004_キミとボク
ぐぅーーーー
「え?」
今のは腹の音、であろうか。部屋の静寂を破ったのはそんな間抜けな音であった。
その音に今の今まで緊張していたことを忘れ、素っ頓狂な声を上げてしまうオーネス。先程、卵から生まれた青い餅のような生物を見ていると、少し疲れたようにだらっとしながら目を細めて呟く。
「お腹、減いたぁ……」
「……」
どうやら本当に腹の音であるようだ。どうしたものか、と思っていると、目の前の青い餅は鼻? をクンクンとひくつかせながらうわごとのように呟く。
「あ……ご飯の匂いがする」
こんな場所のどこに、と一瞬、思ったが、携行食ーーとオーネスは言い張っているーーとしてパンを持っていたこと思い出すオーネス。麦の香りもそこまでするという訳でもないのによくわかったな、と思いながらパンを取り出す。
これを渡すと自分の夕食がなくなるなぁ、なんて思いながら、青い餅を見やる。
先と変わらず、だらっとしたまま辛そうである。
自分の昼食、なんて言ってられないな、と思いながら、一瞬だけパンを見るも、すぐに青い餅に視線を戻しパンを差し出す。
「これ、食べる?」
そう話かけると、いいの? 、と問うてくる青い餅、了承の意を答えると、ありがとう、と言ってもしゃもしゃとパンを食べだす。
なんとも幸せそうに食べるものだ。
ここまで喜んでくれるのであれば、あげた甲斐もあったというものだ、と少しだけ嬉しく思う。嬉しいとはいえ、食べているのを見続けているのは少し切ない気分になりそうだ、と思い、辺りを他に何かないか部屋の中をうろついてみる。
少しすると、けふっ、という小さな声が聞こえてきた。声の方向を見てみると、青い餅はパンを食べ終わったようだ。
すると、ぴょんぴょんと跳ねながら近づいてくる。小さな足があったとはいえ、本当に足だけで脚に当たる部分はないのに、どうやって跳ねているんだろう? と思いながら見ているとすぐそばまでやってきて、オーネスを見上げている。
「おいしかったよ、ありがとう。キミいいやつだね。名前はなんていうの?」
「オーネスだ」
自分の名を答えながらしゃがむと、青い餅はオーネス、と数度呟くとオーネスの名前を嬉しそうに連呼しながら彼の周りをぴょこぴょこと飛び回っている。
「それで、君は?」
「ボク?ボクは……なんだろう?わかんないや。」
あっけらかんと答える青い餅。どうやら、名前が分からないらしい。
ーーまぁ、人間だって産まれた時時から自分の名前を知っている訳じゃないか
納得していると青い餅から声をかけられる。
「じゃあ、じゃあさ! オーネスがボクに名前を付けてよ!」
何やら期待した面持ちでオーネスにお願いしてくる青い餅。いきなりの申し出に困惑するが、確かに名前がないと不便か、と思い、考え出す。少し考えていると妙に人懐っこい態度に、ふと、思いついた名前をぽつり、とこぼす。
「フリート」
「フリート?」
フリート。おとぎ話の中で世界中を周り、人々を助け、導いたと言われる英雄がこよなく愛したという犬につけられていた名前である。どういう名前なのか、尋ねてくるので教えてやると、始めは、えー、犬ぅ? とこぼす青い餅。
「でも、オーネスが付けてくれた名前だもんね。フリートか……。うん、ボクの名前はフリートだ」
悪態をついていたのに、すぐに思い直すと、ニコニコと笑いながらその場をまたもぴょこぴょこ跳ねる青い餅、改めフリート。
ただ思いつきを口にしただけなのに、と少し困惑したものの、彼のとても嬉しそうな様子に、悪い気はしないなと思った。少しの間、跳ねているフリートを見ているが、ふと、いつまでこうしていて大丈夫なのかが気になってきた。
「ところでフリートはこれからどうするの?」
「え、どうする? 何が?」
オーネスがおかしい事を言ったことかの様に聞き返してくるフリート。
何を言っているんだ、コイツ、と思いながら、生きていくための場所だとかどこかに行く予定だとかはないのか、と聞くてみると言っていることを理解するまでポカンと口を開けていたが、少しすると青ざめながらオーネスに聞いてくる。
「どうしよう?」
どうやら何も考えていなかったらしい。その様子に仕方がないなぁ、とため息をつきながら提案してみる。
「じゃあ、家に来る?」
「いいの? 行っていいなら、行きたい!」
嬉しそうに返してくるフリート。どうやらオーネスの家に行くのは問題ないらしい。じゃあ、行こうか、とフリートを伴って部屋を後にする。
「あっ!」
フリートを家に連れて帰ると決めたはいいものの、大事なことを忘れていた。
ーーどうやって許可をもらえばいいんだろう?
