中
近場で進めようとした坂木に、私は断固反対した。区外で暮らしていると、イベントが盛りだくさんの冬場でもよっぽどじゃないと都心まで出ないから、都心のほうがまだ知り合いに会わない気がする。なんか入園料がいる公園に入ろうとしていたみたいだけど、その分交通費にしたと思えばいいでしょ、と無理やり変更した。
そして当日。どうせなら、と思っておしゃれな街を選んだことに少し後悔していた。乗換案内で調べてもよくわからない。JR、私鉄、地下鉄……経路はわかっても、実際に通るはずのルートが頭に入ってこない。しかも高いし。電車に乗るのも土地勘が要るなんて、都心はなんて面倒なんだ。
迷いかけつつどうにか辿りついた地下鉄の改札を出て、坂木と待ち合わせしている場所に一番近い出口を探した。アルファベットと数字で区切られた出口番号と、行かなきゃいけない場所の目印を突き合わせる。行く場所もルートもわかっているはずなのに、灰色がかった白いタイルの地下道は、迷ったまま出ることができなくなりそうに思えた。すぐそこの階段を上がれば、すぐに地上に出て、私の暮らす所と地続きの街の中に立つことができるはずなのに。
探し当てた出口を上って地上に出た。入れ違いに地下道へ駆け込む冷たい風を受けながら、私は辺りを見回す。広い車道に、両端には同じように広い歩道と隙間なく並んだ背の高いビル。向こうには各方角のビルに取りつきながら、交差点の四方を空から取り囲むような歩道橋が見えた。今日は快晴で、空は白ささえ感じる水色なのに、歩道は薄暗さをそこはかとなく感じさせる。大きな公園のことは知っていても、都内には明るく開けた場所なんてないんじゃないかと思わせた。
「大崎」
声のした方を向くと、坂木が片手をあげていた。奇抜さとは対極にある、地味な紺と黒の出で立ち。今日はカメラなんだろうけど、何を入れているのかと思わせる、少し大きめのリュック。さすがに小学校の時から多少は変わっているけど、イメージ通り。そんなことを思いながら私は後に着いたことを謝る。
「おつかれ、坂木。ごめん、迷って少し遅れた」
「いいよ、時間すぎてないし。ありがとう、今日来てくれて」
屈託なく笑う坂木に、私はさっき感じていた坂木についての感想を意識の奥に引っ込める。評価は変わらないけど。
「まあ、私から行くって言ったしね。で、これからどうするの?」
「まずはあの歩道橋のところで撮りたいんだ。あそこで少し撮って、いくつか場所を回ろうと思ってる」
場所の指定は私がしたけど、実際どこでどう撮るかは坂木に任せていた。細かいところは坂木が決めた方がいいだろうし。だから坂木の説明に対して、別に私の方で異論があるはずもなく、そのまま坂木の案に乗る。休憩とかあるのかは気になったけど。
早速歩き出し、2人で歩道橋に上った。歩道橋も車道ほどではないけど、幅が広くてブロックタイルが規則正しく並んでいる。ちょうど真ん中の部分が吹き抜けみたいに空いていて、四角形の外周を巡るような道になっている。できたのがそんなに前じゃないのか、LEDか何かがはめ込まれた手すりも、柵の部分に取り付けられたアクリル板みたいなプレートもまだ綺麗だ。歩道橋が接続されているビルも商業ビルが多くて、凝ったデザインや色味の外観をしていた。人通りはやっぱりそれなりにあるけど、撮りたくなるのはわかる気がする。まずはここで撮りたい、という坂木の希望に従って、私は内側の空間を囲う柵の前の手近な場所に立つ。坂木は柵の端あたりに立って、ちょうど私を横から見る位置にいた。
「それで、どんなポーズとればいいの?」
「あー、えっと……自然な感じがいいかな」
そういうのが一番困る。どういう状況で何をするのかよくわからないし、普通に友達と撮るのじゃないことはわかるから、とりあえず雑誌か何かで見たことあるような立ち方をしてみる。
私がポーズを決めたところを確認して、坂木がシャッターを切る。
変な緊張感がある。
「……うん。あ、じゃあさ、次はそこのへりに座ってみてよ」
「ん、こう?」
私が手すりの下の少し出っ張ったレンガ造りのところに腰掛けると、坂木はそう、とうなずいてカメラを構える。
とぎれとぎれにシャッターの音が聞こえてくる。どのタイミングでポーズをとればいいか、やっぱりわからない。指の動きでシャッターボタンを押したことはわかっても、いつシャッターが下りて、撮影されたのかが判断つかなかった。相田ならあっさりと把握できて、ちゃんとしたタイミングでちゃんとしたポーズや表情が取れるんだろうか。なんだこれ。まるで相田に嫉妬してるみたいじゃないか。
あー もう めんどくさい。
きっちりとモデルのまねごとをするのを私はやめた。指示が聞こえてくればそれに従うけど、そうじゃないならてきとーにそれっぽいかっこうをして、やりたくなったそれっぽい表情をする。どうせ私はモデルじゃないんだし、そういうらしいことはそれこそ相田みたいな人にやらせればいい。なんか言われたらその時だ。
