第9話

 家にも帰りたくなくて、電車に乗って着いた先は江ノ島だった。


 本当は文化祭の代休で佐藤愛子ともう一度江ノ島もいいなって思っていたのに、今は一人。

 なんだかその事実に色んな感情がごちゃ混ぜになって江ノ島まで続く橋にもたれ掛かって海を眺めていた。

 そう言えば夏には来れなかったなって今初めて気がつき、その事実に苦笑した。

 一番この場所が活気に満ちているときに来れなくて、前回も、今回もここに来る時は何故か季節外れなような気がする。

 勿論、観光地なのでいつ来たっておかしくはないのだが、泳ぐ人も日光浴する人もさしていない海岸はどこか寂しげに見えた。


 ローファーも靴下も脱いでカバンに放り込んだ。

 なんとなく砂浜を歩いてみたくなったから。


 海岸沿いを当てもなく歩いていると、大学生くらいだろうか、男女のグループが砂浜でサッカーをしていた。

 ビーチサッカーってやつなんだと思う。

 通りすがりに見たそれがなんだか楽しそうで、階段状になった場所に腰掛け、なんとなくそれを眺めていた。


 心配すると困るからと一番最初ねぇねにちょっと嫌なことあったから海見てくるってLINEだけは入れておいた。

 当然の如くねぇねだけではなく、佐藤愛子からも長富杏香からも、茅ヶ崎彩音からも連絡があったし、なんなら佳奈美からまでメッセージがはいっていた。

 前回のように無視しているとまた凄く怒られそうなので、一人に一度は回答していたが、あまりに通知が入るので後は無視。今は申し訳ないけど、構わないでおいて欲しいとだけは伝えた。

