002_夢の萌芽

「大丈夫か? 坊主」


 オーネスの目を奪った朱は男の身に着けた鎧であった。


 よくよく見てみると、朱い鎧の男に生えた短い髪も朱い。


 朱い鎧の男は右手にオーネスの無事を確認しながら左手を差し伸べてくる。


 一度に色々な出来事が起こりすぎてしまったために、一寸の間呆けてるオーネス。しかし、自分に言われているのだと気が付くと、うん、と答え、差し出された手を取り立ち上がる。


 朱い鎧の男が言うには、賊が民家の裏に入っていく様子が見えたが、不自然な様子だったので誰かいるのではないかと思い、駆けつけてくれたとの事だ。


 村にはまだ賊が何人か潜んでおり、今、一人対処したが全員に対処するにはまだ時間がかかる。しかし、一人でバラバラな場所にいると守りにくいので、広場に集まってもらっているとの事だ。


 子供が一人だと心配なので一緒に広場に行こうと、言われ、朱い鎧の男についていくことにして、表に出ると、オーネスにとって聞きなれた声が響く。


「オーネス‼」


 母、シンシアの声である。早く広場に集まるためであろう、その背には妹のレクティをおぶっている。


 シンシアはオーネスを見るなり、その顔を歪ませ、あぁ、と感極まったような声を上げると髪を乱しながらオーネスの傍に駆け寄る。


 駆け寄ったシンシアはオーネスを、ぎゅっ、と抱きしめ、何度も名前を呼びながら涙を流している。いつも優しい表情で安らぎを与えてくれていた母が涙を流したことなどオーネスは一度も見たことがなかった。


 以前、父が狩りの最中に事故に遭って、血まみれになって帰ってきた時でさえ、涙の一筋も流さなかった母が、自分が無事だった、それだけでまるで子供のように泣いている姿に驚くオーネス。


 その姿に胸が暖かくなった彼はいつも母にしてもらっているように頭を撫でた。その振舞いに、一層、強く抱きしめられることになった。


 しかしながら、未だ賊が辺りに潜んでいることに変わりない、朱い鎧の男は気まずそうに母に声をかける。


「あー、もしかして、シンシア……か? 子供に会えて嬉しいのは分かるが、賊はまだ村の中にいるから危険だ。連れて行くから、一旦、広場に集まってもらえるか?」


 オーネスは初めて会った人であったが、母とは知り合いであるのだろうか、初めて会う人に話かけるにしては妙に砕けた調子で話しかけている。


その声に気付いた母は先ほどの自分の様子を恥じ入るようにしながら、了解の意思を示し、オーネスと手をしっかりと繋ぎながら朱い鎧の男について行く。


 広場に着くと、なるほど、確かに殆どの村人が集まっていた。村人が集まっている一団の一角を見るとローブを着た女性と父、フェイスが話し込んでいるようだ。


 朱い鎧の男はオーネス達を村人の一団に合流させるとそちらの方に向かい、3人で話し合いを始めた。


 しばらく、話をしていたようであるが、話合わせが終わったのが、納得したようにうなずくと近くにいた村の男たちを呼び寄せ、何か指示をすると3人で広場を後にした。


 父は皆を置いて何をしに、どこへ行ったのか気になり近くの男に何があったのか事情を聞くオーネス。


 男が言うには、村に押し入られてはしまったものの村の大きな家を狙うだろうという事で、父と冒険者二人で賊の打倒に向かったそうだ。

 

 村を襲った賊の数はすでに分かっているため、父を含めた三人で賊をそれぞれ捕まえに行き、広場の人々は村の男に任せるという事である。


 どうやら朱い鎧の男は冒険者、という人間であるようだ。それが何なのかオーネスには分からなかったが、その単語だけは彼の頭に妙に残るのだった。




 それからどれくらいの時間が経ったであろうか。


 フェイスと冒険者だという二人が手を後ろに組み縄で縛った数名の男たちを連れてきた。


 それからフェイスは皆の前に立ち、賊はこれで全てだからもう、心配することはない、と村人に対して宣言した。


 その宣言を聞いた村人たちは脅威は去ったのだと、安堵のため息やら周りの人たちと無事を喜ぶ声を上げる。


 捕まえた者らはどうするのか、という声が挙がったが、フェイスら三名と村長で今日はどうするかは決めるようである。


 襲われた件を考えなくてよくなったのであれば次は準備していた収穫祭の実施をどうするのか、という話が上がるのは自然な事。


 幸いにして今回の襲撃では村人に死者は出ていない。


 そのため、年に一度の収穫祭。せっかく皆が一年間心待ちにしていた日を、このまま沈んだ気持ちにしてしまうのは残念だ、ということで祭りの準備を再開するように指示が出される。