フリートの事は言えないな、と自嘲する。しかし、何も考えない訳にはいかない。どうやって母を説得しようか、と少し頭を悩ませながら、家路に着く事になるのであった。
結論から言うとシンシアの説得は思った以上に簡単に終わった。フリートは青い餅のような姿をした不思議生物である。間違いなく警戒するし、実際、オーネス自身、あのお間抜けなやりとりがなければ、警戒する自信があった。
そんな訳で身構えながらシンシアに話しかけたオーネス。
しかし、シンシアは最初こそ、その不思議な見た目に驚いて考え込んでいた様子だったが、どこで見つけたのか、世話はどうするのか、など、不可思議な見た目にはあまり触れなかった。本当に犬猫を連れてきた時のような問答をして許可を出してしまったのである。
正直、オーネスは不思議に思った。しかし、傍のフリートが呑気に、お母さんが許してくれてよかったね、なんて言うものだから、難しいことを考えても仕方がないな、と思い、笑いながら、そうだね、と返す。
一連のやりとりを聞いていたレクティはこの不思議生物に対して興味津々だったらしい。
許可が出るなり抱きついて、餅のような体や頭の上の耳らしき帯をペタペタと触りながらキャッキャとはしゃいでいる。
最初こそフリートもキャッキャとはしゃいでいたが、次第にレクティのエネルギーに押され、表情が優れなくなってくる。
ーーもみくちゃにされだしたみたいだし、そろそろ助けようかな
そんな風に考えながら二人に声をかける。
疑問に思うことはあるが、いい、と言われた以上、深く考えても仕方がない。
まだ少ししか触れ合っていないがフリートと話しているのは子気味よく、一緒に居られるのは嬉しい。そんな新しい友達が家族に迎え入れられた事に今はただ許可されたことに喜ぶのだった。
それからの日々は以前よりもあちこちに散策に出る機会を少なくせざると得なかった。
レクティと違いフリートはオーネスについて行きたがった。冒険者になるための散策は続けていたが、フリートがいる以上、そこまで無茶はできない。
フリートの移動速度はちょうどオーネスが歩くのと同じくらいであったので普段村を歩くのには不便しないが、走るとなると事情が変わってくる。
何せ足しかない身体で跳ねながら移動しているのだ。一度、思いっきり早く動いてみてほしい、と頼んだ事がある。
しかし、残念。オーネスの早歩きよりも少し遅いくらいの速度でしかなかった。
母にちゃんと世話すると言った手前、その辺に置き去りにする、だとか、家に置いてくる、だとかはできない。
思いの外、レクティがオーネスの事を気に入ったようではあったが、フリートが一緒に行きたがっている以上、レクティに押し付けるなんてせずに世話をするというのが筋というものだ。
ただし、その結果、行動範囲は狭くせざるを得なかった。
オーネスくらいの年頃であれば自分以外の人が原因でやりたい事がやれない、というのは機嫌を悪くする大きな要因一つである。しかし、彼はフリートと一緒であることが嫌だとは思っていなかった。
それはなぜか。
ある日、フリートと一緒に河原にやってきた時の事である。
始めははフリートがいるとどうしても体を動かす特訓も近場になるなぁ、と少し残念に思っていた。しかし、文句を言っていても始まらない。
とりあえず、いつもと同じように河原にある岩から岩へと飛び移りバランスを取る特訓をしていた。
もう少し奥まで行けばもう鋭い岩とかがあるからもっと訓練になるんだけどなぁ、などと思っていると、フリートから声をかけられた。
「ねぇねぇ、オーネス。さっき岩と岩の間をぴょんぴょん跳んで、何してたの?」
