできっちりと働いた

仕事が終わって帰宅してからも勉強を重ね、眠るのはいつも午前零時過ぎだった


そんな中、工場で働いていけばいくほど人間のドロドロした部分が見えて来ていた

みんな苦しんでいるのだ

金を求めて働きに来る

働いても働いても金はどんどん生活という名の底なしの大食漢に食い尽くされ

跡形もなく消えていく

少しでもその現実から逃れたい、自分自身が少しでも心地よく過ごしたい

僕自身も含め皆、同じように苦しんでいる社畜同士なのにそれを全く理解できない

我が我がと言わんばかりに醜い争いを繰り広げる

それは学校でも全く同じだった

生活という切実な金が絡む問題は直接的にはないのだが

人間のパーソナルな部分に対する争いが熾烈だった

社会で働くという事も、パーソナルな部分に焦点があたる事があるが

ある程度結果がすべてなので、あまりそこに重点的に重きを置かれない

だが、学校という狭い社会ではその部分がすべてなのでタチが悪い

ダイレクトにそこを攻撃されるのでダメージは重篤だ

人が大勢集まれば集まるほど色んな不満や感情が噴出し渦を巻く

その渦の中から脱出すべく争いを繰り広げる

だから僕は人混みが嫌いだ、人の集合体が嫌いだ

というか、人間自体が大嫌いだ

僕自身が人間なのにかなり矛盾している感情なのだが

人々のありとあらゆる感情や思惑が僕の頭の中に入り込んでくる

産まれて物心ついたころからその現象は起きていた

人のちょっとしたしぐさや視線、なにげない表情、言葉の抑揚、その場の空気

人が発するありとあらゆる現象から人の感情や思惑や本音が分かってしまうのだ

人が発する微弱な電気信号を僕の脳が敏感に感知してしまう

それは意識していないのに僕の脳に矢継ぎ早に突き刺さってきて

僕の脳と精神をどんどん疲弊させていく

幼いころから両親の苦しみを感じ

学校でも先生やクラスメイトの苦しみを感じ

働いていた工場でも社畜となっている人々の苦しみを感じ

僕の脳と精神は限界を迎えていた

その日の夜、僕は何かに焦っていた

刻々と過ぎる時間の中、沈黙が続く虚無感が漂う今のこの空間で

僕は自身に起きた過去の出来事へ記憶をたどる旅に出ていた


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