 皆、このまま祭りがなくなってしまうのではないかと、不安に思っていたようで、村長のその言葉に嬉しそうに準備に戻っていく。


 シンシアは先ほど、怖い思いをしたオーネスを気遣い、家でゆっくりしていてもいいのだ、と声をかける。


 シンシアはそのように提案したが、実のところ、襲われた事自体にはすでにそこまでショックを受けていなかった。襲われたことよりも自分を助けてくれた朱い鎧の男の事が脳裏に焼きついて離れなかったからだ。


 そのため、引き続き手伝いをする、と言うオーネス。


ーーそういえば、倉庫に魚を捕りに行く途中だった


 先程までの手伝いを思い出したオーネスは倉庫へ向かうことを告げるが、心配だから、とシンシアも着いていくと言ったので、シンシアと手を繋ぎながらレクティを含めた三人で倉庫へ向かうのだった。




 夜。


 昼間に賊が村を襲うという災難こそあったものの、無事、収穫祭を執り行う運びとなった。

 

 どうやらこの村の人間はしたたかであったらしい。


 多少、浮足立っていたものの準備を着々と進め、予定通りの開始までこぎつけたのである。


 もちろん、死者が出ていないというのは大きい。それでも、昼間に襲撃があったとは思えない切り替えの早さである。


 この様子に村長も呆れればいいやら、誇ればいいやら、曖昧な表情をしながら、司祭の儀礼に参加していた。


 さて、儀礼も終わり、宴会である。さぁ、食事に入ろうと、皆が席を立とうかという直前、村長が少し待って欲しいを皆を呼び止めた。


 そして、皆の前に出ると先ほどの朱い鎧の男を含む冒険者だとかいう二人を紹介しする。


 男はアーベル、女はルルワというらしい。村長が言うには、父、フェイスとは旧知の仲で、是非、村に来て収穫祭を見ていって欲しいということで以前から招いていたそうだ。しかし、なかなか予定が合わず、ようやく予定が調整できたので訪れたところ、その当日たまたま賊の襲撃に遭遇したとのことだ。


 アーベルがシンシアを見て知っているような反応を示したのは、フェイスを通じて会っていたのだな、とオーネスは納得する。


 その間も、村長は続ける。観光のためにせっかく訪れてくれたのに、善意のみを以てで賊の打倒をしてくれた。しかし、村の恩人二人にもたらせる思い出が賊を打倒した、それだけでは忍びない、いや、村の恥であるので、是非、村の皆にも手厚くもてなして欲しいというのだ。


 ただ、あまり余所から人が訪れる事は多くないシーリン村である。


 村長の話しかけてもよいとうお墨付きを出したのをいいことに、村長の言葉を聞くが早いか、村人が二人を囲い出す。


 村人のそのような様子で本当に歓待できるのか、自分の好奇心を満たしているのではないか、と少し心配そうな面持ちになった村長であるが、オーネス達に気付き、近づいてくると礼を述べる。


 「今日はありがとう。フェイスや冒険者さんのおかげで村の皆が無事に収穫祭に出ることができた。まぁ、村が襲われても無事であったのは冒険者の力が冒険者の力が大きかったのは間違いなかろう。ただ、それに加えて普段から、フェイスが村人に有事の際の訓練をしていてくれた事が大きいと思っておる。普段からこういった事を考えて、備えていてくれた事、感謝しておるよ」


 ただ、今この場においてはこの場に於いては冒険者の二人を優先せねばならず、現在は捕縛した賊の見張りをしてくれているフェイスには見張りを任せているらしい。村長は感謝をしているのにこのような事になってしまって、申し訳ない、と顔を曇らせる。


