第10話

 田原に呼び出されて先程後にした教室に戻ると、三年生の男子生徒に龍臣が顔を近づけて何か言っているところだった。


「冴木!」

 そう叫んだ私の声に反応したのか、はなからそうするつもりだったのか、彼から離れると見たこともない怒りの形相でこちらに歩いてくる。

 思わず息を呑んでしまうほどの迫力に一瞬たじろいでしまった。

 私の横を通り抜けようとした時に、教室に佐藤愛子と望月朱美が入って来て大きな声で名前を叫んでいる。

 それを振り払うかのように去っていく龍臣。

 もう一度悲痛な叫び声をあげる愛子の声も無視するかのように教室を出て行ってしまった。

 扉を勢いよく閉める音で我に返った私は、彼の元へと急いで追いかける。

 彼の肩を掴み進行を止めさせようと力を込めるが、先程とは違った怒りの形相で睨みつけられる。


「今は冷静じゃないから…」

 そう言った龍臣は彼自身気づいていないだろうが、先程とは違い今にも泣き出しそうな顔で、それを見たら居た堪れなくなって、名前を呼ぶのが精一杯で、手を離してしまった。


 私の顔を見た龍臣はもっと心痛な顔をしていて、だいたい何があったかは聞いていた私は、多分涙を堪えるのがやっとだった。


 去って行く龍臣に声を掛けられる術もない自分に、助けてやるって約束したのに嘘をついてしまった自分に、龍臣に再びあんな顔をさせて自分に腹が立って仕方がなかった。


 実行委員が行われている多目的室に戻ると龍臣を殴ったという生徒に、愛子ではなく望月朱美が烈火の如く怒っている。


「あんたも学校の、生徒の代表の生徒会長のくせに、ここにいる仲間一人守れないで何をしていた!」

 脇に呆然と立っていた田原にまで泣きながら激怒していて、それを見て、私は少し冷静になれたんだと思う。

 その場所に近づき、両手で顔を覆っている愛子の肩をたたく。

 彼女の目を見てそこを退くように伝えた後


「望月。落ち着け。とりあえず文化祭が始まるまでもう少し時間がある。

 目撃したものに衝撃の大きさがあったものもいるだろう。とりあえずここでの事は全員の話しを聞くまでは他言無用、話題にもしないで欲しい。

 今日の文化祭の為の準備で忙しいのも分かるし、この事で気分が害された子もいるだろう。

 だが皆んなの話も聞きたいので今暫くここを離れずに待ってもらってもいいだろうか?」

 全員の顔を見渡す。

 暴力と言うもの初めて目の当たりにした生徒もいただろうし、泣いている愛子や望月に感化されたのもあるだろう。

 泣いている生徒が何人かいた。

 それでも全員が了承してくれ、該当者の生徒を連れ、隣の空き教室へと移動した。


 彼から一通りの話を聞いた。出てくる言葉は自分の擁護と龍臣、愛子への不満や叱責ばかり。自分は何一つ悪くないと繰り返し続ける。


「私も一通りの話は聞いている。二人は私のクラスの生徒だし、彼等のことは君よりも長い時間接している事を前提に話すがいいか?

 まず、あいつらが自分たちから喧嘩を売るような事も、自分がやったことは棚に上げて不平不満を繰り返す事もない子達だっていうのを私は知っている。

 これは私のクラスの生徒だからとかの贔屓でもなく事実を述べているだけだ。

 そして君が、君だけが彼に暴力を振るったことも周りの人間は皆見ている。

 髪を掴んで振り回された?

 胸倉を掴み、殴りかかってくる者を退けただけだろ!

 掴まれた頭が痛い?倒されたときに打った背中が痛い?

 君がその拳で殴った相手は痛くないとでも言うのか?

 暴力を振るった事実は変えられないし、今までこの学園でそんな事件を起こした生徒もいないが、生徒手帳にも明確に記入してある通りこれは退学に該当するって事は分かっているのか?」

 話し始めは自分の批を認めずいた彼も、置かれている立場に気付いて来たのか、顔色は白くなり退学という言葉で震え出してしまった。

 贔屓ではないなんて言いながら、間違いなく贔屓している。

 教師失格かもしれない。

 それでもあの二人を守るためならば…

 そうなっても構わないと思うくらい贔屓してやる。


「携帯を出せ。今からいいと言うまではここから一歩も出ることなく反省をしていろ。

 お前のような奴は信用していない。途中誰かに連絡取らないように携帯は没収だ。

 皆んなの話しを聞いてから君の処分について考える。先程も言ったように、他言無用だ。幸いな事にこの場所は今はほとんど使われる事がない旧校舎の端っこだ。実行委員の面子意外誰もいなかった。裁定がくだる前に、もしこの話が何処からか漏れたら、一番ヤバイのはお前だと思えよ」

