第30話
びっくりした。
猛獣のように低い姿勢で走り始め、体勢が起き上がってきたと思ったら風に乗って飛んでいるように走っている。
人間ってこんな風に走れるものなのかって衝撃だった。
200mトラックじゃなくてちゃんとした400mトラックだったらどれくらいのタイムが出るんだろうって陸部でも話題になった。
だって全国大会レベルのタイムなんだから当たり前だよね。
顧問の高橋先生もすごく興奮していて絶対陸上部に入れろ!って息巻いてたのに、うちの担任の長富先生と話した後は何も言わなくなっていた。
美人の長富先生に何か弱みでも握られているってのが陸部での通説。
じゃなければあの才能を誘わないなんてありえない。
体育祭終わったあと、一年生の時も同じクラスだったって言う半田と、一生懸命勧誘したんだけど、面倒臭いとか疲れそうとか言って、いい返事は全くもらえなかった。
半田は本人嫌がってるからそっとしておいてあげようよって言ってきたけど、私は絶対嫌だった。
あの走りをそばで毎日見たい。
ううん。彼のそばにいたい。そう思っている自分に気づくのそんなに時間は掛からなかったから。
彼のことは体育祭で彼が走るまで全く意識したことがなかった。
なんか、いつも居るのだか居ないのだか分からない位の存在感しかなくて、佐藤さんと一緒にやってるクラス委員も、分かるくらい嫌々やっていて、俺が代わりたいって声も沢山聞こえてきてて、そんな誰もが憧れる佐藤さんの隣の席にいるくせに何とも思ってないような感じで、あんな美人の隣にずっといたら私が男だったらそれだけで惚れちゃうって思う席なのに、あの人ってなんかいつもぼーっとしてるなってそんな程度にしか思ってなかった。
今日こそは!って勧誘しようと昼休みとか彼を探しても、いつからかいない事が多くて、昼休みどころか普通の休み時間もいないことが多くなって、佐藤さんにケンシ知らない?って聞いたら困った顔してた。
私のこと避けてるのかなってさすがに気がついて、もう声かけるのはやめた。彼に嫌われたくはなかったから。
さすがに鈍い私だってそれくらいは気づくよ。
私は前の方の席だったから授業中の彼の顔はよく分からない。プリントを配る時などに振り向くと、佐藤さんと話していることが多いのに気づいた。
佐藤さんもケンシも、お互い前を向いて、そんな素振りは全くないのに、口がぼそぼそと動いてるのが分かり、佐藤さんは大抵教科書で顔を半分隠して笑っている。
なんかお互い興味なさそうなフリしてるくせに、実は仲良しなんじゃないの?って疑いはじめてた。
佐藤さんとケンシって付き合ってるのかな?ってお昼ご飯を食べてる時に呟いたら、みんなして大爆笑。
一個上の超絶イケメンな先輩とか、バスケ部の誰々も水泳部のあいつもみんな断られてたよ。どこか出かけることすら叶わないって誰かが嘆いてたかも。
そんな佐藤さんが冴木君と付き合うわけないじゃん。体育祭の時はちょっとかっこよこったけどね。って言うのがみんなの総意だった。
たしかに佐藤さんが誰かと付き合ってるって聞いたことすらない。佐藤さんを好きっていう人は沢山聞いたことがあるし、二年生になってからもよく告白されているのか、呼び出されているのを見かけた。
髪の毛も綺麗で顔も綺麗で、スタイルも良くて頭も良くて、運動神経も良くて、おまけにみんなに優しい。あんな完璧な人見たことない。嫉妬すらおこがましい。
女の私だって大好きになるくらいの人なのに、男で好きじゃないなんて奴がいるわけない。
それでも佐藤さんのとなりに立つケンシはいつも不満顔。議事録書いてる佐藤さんにまだ終わらないの?って不満顔。そんな男いる?あの佐藤さんによくあんな不満顔出来るよね。
でも佐藤さんはなんだかいつも嬉しそうで、誰もいないと思っていた教室に入ろうとしたら二人がいて、その時の佐藤さんの笑顔は見たことがないくらい可愛くて、その笑顔をいつも見ているケンシが羨ましかった。
遠足のときケンシと一緒に回りたかったけど、クラス委員の仕事とかでダメで、あ!なら解散になった後ならいけるんじゃないって色々調べてた。
解散場所になってた江ノ島頂上にお洒落なカフェがあるとかで下見にしておこうと思って、友達たちと別れ一足先に江ノ島に着いた。
入場料払ってカフェを見に行こうとしたら、ケンシにもたれ掛かって泣いている佐藤さんとオロオロしている長富先生がいた。