 その言葉に父と参加できないことに少しに残念に思っていると、オーネスの顔を見た村長が膝を曲げてオーネスに視線を合わせ笑顔を浮かべる。


 「オーネス。お父さんは今この場にいないが、今日、村全員が笑っていられるのはお前のお父さんののおかげでなんだよ。だから、お父さんの事を自慢にに思って欲しい」


 そこまで言うと、言いたいことは全て言い終わったのか、呼び止めてすまなかった、と断りを入れて、祭りの中に戻っていった。


 その話を聞いた後、シンシアはレクティと共にフェイスのところに料理を持っていくがどうするか、と尋ねてくる。


 しかし、オーネスは朱い鎧の男、アーベルと話をしたかった。そのように告げると、母は、気を付けて行くのよ、とだけ言い残して妹を伴い村長の家に向かうのだった。


 二人が行くのを見送ると、祭りの中心に目を見やる、オーネス。


 そして、思う。そうだ、自分は朱い鎧の男、アーベルに話を聞きたかったのだ、と。


 普段であれば、二もなく飛びついたであろうご馳走の数々、それらに目もくれずアーベルのもとに向かう。


 

 輪の中心に村の恩人の一人アーベルはいた。

 

 彼の周りは村の若い女が囲んでいる。冒険者なんてやっていると実入りが良い時もあるが、女性に囲われる機会なぞ、酒場や娼館のような場所以外ではそうあるものはない。


 そんな珍しい状況にアーベル自身まんざらでもない思いはあった。


 あったのではあるが、それも長く続けば様子が変わってくるというもの。村の男達の刺すような視線がを感じるようになる。


 いや、それだけであれば普段はたかが農業をしている人間である。居心地の悪さこそ感じるものの、切った張ったを繰り返している自分に取ってはそよ風にも等しい、はずだ。しかし、なぜだろう。今はまるでドラゴンに睨まれているのではないか、と感じるほどの悪寒を感じるのだ。


ーーいやいや、周りはこんなにも楽し気なのに悪寒を感じるなんて、気のせいだ。おそらく、きっと……そうだといいなぁ

 

 そんな阿呆な事も考えている時であった。


 先程、助けた少年と目が合う。


 正直に言えば、しめた、とアーベルは思った。少年に話しかけることで、この場所は離れることができる。そうすれば、このよく分からない悪寒から逃げ出すことができるはずだ、と。


 歓待してくれる女性達やにまだまだ祭りを楽しみたいであろう少年を利用するようで心苦しいと感じなくはない。

 

 しかし。割と生命の危機を感じ始めてきたので、そうもいっていられそうにない。さて、どのように話かけてこの場を逃げたものだろうか、とアーベルは考える。


「あの……」


 アーベルに話しかけてきたのは件の少年であった。


 アーベルは考えを巡らせる。少年は自分が悪寒から逃げ出したいから、どうやって話しかけるか、などと画策していたことなど知る由もなかろう。しかし、話かけてきたという事は、少年も自分と話をしたいと考えていたということだ。


 そう判断すると、これ幸いと少年に話しかける。


 なお、どうでもいい事ではあるが、先ほどよりは悪寒が和らいだ気がする。どうでもいい事ではあるが。


「あぁ、さっきの……オーネス、だったか?」




 オーネスにとっては意外な事にアーベルはオーネスの名前を覚えていた。


 常であれば、村や自分を救ってくれたことに感謝をするべきでのであろう。オーネス自身も思っている。


 しかし、この時ばかりは彼の頭の中を占めていたのは一つだけ。ゆえにその事しか話かけることができなかった。


「おじさんは冒険者、なの?」


 そう、初めて聞いた冒険者なるものであるのか、それだけが気になって仕方がなかった。


 その問いに対して一言、そうだ、と答えるアーベル。それに続けて、冒険者とは何であるのか、と問うオーネス。


「冒険者って何か、か。一言で言うと難しいな。自分が気になったことを自分の足で調べに行ったり、色んなところの困っている人を助けたり、今日みたいに誰かが泣いているときに手を差し伸べたりする仕事……かな?」


