下
それから、私と坂木は街をあちこちうろついては撮影していた。きょろきょろと場所を見つけるのに忙しいらしい坂木はどうにも落ち着きがない。
すれ違うカップルが坂木を見て笑う。「なんであんなとこ」なんて言って彼氏に笑いかける彼女。2人ともたぶん、大学生くらい。サブカルチャーの空気感を持ちながらメインストリームで活躍するミュージシャンになりたそうな風貌でカメラを提げた彼氏。今モテる顔立ちと今モテるメイクを施した、何かのモデルかミスコンでどうにか大っぴらに「美人」の称号を得て流行りの仕事の足掛かりを得たそうな彼女。きっと私と坂木と同じことをしているはずのふたり。恥ずかしい気持ちよりも、私は憤りみたいなものを覚える。あんたたちだって、わかるはずのことなのに。
坂木が見たもの、坂木の視線の先にあるものを私も見る。坂木がそこに見たいものを想像して、私がそこにどういたらいいのかを考える。たぶん、言葉にしたらこんなことをやっていた。本当なら、もっと大人なら、ああしたいこうしたいと言葉を交わして、どちらかが作りたい写真に近づけていくのかもしれないけど、私たちにはそんな余裕はなかった。
坂木は撮影にいっぱいいっぱいで、私は私で写真のことなんてわからないし、急に入り込んできた考えやモノの見方を手放さないようにすることで必死だった。
ただ、気になった場所で最低限の撮り方が共有された後、うまく撮ることとうまく撮られることが何とかかみ合うように、ぎこちなく撮影が続けられた。何枚か撮っては坂木が確認し、坂木の変え方に合わせて私も変える。たしかに、あの大学生カップルでなくても笑ってしまうかもしれない。でも、それでも坂木と私で作る写真は、そういうやり方が精一杯だったんだと思う。
私は坂木についていきながら、この時間が坂木だからなのか、カメラマンはみんなこんな感じなのかな、なんて考える。どうなんだろう。やっぱり、大人は下見なんかして場所を決めていて、てきぱきと撮っていったりするんだろうか。それとも普段女性と話す機会のないおじさんが、ここぞとばかりにモデルに話しかけるんだろうか。坂木ならまだ話で時間がつぶれるのもいいけど、それなら探し回っている坂木についていくだけでもいいなと思う。ヒールじゃければ楽だし。おなかはすいたけど。
坂木は立ち止まって、一歩二歩ずれながら見回している。おおよそのあたりをつけたらしい。私も一緒に眺める。ぱっと見ありふれた街の一角だけど、坂木なりの見えているものがあるんだろう。坂木が指定した場所に位置取って、それっぽい格好をする。レンズ越しの坂木の視線を受けて私は感じたようにポーズを変える。これがあっているかわからないけど、坂木との撮影に慣れてきている自分がいた。
周りの視線はもう、気に留めなくなっていた。私は今ここにある景色と、坂木の視線の間で、坂木の写真が見つけ出したい世界を引き出すことのできる場所を探した。どんな世界があって、どんな姿でいればそこにいることができるのか。坂木の視線や一挙手一投足を予兆にして、手さぐりに感じ取ろうとしていた。
「ーーごめん、夢中になりすぎた」
不意に坂木がそんなことを言い出して、カメラを下ろした。
「本当にごめん、こんな時間まで」
通りの向こうでイルミネーションが点灯し始めていた。もうそんな時間なんだ。
気づけば、目ざとい大人たちがもうスマホを構え始め、坂木が持っているカメラよりがっしりしたものを構え始めている。私は自然と、坂木のほうに向きなおっていた。
「撮らないの?」
私がそう聞くと、坂木はなんだか戸惑ったようで、自分のカメラと、通りの街路樹を埋め尽くすイルミネーションを交互に見ている。
何を、迷ってるんだか。
「撮ってよ」
「いや、僕こういうのは……」
「撮ってって言ってるの。いたって普通の子が、キラキラしたイルミネーションの前にいて光に埋もれそうだけどそれでも埋もれないでそこにいる。人の存在感のすごさ。坂木が撮ってみたくて、坂木なら撮れるものじゃないの?」
後半説得するようなことを一息で言ってしまった。自分でも何を言ってるのかわからない。でも、今日一日一緒にいる中で、私が感じた坂木の撮りたいものはたぶんそういうことだ。目の前に求めているものがあって、迷うことなんてない。
私は坂木を引っ張るようにイルミネーションの近くに連れていく。坂木がきっと撮りたくなる場所を探す。見回して、坂木が見通す世界と同じように見えるものを探す。
「ここにしよう」
場所を決めた私は振り向き、坂木に声をかける。戸惑っていた坂木の表情が、その場所を見ているうちにまじめな表情に移り変わっていく。
いい表情だな、と思う。
坂木がカメラを持ち上げ、何やら操作する。カメラの設定を変えているらしい。じきに、坂木の手が止まり、カメラを構えた。私も、カメラの前で撮られる準備をする。喧噪の中でもシャッターの音は聞き取れた。
数枚をレンズに向いた状態から、ふと私はイルミネーションのほうを向いた。キラキラした光の粒を見上げる。自分がいいと思う表情を浮かべる。レンズのほうを見なくても、坂木の今見たい世界に、どんなふうにいればいいのか、少し感じ取れた気がした。
坂木がカメラを下す。満足いくものは撮れたようだ。ポーズをやめて、私は坂木に近づく。
「撮れた?」
「うん、たぶん、すごくいいのが撮れた」
あれだけ迷っていた坂木が、一仕事終えたようにすごくすっきりと、充実した表情をしていた。
「大崎が撮らせてくれて、ほんとうによかった」
本当に満足そうな笑顔で、そんなことを言われたら気持ちの落ち着け場所が一瞬わからなくなる。案外率直な言い方をするんだな、なんてわざと客観視したようなことを思う。そして、そっか、なんてそっけなく答えてしまう。普通に言えばいいのに、自分の言いたいことを言うまでに変に間をあけてしまった。
「坂木さ、坂木がカメラうまいかどうかわかんないけど、続けなよ。今日みたいなモデルなら、私付き合うし」
また、あの瞳が見たい。私は改めて坂木の顔を見る。今はあの瞳をしていなかった。けれど、普段通り地味で世の中に合わせているようでちょっとずれた格好に、うれしそうで充たされているような、はしゃぐものとは違う楽しさが宿った瞳をしている。
そういうのもいい。でもやっぱり、すぐにはこんなこと言えない。
坂木はいつもどおり、少し戸惑うように私の言葉にこたえる。
「え、……あ、ありがとう。そんなふうに言ってもらえてうれしい。その、モデルのこととかも」
そして付け足すように、写真は1週間くらいで仕上げをして渡すことを伝えてきた。期待して待ってる、と返して、私は笑いかける。
「また声かけてよ、こういうの。相田みたいな子じゃなくてさ」
今はこのくらいで精一杯だった。
ジンメルのスコープ 西丘サキ @sakyn
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