盟約の魔物使い(モンスターテイマー)

在吉兼清

1章_立志編

001_幼き日の憧憬

 それは青白い光に包まれた神殿の中のとある一室。あちこちが壊れた壁の隙間から木漏れ日が差している。昼間であるはずなのに彼の辺りに音はなく、静寂だけが周りを支配していた。


 そのはずであるのに、自分の心臓はバクバクと早鐘を打っており頭の中をかき鳴らす。


「君は?」


 なんとか発した彼の声が静寂を切り裂く。


 自分のものであるはずのそれは、まるで自分ではない誰かが発したものであるかのようで、静寂に満ちていた部屋に妙に響いた。


 彼は見たこともない生物を前に手していた石の熱さだけを不自然なほどにはっきりと感じていたのだった。


 ++++++++++++++++++++++++


 ここではないどこかの世界、いつかの時に存在する国家。アトゥイテ王国 人口1000万人が住み半島に位置するため三方を海に囲われ、海産資源が豊富な国家である。そんなアトゥイテの季節はすっかり秋に入り作物の収穫や祭りの準備で国全体が忙しくなる時期である。


 少年オ―ネスが住むシ―リン村も、その例にもれず村の収穫祭のための準備に追われている。この国では珍しい黒い髪を持つ彼は普段であれば優し気に見えるその双眸を険しくしながら走り回る。


「オ―ネス、一緒に今日のお祭りで使うから倉庫の桶にとってるトラ―トを持ってきて。確か倉庫にはざるがあったはずだから、取るのはそんなに難しくないはずよ」


 腰ほどまで伸ばしたはちみつ色の髪を左右に揺らして、せわしなく動く女性。母、シンシアである。シンシアは祭りの準備をしながらオ―ネスに声をかける。その間も動きは止めない。懐から取り出した紫の結晶をかざし、薪に火をかける。


「は―い」


 と、答え、机においてあった桶を手にする。


 その傍らでは彼の妹、レクティが母と同じ色の髪を揺らしながら、二人の面影を感じる相貌を吊り上げながら走り回っている。どうやら、彼女にも余裕がないようだ。


 その様子に、頑張れよ、と思いながら、倉庫へ向かう。手伝いを頼まれたオーネスではあるが、その足取りは軽い。


 トラ―ト――

 村の近くを流れる川から獲れる魚で、引き締まった身にほのかな甘味がうまいと村人に非常に好まれている。毎年、収穫祭いおいては普段できないトラ―ト料理も振舞われるため、このために生きているのだ、なんて冗談を言う村人もいるくらいである。


 しかし、その気持ちもよくわかるというもの、特にこの時期は魚が産卵期であるため、油が乗っており、食べるには一番おいしい時期であるのだ。


 もちろん他にもおいしい料理は振舞われるが、押しも押されぬ主役といえば、やはりトラ―ト料理であることに異論はないというものであろう。そんな、トラ―ト料理をはじめとしたご馳走に思いを馳せれば、手伝いも苦にならないというもの。


 さらに、大人たちが話していた話によれば今年は去年よりもたくさん食べ物が取れたらしい。去年よりもたくさんおいしいものを食べられるぞ、と、今日の夕飯を妄想しながら足を早める。


 彼の楽しみにしている収穫祭は村総出のどんちゃん騒ぎ。例年、村の皆で食事や酒を楽しみながら朝まで騒ぐ、一年に一度だけのまさに大宴会。


 宗教的な意味合いもあるらしく、夜に広場の中央で儀礼を執り行ったりもする。しかし、オーネスはもとより大半の村人はあまり気にしていない。一応、村の取り決め、という事で儀礼が終わるまでは食事のお預けを食らう事になるが、その程度の認識だ。


 そんな、儀礼の事はさておき、オ―ネスも収穫祭に行われる宴会には気分が高揚するのを抑えられない。


 なぜか。それはひとえにそこには特別感があるからだ。


 普段は屋内で家族と共に行う食事。これを年に一度だけ外で行えるという非日常感。並べられる食事の豪華さに対する期待感。そして、一緒に汗を流して作物を育てた仲間と肩を並べて食事をできる幸福感。


 それらは参加した村人全員を包み込む。そうして、誰もかれもが浮かれ、騒ぎながら、楽しそうにこの日を過ごすのだ。


 そして、そのような場である。大人たちは普段、子供にしないような会話を大声でするのだ。それは、少しだけ自分が大人になったような感覚を味合わせる。それが彼にとってはなんとなく楽しい。


 村の全員が楽しみにしている夜の祭りに思いを馳せながら、ふと、空を見上げる。

 空を見上げると鳥が空高くを飛んでいるが見えた。大人たちが雨が近づくと地面の近くを飛ぶと言っていた鳥だ。それが豆粒ほどの大きさになっている。相当に高く高く飛んでいるようだ。