 最後は完全に脅しだ。

 震えたまま下を向き、首を垂れて返事をした。


 多目的室に入ると、皆の目が一斉にわたしに向けられた。

 この教室がかつて音楽室だった事もあってか、多少の防音がされていたのも良かった。


「ことの始まりは佐藤と冴木の痴話喧嘩から始まったで真違いないか?」

 輪になって座っている生徒たち。

 少しだけ余裕が出てきていたし、皆んなを落ち着かせる意味でも笑ってみせた。

 一番心を痛めているであろう愛子は、その言葉で顔をあげ、じっと私の方を見ている。

 彼女の目を見つめ頷いてやると、軽く息を吐き立ち上がり、皆に深々と頭を下げ、謝罪をした。


「私が、冴木君に色々と不満を言ったことが今回の始まりだと思います。

 皆んなに迷惑をかけた事、ここに居ない冴木君にもですが、彼の事を殴ってしまった先輩も、正義感からの行動だったかもしれません。

 なので、二人も含めて全員に謝罪をしたいと思います。本当にごめんなさい…」

 それを聞いた皆が口々に佐藤は悪くないと言い始める。一方的に暴力を振るったやつが悪いのだと。

 愛子はその言葉に驚いた様な表情をした後、目を閉じて首を左右に振っている。

 隣の教室にいる奴は自分の擁護しかしなかったが、愛子は悪いのは自分だと謝れた。

 だからこそ彼女は皆からのこの言葉などは要らなかったはずなのだ。

 擁護ではなく、叱責してほしかったに違いない。

 自分で真違いを認めることができる奴は、褒めてなんてもらいたくないものだ。


 愛子の隣にいた望月が立ち上がり、肩を抱いてやっている。

 そのまま座る事なく愛子の方を向き話し始めた。


「佐藤さん、あなたが悪い。もちろん暴力に訴えたあいつが一番悪いけれど、その原因を作った佐藤さんが悪い。佐藤さんは冴木君の優しさに甘えてるからこうなったのを自覚しなさい。

 それから側にいてそれを止めることも出来なかった田原君も悪い。暴力なんて世の中に必要ないものかもしれないけど、それを止めることも出来ないで私の隣に立たないで欲しい。

 佐藤さんからだいたいの話しを聞いてるから知ってますが、長富先生も悪い。

 ちょっとした悪戯だって、バタフライエフェクトのように、こう言う嵐みたいな事態になる事だってあるんです。

 ここまで皆と一緒にやって来たのに、こう言う事になってしまって、皆を纏められなかった私が本当は一番悪い……みんなにこんな思いをさせてしまって本当にゴメンなさい」

 途中から涙がポロポロと流れ落ちても、詰まる事なく自分の意見を話した望月は、最後の最後で堰を切ったように嗚咽に変わってしまった。

 愛子と二人抱きしめ合いながら泣いている姿は、羨ましいとさえ思えた。


「すまない。本当にすまない。ことの原因は私にも多大にあるのは自覚しているし、その件については冴木にもちゃんと謝罪するつもりだ。隣の教室にいる彼も三年生だ。彼の将来にも関わってくる。

 今回の事を見て許せないと思うものもいるだろうが、佐藤も言っていたように、彼の正義感からの出来事のようにも思える。無論それは間違えた正義感であり、暴力なんてものを認める訳にはぜったいいかない。

 勿論、実行委員は今日限りで辞めさせる。

 だから、このまま事件を明るみに出さないで、それでお仕舞いと出来ないだろうか。勿論冴木を殴ったことは謝罪をさせるつもりだし、冴木本人が許せないと言うのなら学校としてきちんと問題にする。

 だが、多分そうはならないと思うから、今日のことは皆の心にしまってくれないか。

 本当に申し訳ないのだが、それで許してくれ」

 そう言って頭を下げた。

 一年生の守谷がそれがいいと思います。と言った言葉を皮切りに皆が同意してくれた。


「ありがとう」

 安心したのか涙が出て溢れてしまった。

 こんな姿を、涙を見せるなんて、本当に教師失格だ…


 隣の教室に戻り、内容を伝える。

 安心したのか涙を流しながら謝罪を初めて言えていた。


「冴木が来たら心から謝罪をしろよ。冴木が許さなかったらお前は退学になることもあるからな。今回の処分として、ひとまず実行委員はクビだ。それは諦めろ。佐藤はお前の正義感からの行動かもってお前の事まで庇ってくれていたが、そうではないだろ。ただの嫉妬だ。佐藤と仲良くしていた冴木に対しての醜い嫉妬だ。

 それをよく弁えて今回の事を経験に変えろ。そして誰にも喋らないと約束しろ。

 これがもし明るみに出たなら、お前も退学になるだろし、お前を庇った私も責任取る事になるだろう。

 卒業するまで、誰もこの事を話さないでいてくれる事を願うんだな」

 最後はもう完全に脅しだ…

 それなのにありがとございますって泣いてお礼を言われる。こいつも根は悪くないのだろう。

 生まれて来た時からの悪なんてこの世にいないし、悪がいるから正義を貫ける。そう考えると正義と悪なんて表裏一体なんだろうなと思った。


 あー…私は人に物を平等に教えるような人間にはなれない。

 正義を振りかざしてる様に見せて、実際は隠蔽工作だ。完全な悪だよな…

 彼の事を庇うなんて言ってはいるが、本当にはあの子達の心をこれ以上傷つけないで欲しいという願いしかない。

 教師になんてなるもんじゃない…

 龍臣、私のこと許してくれるかな…


 窓の外に見える空はとても高く、鱗雲が少し広がっている。

 それがとても秋らしい青空のように感じて、意味もなく、今が夏じゃなくてよかったと思えてしまった。

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