「いろんなところで困っている人を助ける?」


 オーネスにとって、それはとても不思議なことであった。


 普通、大人になったら、村の仕事をするのではないのだろうか。


 冒険者とやらは自分の意思で外に行くことができるのだろうか。


 気になったオーネスはそんな疑問や詳しい仕事内容、今までアーベルがしてきた仕事の話など興味が赴くままに聞く。


 子供のとりとめのない質問である。答えるのもそれなりに大変であろうにアーベルはオーネスのキラキラとして目を見てそんなことを感じることもなく、自分が答えられる限りで答えていく。


そして、ふ、と疑問を口にした。


「そんなに聞くなんて冒険者になりたいのか、坊主? シンシア辺りは反対しそうなもんだが……まぁ、いい。坊主、冒険者なりたいなら大事な事だ。一つだけ覚えておけ」


「大事な事?」


「約束を守ることだ。」


 なんで? とオーネスは尋ねる。


 確かに彼は母から常々、約束は守らなくてはならないものだと教わり続けてきた。


 日々の家事、留守番、やってはいけないこと、色々と約束させられてきた。それはオーネスが子供で心配されているからだと考えていた。


 しかし、今、同じことを聞いている。誰かを助けられるアーベルから、だ。


 オーネスにとってはこの事が不思議でならない。

 

 アーベルは誰かに心配されるような人ではないのではないか? そんな疑問を余所に彼は続ける。


「人に信じてもらうため、そして人のことを大事にするためだ」


 オーネスがきょとんとしていることに、アーベルは気付いていたものの、大切な事であるから、と考える彼はそのまま続ける。


「この世界は一人じゃ生きていけない、絶対に人に頼ることがある。そんなときは誰かに助けてもらうしかないだろう?だけど、約束を守らない奴には誰も力を貸してくれないんだ。……そうだな、坊主、大切にしているものはあるか?」


 いきなり質問されたことに驚くオーネスだが、ポケットをごそごそとまさぐって、これ、と言いながら手のひらに乗せた涙のような形をした 蒼い綺麗な石を見せる。


 それは以前、父と森に散策に繰り出した時の事。足を滑らせ川に落ちた時に水底にあるのを見つけ、無理を言って父に取ってもらった石である。


 取るのに大変な思いをしたからか、父は大切にするんだぞ、と言っていたが、その不思議な輝きに心奪われたオーネスは言われるまでもなく大事にしている。


 今でも三日に一度は表面を布で磨いているほどだ。


 これはえらく綺麗な石だな、つい呟きつつアーベルは語りかける。


「お前だって嘘つきにその石を貸してくれといわれたらどうだ? 嫌だろう? なんたって、嘘つきに石を貸したら盗まれてしまうんじゃないか? そうじゃなくても石を大切にしてくれないんじゃないかってと思うんじゃないか? それと同じさ。」


 なるほど、約束をずっと破られたらそう思うのかもしれないな、と今まで約束をあまり破られたことがないオーネスは想像する。


「特に俺たち冒険者は危険なこともたくさんする、命を賭けないといけない事だってある。だから、そんなときに大切なものを貸してもらえるように、そして貸した命を大切にしてもらえるって信じてもらえるように、約束を守らないといけないんだ。

「ただし! 人から借りたものは返さないといけないぞ。誰かに助けてって言われたら助けなくちゃダメだからな!」


 その話を聞いたオーネスは父も母も言っていた約束は守りなさい、が何を言いたかったのかがストンと落ちてきた。彼はあぁ、と息を吐きながらーー


「うん、僕、約束を守るよ、絶対……」


 自分に言い聞かせるように口にした。その様子にアーベルは満足そうに笑う。


「おう、それができればきっと立派な冒険者になれるさ」


 顔を近づけながら頭をガシガシと撫でてきた。直後、アーベルはいいことを思いついた、とばかりに笑いながらオーネスに語りかける。


「お、そうだ……よし、俺とも一つ約束だ。もし、お前が冒険者になって、俺の名前をきいたら訪ねてこい。お前にうまいもん食わせてやるよ。そんでお前がどんなことしてきたか聞かせてくれ。約束、だ!」


「うん!」


それはオーネスがした彼にとって初めて意味のある約束、であった。

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