 雨になれば、豪華な食事こそ口にはできるものの、宴会を行う事はなくなるため楽しみも半減してしまうところであ。しかし、今年は宴会中止の心配しなくてもよさそう、と胸をなでおろすオーネス。


 そんなことを思いながら、空から視線を落とすと村の外に見慣れない一団を見かける。


 村の外の一団は片手に持った板の様なものをいじりながら、時折、村の中を見ながら、ひそひそを話をしているように見える。


 何をしているのだろう、と不思議に思う。しかし、不審な動きに不気味に感じがする。母の手伝いがあったのも相まって関わり合いになりたくない、とそのまま倉庫への道を急ぐことにした。


 倉庫に着く前に、近くの井戸で桶に水を張り、倉庫に向かうとすたすたと人が歩く音がする。すでに先客がいるようだ。先客はオーネスの近所のおばさんであった。彼女は祭りのための食材をせっせを荷車に乗せている。


 おばさんはオ―ネスが珍しい黒髪であったからだろう。視界の端に彼を捉えると、今、準備しているから少し待ってね、と言うとすぐさま作業に戻っていく。


 忙しそうなその様子に気が引ける思いはあったが、先ほどの様子ががどうしても気になったオ―ネス。おずおずと先ほどの様子を話してみる事にした。


 おばさんは見慣れぬ一団がいたとの事で不審に思ったのか、オ―ネスに詳しい様子を聞く聞き出す。村が大変かもしれないから、と血相を変えて走り去る。その際、荷物の番を任せる、と言い残されてしまった。


 あまりの剣幕に思わず、うん、と了解の意を示したオ―ネス。


 思わぬところで荷物番を引き受けてしまうことになったが、とりあえず、母に任された魚を確保ししようと倉庫へ足を向ける。


 しかし、倉庫から魚を取る程度の仕事、いかに一昨年、歯が抜けた、と大騒ぎしていた彼であっても実行するのに苦があろうはずもなし。さして時間もかからずに手伝いは終わってしまう。


 とりあえず、荷物番をしようと桶を隣に置こうとした時、ハッと気づく。


 「あっ! お母さんに魚を何匹持ってこればいいのか聞いてなかった……」


 とはいえ、荷物番を引き受けてしまった以上、家に戻る訳にもいかない。


 ――仕方ない。数が間違ってたら、また来ればいいよね

 

 どの道、おばさんが帰ってくるのも、そう遅くないだろう。そのまま荷物番を続ける事にした。とはいえ、荷物番とは言ってやる事が特にあるわけもなし。やる事といえば、倉庫から景色を眺めながら、ぼぉっと呆けておくくらいである。


 時間ができてしまうと、先ほど、ひどく慌てていたおばさんの様子が気になる。


 何か悪い事でも言ってしまったのだろうか、と不安に思いながらも待っていると、馬が村に向かって走ってくるのが見え始めた。


 ――馬が走ってきてるや


 愚にもつかないことを考えながら、その様子を見ていると、然程、間を置かずに村の方から沢山の男たちが馬に相対するようにバタバタと集まって来たのが見える。


 ――あんなに大勢でどうしたのかな


 そんな風に不思議に思いながら眺めていると。


「撃てー!!!」


 集まるが早いか、その号令と共に矢が放たれる。馬に向かって放たれる矢。矢が刺さり、バタバタと転倒する馬達。地面に投げ出された騎手達が怒号を発する。


 しかし、騎手達は倒れた馬を意に介さずに馬に乗る者らはそのまま、地面に投げ出された者らも、村に向かって、なおも突進を続けてくる。


 二回、三回と繰り返し射かけ続けられる矢。ついには走れる馬はいなくなる。それでも彼らは止まらない。


 そのまま、村の外周に張り巡らされた柵も吹き飛ばして、道に押し入ってきた。そこまで見て、ようやくオ―ネスは気が付く。村が賊に襲われているのだ、と。


 ――――に逃げろ、と聞き覚えのある声で怒号が上がる。


 次の瞬間にはガァンという金属同士が激しくぶつかり合う音が辺りに響き渡る。


 その音にオ―ネスは弾かれたように、その場を逃げ出した。


 どこかに逃げろと言われていたような気がするが、どこに逃げろ、と言われていたのかは分からない。


 それでも、先ほどの光景があまりに恐ろしく、ここにいてはいけない、その思いだけで走り出すオ―ネス。


 しかし、先ほどの光景に現実感がない光景ばかりが頭の中を駆け巡り、走り出したはいいものどこに行けばよいのか、考える事すらままならない。


 そんな状態で走るものだから、次第に頭がふわふわとし出し、足取りがおぼつかくなる。夢の中でもがいているような感覚に襲われ、自分が走っているのか、歩いているのか、そもそも前に進んでいるのかも判然としなくなってくる。