「バランス感覚をつけるための特訓をしているんだよ」
「ふーん、それなら、どうして岩に飛び移ったときに手を横に開いてるの?」
「え……手を横に開いていた?」
「うん。ふらっとしたときに結構……。手を開いた方がバランスは取りやすそうだな、って思うけど、バランス感覚をつけるためにやってるなら、バランスを取りにくい状態でまっすぐ立てるようになった方がいいんじゃないの?」
フリートの指摘は盲点であった。正直、着地の時に手を上げていたのは言われるまで気が付いていなかった。
そして、思う。フリートから特訓を見ていた事に対して客観的な指摘をもらえれば、もっと効果的な特訓ができるのではないか、と。
その予想は間違いではなかった。
フリートの指摘に合わせて姿勢や練習の仕方を変えていくオーネス。
そのおかげで自身の動きを矯正できていると感じていた。だから、オーネスはフリートが一緒に来てくれる事に感謝していたし、フリートも自分の言っていることを真摯に受け止めてくれるオーネスと一緒にいることが心地よかった。
もちろん、うまく付き合っているといっても意見の食い違いはあった。喧嘩をする事だってあった。それでも、互いの意見をぶつけ、一緒に野山を駆けながら過ごす日々は二人にとって間違いなく楽しい日々であったのだ。
そんな日々を過ごしていたある日、朝起きると、隣で寝ていたはずのフリートが息を荒げて、ぐったりとしていた。何かあったのだろうか、と思い、フリートにどうしたのか聞いてみるが、本人にもよく分からないらしい。
昨日、変なものでも食べただろうか、と思い返すも、自分も同じものを食べていたので特に問題はなかったように思う。そこまで考えて、犬や猫が食べてはいけないものがあるという事を思い出す。
そもそもフリートは見た目、青い餅な不思議生物である。もしかすると、自分が知らないだけで食べてはいけないものを食べてしまったのかもしれない。そう思ったオーネスは着替えるのも忘れて、フリートを抱えて家を飛び出し、村の井戸へと向かった。
オーネスは以前、食べてはいけないキノコを食べてしまった事がある。その時、調子を崩した事をシンシアに伝えると、キノコを身体の外に出すために水をたくさん飲まされた事があった。その経験からフリートもそうすれば少しは様子も収まるのではないか、と思ったためである。
井戸に着くと、すぐさま井戸から水を引き上げ、フリートにがばがばと飲ませる。しかし、全く復調する気配がない。むしろ、さらに辛そうだ。
ならば、薬を飲ませようと店の薬屋を訪ねてが、店主は見たこともない生物にあげられる薬には思い当たらない、と、匙を投げられてしまった。
思い当たる事がなくなり途方に暮れてしまうオーネス。このままではフリートが死んでしまうのではないか、そんな考えがぐるぐると頭を巡り、目に涙がにじんでくる。
「大丈夫?」
自分だって辛いだろうに、オーネスの泣きそうな様子を心配して声をかけてくるフリート。その振舞いにオーネスはまだできることはあるはずだ、と自らを奮い立たせる。
フリートは不思議生物とはいえ、おそらく動物だろう、なら、動物の治療の内、何かフリートの体調を回復させるのに役立つ事があるかもしれない。そう考えて、再び、村の人たちに動物の治療で知っていることがないかと聞いて回る。
聞く人が増えてくれば、多少は情報が集まってくるもので、体調が悪い時は変なものを食べる時以外にも食べ物が腹の中に残っている場合だとか、栄養があるものを食べられてない時だとかにも同じ症状になることがあるという事を聞けた。
