第六章
その日以来、わたしは議団円の方々の協力を得ながら、教団からの脱出に向け、周囲に勘繰られないよう荷造りを始めた。どす黒い暗闇から垂らされた一本の筋にすがり、手繰り寄せる。抑制されず生きる選択ができる最後のチャンスだ。絶対に手放しちゃいけない。壊れてしまう前に、傀儡になる前に。
*
作戦会議が始まって早々、橘さんが切り出した。
「準備も終えた、君をかくまう施設の確保もできた。今日、脱出を決行しよう。」
橘さんは資料を取り出し、粛々と並べる。敷地内の地図をはじめ、叛逆者がいないか監視する信者の行動パターン、脱出しやすいルートが詳細に書かれている。彼は毅然とした口調で解説を始めた。
「午前三時。君も知ってると思うけど、この時間は監視が薄れる。君はこの公園の先にある森……、大きな杉があるからそこに来てくれ。君の姿を確認し次第、その拠点に移動する。」
「分かりました……。」
「大丈夫。君は、ただ僕らの元に来ることだけを考えてほしい。」
「はい……。……皆さんがしてくださったことを無下にしないために……、頑張ります。」
「いやいや……、でもその意気だよ。頑張ろう。僕たちのためじゃない。君の未来のために。」
わたしの未来……。人間と暮らしたかった過去。恐れ震えていただけの過去。それらが完全に払拭されるかは分からない。でも、この一歩は、確実にわたしという存在を取り戻す足掛かりになる。
橘さんの言葉に感化され、わたしは大きく深呼吸する。目の前に差し掛かった光に飛び込む準備を整えていた。
*
絶望の日が暮れ、希望の夜がやってきた。わたしは両親を起こさないよう荷物を背負い込み、静かに玄関へ向かう。玄関から程近い場所にある寝室からは穏やかな表情を浮かべながら眠る両親の姿が見えた。わたしは申し訳なさと寂寥感を抱きながら二人の様子を見つめた。
わたしは彼らのことがどうしようもなく嫌いだった。簡単に教団の虜になり、わたしの人生を壊したことも、団員の誇りなどといって人殺しに加担したことも許せなかった。だけど……、自分の娘が裏切り者だった、もう二度と会えないのだと確信したとき、二人はどんな顔をするのだろうか……。きっと……、さぞ悲しむだろう。
わたしは零れる涙を拭いながら踵を返し、玄関の扉を開けた。どこから湧いてきたのかわからない罪悪感をこらえる。これは生きるための代償なのだと自分を納得させた。
学校を抜け、教団本部を抜け、公園に辿り着く。深夜の公園はいつもそうだったように、なめらかで涼やかな風をたたえ、小さな白い花が煌々と輝いている。その様子は、どこか人間の世界に戻ろうとするわたしのことを、大丈夫、この調子なら何も起らないはずだと応援してくれているようだった。わたしは居てもたっていもいられず、暗く鬱蒼とした森の中を走り出した。もう少しで橘さんの元に辿り着ける。急がないと。
大きな杉の元に辿り着いた。ハアハアと息をつき、ゆっくりと目線を上げ周囲を見回す。しかし、そこには人っ子一人もいなかった。
「橘さん……? 橘さん……?!」
不安と焦燥にかられる。なぜいない? どこにいるの? 不安な気持ちに押し潰されそうになりながら、わたしは彼探し続けた。
その時だ。全神経が凍り付つくような、数多の冷たい視線を感じる。刹那、ランタンの光が灯される。恐る恐る振り向くと、そこには右代様が、あの日と全く同じ冷徹な目をたたえつつ、武器を持った多くの信者に囲まれ、血の匂いを漂わせていた。
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