 この状態では走り続けられないと感じたオーネスはとりあえず落ち着くためにと近くの家の裏に隠れようとする。


「あっ」


 バタン。


 駆け込んだオ―ネスは壁に立てかけてあった農具に足をとられてしまい、地面に倒れこむ。同時にガラガラと大きな音を立てて崩れててしまう農具。


 すぐに逃げなくては、慌てて立ち上がろうとすると、彼のズボンのポケットから以前、父に森に連れて行ってもらった時に見つけた蒼い石が転がり落ちる。


 オーネスにとって大切なものだからだろう、早く逃げなくてはという考えが一瞬頭から消え去り、その石を追いかけ、拾う。

 

 石の様子を見てみれば傷ついたり、割れたりしていないようだ。ほっと一息つくオ―ネス。

 

 その行動は平時であればそれは問題なかった、しかし、今は賊が侵入している最中である。


「お?音がしたから来てみればこんなところにガキがいるじゃないか?」


 聞いたことのない声だ。


 恐る恐る後ろを見てみると、顔に大きな傷を持った大男がこちらを見ている。大男はニタリと底冷えのする笑みを浮かべ、大剣を引きずりながらじりじりとこちらへ近づいてくる。


「あ、あ、あ……」


 ぺたり、と、尻もちをつく。


 普段であれば痛いと声を上げてしまうような出来事であるが、今、目の前の光景ににそんな事を考えている程の余裕もない。


 逃げなくては、と、頭では思ってはいるものの、膝が笑っており、力を入れているつもりが、全く入れられていない。


「やだ、やだ……」


 フルフルと首を振りながら、泣き出すオーネス。


 目の前の者を見ないで済むように、また、怖いものから自分を遠ざけようとするように両手を前に突き出す。


 しかし、現実は無常。


 そんな事をしても、男は止まるはずもなく近づいてくる。それどころか、その様子を見た大男はただでさえ恐ろしくてたまらなかった笑みを不気味に深める。


「そうだなぁ、死ぬのは嫌だよなぁ? でもお前が悪いんだぞ? ここでうずくまっていれば俺に見つかることもなかったかもしれないのにわざわざ大きな音を立てちまうんだからなぁ。ママに教えてもらわなかったか?  人が来ているときは静かにしなさいってなぁ」


 言い終わる頃には大男はもう少年の視界いっぱいに広がり、視界を手で覆い隠すこともできなかった。彼は恐怖のあまり、その光景から顔を背け、瞼を閉じ固く視界を閉ざす。


「あぁ、久しぶりだなぁ。ガキをバラすのは、こいつはどんな感触がするのかなぁ」


 ニタニタ笑う大男がそのような事を言って楽しそうにしているが、オ―ネスはもはや聞いていない。


 ただただ、ぶるぶると震えている。


 そんなオ―ネスの様子に満足そうな顔をしながら大剣を大上段に構え、そして、オーネスの身の丈よりもなお大きい大剣を振り下ろそうとして――


 ドスッ


 うっ、という大男のうめき声がしたかと思うと、どさり、とその場に倒れこんでしまった。


「大丈夫か? 坊主」


 またしても、聞いたことのない声。自分を殺そうとする人が増えたのか、一瞬、考えたが、その声はオーネスを気遣うような声色であった。


 オーネスの心の中はいまだ恐怖に侵されたままではあった。しかし、その声色のおかげで恐怖よりも何が起きたのかという興味がわずかに勝り、恐る恐るながらも目を開ける。


 オーネスの視界に広がったのは朱。


 夕焼けよりも、なお朱く、まるで自身を巡る血のようなその色はオ―ネスの目に鮮烈に飛び込んできた。先程、殺されかけた状況であるのに、彼は不思議と朱い男から目を離すことができなかった。


 それは実際の時間にしてみれば3秒にも満たないわずかの間。


 しかし、彼の心の中に確かな憧憬を息づかせるのには十分な時間であった。



****************************

[TIPS]

■収穫祭の儀礼

収穫祭には3つの儀礼が執り行われる。それは以下の3つ。


1.呼火の儀

井桁の形で積み上げた薪に敷いた藁に火をつけることで火を上げ、これから収穫祭をすること  

を神に知らせる。


2.捧実の儀

火をつけた後に薪の前に料理を並べ、今年の恵みを神にご覧いただく。


3.謝希の儀

村の司祭がその前にて祝詞を唱え、参加者全員が豊穣の感謝の言葉と来年の豊穣を祈る口上を述べる。


■トラート

村の近くで獲れる川魚。

普段は、単純に焼くだけでもであるいは干物にして保存食にすることが多い。

村の人々に日々の潤いを与えてくれる美味である魚。


収穫祭の時期は村全体でお祝いをする事もあり様々な調理法で並べられる。

塩を使って焼く、ソ―スを混ぜた甘じょっぱい味付けの出汁で煮る、軽くあぶった切り身を塩や野菜と混ぜて和えるなどの調理で振舞われる。

これらの調理方法は毎年、村の誰かによって改変が行われ、そのコンテストも一つの目玉になっているようだ。

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