なんて思っても、坂木はきっと何も言わずに撮るだけ撮って、ひっそりボツにするんだろうな、とも思った。坂木はまじめだとしても、我を通したり自分の思うように他人を動かしたり、そういう押しの強さみたいなのは感じないタイプだ。結局のところ、お互いにできることをできるようにやるしかないんだろうな、と思いながら私はカメラの前にい続けていた。
坂木が動いた。私の横の方向から、私の真ん前へ。今日はスカートじゃないから別にいいけど、普段と違って向かい合うのがなんだか落ち着かない。足が長く見えるようなパンツにしたのが裏目に出てしまった。それに正面に来られると、目線を外すのがなんだかかえって撮影っぽくない気がして、カメラのレンズを見てしまう。
まじまじとレンズを見る。こういうのは初めてだった。大きな丸い黒々としたレンズ。遠目でもわかる。光の加減なのか内側が狭まっているのか、真ん中が色違いになっているように見えて、まるで虹彩のような二重の円があるようだった。シャッターボタンが押されるたび、うっすらとレンズの奥が動いている気配がする。何かの論説文で読まされたように、確かにレンズは眼だった。大きく見開いた瞳。今は機械の力で拡張された、坂木の瞳。
不意にイメージが広がった。私の後ろの景色。私の佇まい、表情、位置づけ。光と影のバランス。色彩のトーン。タテヨコナナメ曲線の無機質な折り重なりから紡がれる有機的な心象。レンズが、坂木の瞳が見ているもの、見たいもの、見つけ出したものが、私と私のいる場所を通して切り出され、その向こうへ広がっていく。坂木の瞳がどこを向いているのか、向こうとしているのかわかる気がした。坂木がカメラを構えたことで見通した世界への視線を理解し、私もその目線で世界を今見通している。
気づくと両手で顔の下半分を覆っていた。頬が熱い。きっと真っ赤になっているんだろう。カメラのレンズを通して拡がった、坂木の意志を持った視線が伝わってくる。自分の見ているもの、自分の見たいもの、今この場でかいま見たもの……。そういったものを見知った知識や覚え込んだ技量でどうにか切り出して、なんとか形に留めようとしている意志が。
学校の部活だっていろいろあるし、そこでみんな大なり小なりやりたいことややってみたいことに打ち込んでいる。坂木や私よりも明らかに人生を賭けていて、人から注目を浴びている同級生なんて珍しくない。それでも……目の前に現れた熱意や意欲を載せた行為と向かい合って、私は衝撃を受けていた。圧倒されていた。ひとの真面目な、真摯な熱意と、その熱意を差し向けられることが、こんなにも頭の中をざわめかせるなんて。
「……大丈夫?」
坂木が撮影をやめて近づいてきていた。変なとこで察しがいいなんて悪い冗談みたいだ。いや、私が動揺しすぎなのかもしれない。
「うん、なんでもない。大丈夫」
ヘタに笑って強がりに見えないように気をつけながら、私はことさら何でもないように答えた。それでも、変な様子を感じ取っているらしく、坂木は怪訝な表情を浮かべている。私のことから気がそれるように、話しかけた。
「どう、撮れてる?」
「あ、ああ、撮れてるよ。びっくりするくらい」
「なにびっくりするくらいって。期待してなかったん?」
せっかく手伝っているのに、という思いとは違う気の悪さをちょっとだけ、なんでかわからないけどちょっとだけ感じながら、あえて笑ってみせて私は言葉のボールを投げる。坂木は私のボールをお手玉するようにわたわたと受けながら、なんとか投げ返そうとする。元々運動神経は良くなかった記憶があるけど、比喩の中でもうまくいかなそうなんて。まったく面倒なやつ。
「いや、そういうわけじゃなくて、なんていうか、集中できるっていうか、自然に撮れるっていうか……」
このまま言葉を連れてもぐだぐたになると自分でも思ったのか、坂木が急にすぱっと言ってくる。
「大崎、モデルの才能あると思うよ」
率直に、何言ってんのこいつ、と思ってしまった。私はそれこそふつーだ。美人でもないし、背が高くて神がかったスタイルでもないし、プラスサイズモデルをやるほどの意識もない。お世辞にしたって冗談がキツい。だから私は、それとなく茶化してしまう。
「そんな調子のいいこと言ってさー、『やっぱ相田が撮ってみたかったー』とか思ったりして撮ってるんでしょ?」
「そんなこと思わないよ。目の前にいる大崎をどれだけちゃんとフレームに収められるかとか、どれだけ綺麗に撮れるかとか、それしか考えてない。相田や他のやつのこと考えてられないよ」
私の言葉を聞くと坂木はそれこそ気分を害したように一息に言ってきた。私は言葉に詰まってしまう。坂木の考えというか、気持ちというか、そういうものをちゃんとわかっていなかったことに。坂木の見たいものを感じ取ったと思っていたのに。
「ごめん……」
私が謝ると、とたんに坂木はあせあせと戸惑いだした。
「いや、全然。全然気にしてないから。僕もそんな、余計なこと言ったかもだし」
そうして、さっと辺りを見回して、
「移動しよう。別の場所でも撮りたい」
ごまかしか本気かわからないその提案に、私はうなずいた。
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