 ここに到着した時に、長富杏香に本当に申し訳ないって送ったのを最後に携帯の電池が切れた。


 携帯を見て時間を潰す事も出来ないし、小説などを持って来てもいない。

 帰りの交通費を考えると飯も大したもの食べれそうにないし、なんなら飲みもの買う方がいいよなって思いもあって、昼食は取らないことに決めた。


 そんな状態だったから、今、目の前でやっているるビーチサッカーを観戦するのはそれなりの娯楽だった。

 天気がいい秋晴れの海とサッカー、どちらに焦点を合わせる事なく、なんとなくどちらも眺めながらぼーっとしている時間はそれなりに気が紛れていく。


 サッカーが終わったのか、休憩なのか、グループのうち数人が楽しそうな会話をしながら、俺が座る方に向かって来ていた。

 今気づいたのだが、俺の座る少し先に荷物が置いてあって、それが彼等のものなのだろう。

 彼等と別の人たちがまだ続けているビーチサッカーを眺めながら、先程購入したペットボトルに入っているブラックコーヒーをくぴりと飲む。

 痛くないなんて強がっては見たものの、口の中が切れているようで、ほろ苦い液体が少しだけ傷口に沁みた。


「なんか冷やすものあげようか?」

 チラチラとこちらを気にしてる素振りはあったと思う。

 ただ、今は背景の一つだと思って放っておいてくれって思いが強かった。

 だからなのか、心配されるように話しかけられたので、えっ?て声になってしまった。

 声をかけてくれた人を見ると、今しがたこちらに歩いて来たグループの男性だった。

 その人に話しかけられたのをきっかけに、他の人とも会話が始まる。

 自分で全く気づいていなかったのだが、殴られた顔が腫れているようだ。


「あ、大丈夫です。はい。大丈夫です」

 遠慮というより、どちらかと言えば拒否。今俺に関わらないで欲しいとさえ思った。


 心を少し開けたつもりになって、あの場所で調子に乗ったせいで傷つけてしまった人がいる。

 俺みたいなやつが何を調子に乗っていたんだ。

 名前も知らない先輩と喧嘩しながら言ったセリフは全て自分に向けて発言していたのかもしれない。


 大丈夫と言ったのに、ほいって渡されたのは、クーラーボックスから出した半分凍っている水だった。


「見てただけなのに、なんかすいません…」

 笑いながら気にすんなって言われるが、いやいや気にするだろ…


「高校生?喧嘩して学校サボっちゃった?」

 最初に話しかけてくれた男性じゃない女性からそう聞かれ、そんなもんですって微苦笑を浮かべた。


「ビーチサッカーやったことある?」

 これまた違う男性に聞かれたので、ないと答えた。やってみるかとも聞かれずホッとしていたが、楽しいですか?って質問してしまった。


「勿論楽しいけど、それだけじゃなくて、こうして時間作って、集まってボール蹴ってると、嫌なこと忘れられるからさ」

 これまた違う男性。


「じゃあ行こうか」

 もう一人いた女性に言われ、へ?って声が出てしまう。

 君さっきからえ?とかへとか?感嘆詞で喋るね。って笑われた。

 そんなやりとりをしていると、やるって言ってないのに行くことが決まったらしい。

 本当は誘って欲しかったんだと思う。一人勝手に傷ついたつもりになって、誰とも関わりたくないって言いながらも、誰かが構ってくれる心地よさを知ってしまった。

 今は、一人だと寂しくて、でもそんな自分が許せなくて


「制服なんでやっぱ遠慮します」

 心に思ってもいない事を口走ってた。バカかありがとうございますだろうが…

 下を向いてしまった俺に


「だれか余分に海パン持って来てないの?」

「おーあるよ」

 完全に外堀を埋められてしまい、やる事が最終決定。すごく嬉しかったのが本音。

 なんだか一人で感傷的になってるのが恥ずかしいと思え、意を決して制服のズボンを脱ぎ、パンツの上から借りた海パンをはいて、上は脱いだ。


「おー以外といい体してるね」

「細マッチョじゃん」

「サッカーはやったことあるよね?フットサルは?」

 質問に適当に返しながら、その場所に行く。他の人たちにも紹介され、冴木ですと名前を告げた。

 やっぱり大学生らしく、サークルの集まりなんだとか。

 ルールはフットサルみたいな感じだと教えられ、ゲームスタート。

 砂場で足がうまく運べなかったり蹴れなかったり色々制約があるけど、それでもみんなに上手い!って絶賛されながら何試合かこなしていく。

 嫌なこと忘れはしなかったけど、初対面の人たちしかいない中みんなで大笑いして、それでもやってる最中はそれに集中していた事もあって、あっという間に時間は過ぎていってくれた。


 日が傾いて来た頃、そろそろだなって解散となり、海パンは洗って返すから連絡先を教えてくれとお願いしたのだが、気にするなとそのまま返却することになった。

 ここに来て些細な事だが人の優しさに触れてしまった。

 みんなと握手をしてお礼をいい砂を払い、Tシャツとワイシャツ、制服を着替えていると、一番最初に声をかけてくれた濱野と名乗った男性から家はどのへんなんだと聞かれたので場所を伝えた。

 すると


「私のアパートもそこが最寄り駅」

 喧嘩?って話しかけてくれた澤田さんって女性とどうやら家が近いらしく、何故か同じ方向の人たちと一緒に帰る事になってしまった。

 途中駅とかまでは他にも何人かいたのだが、高校生送り狼するなよって言ってきた人と別れた後は、かなりの時間を澤田さんと二人きりだった。初めて会った女性と二人きりとか、俺的にはなんとも微妙な空気に感じる。

 澤田さんの方はそんな事全く気にした様子もなく、少しの間が開く事もなくニコニコしてずっと話しかけてくれている。

 けど、どうして喧嘩したのかは一切触れられなくて、また違った優しさに出会えて嬉しかった。


 駅に着くとまた一緒にやろうよって連絡先を交換。俺のIDを教え、彼女の携帯を覗きながらそれですと伝えた。

 今電源切れちゃってるから後からLINEしますねと約束してその場を後に。

 何度か振り返ると彼女も手を振ってくれていて、そのたびに頭を下げた。


 すっかり日も落ち、重い足取りでマンションのエントランスを抜ける。

 玄関ドアの前で深呼吸を二度三度繰り返してから、玄関を開けた。


 玄関まで夕飯のいい匂いがしてきてて、音に気づいたのかねぇねが走って来た。


「おかえり、たつ」

 目に涙を浮かべた小春は前と一緒で特に怒る事もなく、まだ腫れているであろう俺の頬を優しく撫でてくれた。


「ゴメン……なさい。勝手しちゃってゴメンなさい。俺学校退学になるかもだ」

 最後は笑って言うつもりだったが、うまく笑えなくて、口に出して言ったらそれが現実になるかもとやっぱり怖くて、涙が溢れて来た。

 大丈夫、大丈夫だよって泣きながら俺を抱きしめてくれるねぇねの優しさに、余計申し訳なくなって来て、もう一度だけごめんなさいと告げたあと、もう声に出すことはできなかった。

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