その中には入っていけなくて、見ちゃいけないもの見たような気がして、咄嗟に隠れた。その時のケンシは髪を上にあげてたからケンシの目も見えてて、凄く優しい眼差しで彼女のことを見てて、あの佐藤さんの頭を撫でてあげていて、私もあんな顔でケンシに頭撫でられたいって嫉妬した。
解散になったあと佐藤さんがいない事に気づいて、泣いていたし具合でも悪いのかなって
「佐藤さんはどしたの?」
って聞いたらケンシに嘘をつかれた。佐藤さんいないならってケンシを誘った。髪の毛を上げて私の事をじっと見てくれるケンシは本当にカッコよくて、ドキドキが聞こえないか心配で、本当は頭撫でて欲しかったけど、多分してくれないから、ケンシの髪の毛触ってみた。
ぱっと後ろを見ると、佐藤さんが近づいて来るのが見えたから知らないふりして彼の腕を組んだ。私のドキドキ聞こえませんようにってギュッと掴んだ。
佐藤さんは驚いたような、悲しそうな顔をして近づいてくる。佐藤さんたくさんいろんなもの持ってるんだからケンシ頂戴って、佐藤さんの腕にしがみついて、訴えた。
佐藤さんのことも大好きなのに嫌みまでも言ってしまった。
それでも佐藤さんは笑ってて、だけどちょっと困ったような感じで、佐藤さんを困らしちゃったって自己嫌悪になって。
結局ケンシは私と一緒に来てくれなかった。性格が悪いから嫌われたんだと思った。
しばらく話しかける事も出来ない日が続いて、そんな時ケンシの方を見ると、だいたい佐藤さんと話している。あんな仲良さそうに話しているのに、何で二人が会話してることすら誰も気が付かないの?
明日から夏休みってときケンシと一緒に陸部の大会に出たいって本気で思って、予定聞いてみたらめっちゃ嫌そうな顔。
そんな嫌そうな顔しないで…
じゃあさ…
って勇気を振り絞ってデートのお誘いもしてみた。
でもね、その時の私狡いの。
佐藤さんが男に言い寄られてるの知ってて、わざとケンシにそれ見せるようにして。
「ケンシは佐藤さんが誰かに誘われてもなんとも思わないの?」
って
ケンシは笑いながら何とも思わないって言ってたけど、じゃあねって帰る時、凄く無表情で、佐藤さんの脇をわざと、絶対わざとそこを通って、佐藤さんに手をあげて帰っていった。
なんか自分が嫌で部活も出たくなくて、どうしようかなって下駄箱行ったらケンシがいたから二言三言話して、
「ケンシってさ仲良くなるとちょー面白いよね。私今フリーだからさ告白しちゃいなよ。こう見えて私彼氏出来たら尽くすほうだし。体育祭の後から、ケンシって意外と良いよねって声も結構あって、陸部の人からもちょー聞かれたし、だけどいつも佐藤さんといるからケンシって佐藤さん狙いだって思ってたけどさ。違うなら…」
そう言った私に一瞬びっくりしたような顔をしていたと思う。
ケンシって目が見えないから何を考えているかがよく読めない。
「俺も前から茅ヶ崎さんのこと好きでした。って言ったらちょーキモいとか言うオチだろ?大丈夫!俺は夏の魔力に今のところやられてませんから」
そう言って笑ってた。今度は無表情ではなかった。好きでしたって言われた時は嬉しくて泣きそうになったけど、冗談って取られちゃって…だから私も悔しくて、バレちゃったって嘯いた。
もうその日は部活なんて出る気が全くなくて、具合悪くなったって帰宅して家ですごく泣いた。
今まで彼氏なんていた事ないくせに私モテるのよアピールがいけなかったのかな?
嘘つきだからダメだったのかな?
佐藤さんみたいに可愛くないから嫌われたのかな?
佐藤さんは狡い。あんなに可愛いのに私が好きなケンシまで虜にしてる。
たくさんカッコいい人に告白されてるんだから付き合っちゃえばいいのに。
私も佐藤さんみたいに可愛かったらケンシは私のこと好きになってくれたかな。
佐藤さんみたいにスタイルがよかったら好きになってくれたかな。
佐藤さんみたいに…
あんな女大嫌いって口にしてみたら、そんな嘘を言葉にした自分がすごく嫌になって、あんな人を嫌いになれる人なんかいるわけないじゃんって余計悲しくなって、こんなんだからケンシも私の事好きになってくれないんだろうなって気がついて、もう夏なんて早く終わればいいのにって思った。
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