食べ物が腹の中に残っているのであれば調子をよくするための薬が家にあったはずだ、栄養があるものを食べなくてはならないのであれば、もっと色々食べてもらえばいいはずだ、そう考えたオーネスはフリートを抱え、急いで家に帰る。
家に帰るなりバタバタと家の中の物をひっくり返しだすオーネス。いきなりの行動に驚くシンシアはオーネスに尋ねる。
「いきなり帰ってきてどうしたの?あんまりバタバタするとレクティが起きちゃうわよ」
「お腹の調子をよくする薬をフリートに飲ませてあげようと思って……」
それを聞くと薬草を煎じるから、と言い、台所まで戻るシンシア。まだ食事時ではないと言うのにわざわざ火を起こしてくれることに感謝する。
しかし、オーネスはただ待っている事ができず、自分も何かしなくては、と思い、何かないかと、家の中を再び探し出す。棚の中に淡い紫色をした綺麗な結晶を見つけた。
オーネスはその結晶を見て、以前、村の人がその結晶ををかざして、泣いている子供の傷を治していた事を思い出す。
もしかして、自分も同じ事をすればオーネスを治せるのではないか、と思ったオーネス。結晶を棚から取り出す。取り出したはいいものの、本当に治るのだろうか、心配に思う。心臓がバクバクと鳴るのを感じながらフリートの傍に戻る。
戻ったオーネスはフリートを治そうと結晶を持った手をかざす。しかし、緊張のため、結晶を握った手の力がふっと、抜けてしまった。
あ、という間もなくポロリと落ちてしまう結晶。
落とした先には当然ながらフリートがいる。それだけであれば問題なかったのだが、辛そうに上を向いて口を開けていたために、結晶は口の中へ吸い込まれてしまう。そして、フリートは結晶をそのままゴクリと飲んでしまった。
その様子にオーネスの中でとある光景がフラッシュバックする。
とある日、外を眺めていたオーネスは、鳥が地面に落ちた紫色の結晶を食べているのを見た。その時は、変なものを食べるなぁ、と思っていたが、次の瞬間、羽をばたつかせたながら、鳴き騒ぎ出した。
何か起きたのかと驚いていると、ものの10秒もしないで静かになり、戸惑いながら静かになった鳥に近づいてみると、そのまま動かなくなってしまったのを見た事がある。
その光景を思い出し、パニックになるオーネス。
「フリート! 早く吐き出せ!」
ほとんど叫びながら、ーー餅みたいな不思議ボディなので真偽のほどは定かではないがーーフリートの背中をバシバシと叩き出す。
いきなり、背中? を叩かれるものだから、叫びを出すフリート。
「痛い! 痛いよ! 」
そんな二人の騒ぎを聞きつけてシンシアが居間に駆けつける。
「オーネス! フリートに何やってるの!?」
「だって、フリートが…フリートが死んじゃう!」
「だから痛いよ。やめてよ、オーネス!」
状況が全くわからず混乱する3人。だが、オーネスは、ふ、と気づく。
「……オーネス、無事なのか?」
「無事じゃないよ、お尻が痛いよ、ボクが何したってのさ!」
ーーあ、そこお尻なんだ
奇しくも母子で重なる感想。臀部ーー背中ではなかったらしいーーを連続して叩かれまくったフリートは怒っていますよ、と言わんばかりの態度である。
しかし、先程までぐったりしていたフリートが元気な姿をしていることに、嬉しくなって涙がボロボロと頬を伝うオーネス。すぐさまフリートに抱きつき、よかった、よかった、と喚きだす。
「え? え?」
オーネスがいきなり乱暴をしただしたと思ったので、何をするのか、と怒りを覚えていたフリート。
しかし、いきなり泣き出し、抱きついてきたオーネスに目をパチクリとさせながら、何があったのか困惑するのであった。
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